第1902日目 〈マルコによる福音書第15章:〈十字架につけられる〉、〈イエスの死〉他〉 [マルコによる福音書]

 マルコによる福音書第15章です。

 マコ15:1−5〈ピラトから尋問される〉
 イエスが捕らわれ、死刑が決まり、ペトロが泣いた夜が明けた。祭司長たち最高法院の面子は捕縛したイエスを総督ピラトに引き渡した。
 ピラトはイエスを前に、お前がユダヤ人の王なのか、と問うた。それはあなたがいっていることです。イエスはそう答えた。
 外野から祭司長たちがいろいろと騒ぎ立て、訴えた。ピラトは、ああまでいわれているのにどうして抗弁しないのか、と再び問うた。もはやイエスがなにも答えようとしないのを、ピラトは訝しく、またふしぎに思うのだった……。

 マコ15:6−15〈死刑の判決を受ける〉
 総督ピラトは祭りのたびに囚人を1人、恩赦として解放することにしていた。今回の過越祭に於いても然り。ピラトは人々を前に、誰を解放しようか、と呼びかけた。かれは、この人々がイエスの釈放を望むだろう、と踏んでいた。しかももう1人の囚人バラバは極悪人である。祭司長や律法学者、長老たち即ち最高法院のメンバーの妬みがイエスを捕らえたのだ、と思うていたからである。が、豈図らんや、人々はバラバの解放を求めたのであった。
 ピラトはたじろぎ、訊いた。ではこの<ユダヤ人の王>と自らを称す者はどうするか、と。人々は口を揃えて、十字架に掛けろ! と叫んだ。ピラトは、この者がいったいどのような罪を犯し、悪事を働いたというのか、と説明を求めても、人々はただイエスを十字架に掛けろ、と求めるばかりだった。
 これ以上イエスを擁護することはできない。仕方なくピラトはバラバを解放した。総してイエスを鞭打ちし、兵士たちへ引き渡した。

 マコ15:16−20〈兵士から侮辱される〉
 兵士たちはイエスを総督官邸に連れて行き、王の纏う衣である紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせた。そうして大仰に崇めたり、殴打したり唾を吐いたりして侮辱した、そんなことをしたあと、元の服に着替えさせ、十字架を肩に背負わせて、刑場ゴルゴタの丘へ歩かせた。

 マコ15:21−32〈十字架につけられる〉
 刑場への登り坂でイエスは挫けた。代わって、通り掛かったに過ぎぬキレネ人シモンが十字架を担いだ。キレネ人シモンはアレクサンドロとルフォスの父である。
 ゴルゴタ──それは「されこうべの場所」という意味だ。イエス(とキレネ人)はそこへ向かった。その途中、没薬を飲ませようとした人がいたけれど、イエスはそれを拒んだ。丘の上に到着すると、兵士たちはイエスを十字架に掛けた。誰がその着衣を取るか、分け合うためのくじ引きをして。
 こうしてイエスは十字架上の人となった。午前9時、過越祭の前日である。
 その光景を見て人々は囃し立てた。神の子ならば、メシアならば、ユダヤ人の王よ、自分を救ってみせろ! 心ない言葉が浴びせられた。イエスの左右に立てられた十字架の罪人も、同様に悪態を吐いて罵り、馬鹿にした。

 マコ15:33−41〈イエスの死〉
 昼12時。俄に空が曇り、それは午後3時まで続いた。
 午後3時。イエスは空を仰いで大声で叫んだ。エリ、エリ、レマ、サバクタニ。わが神、わが神、なぜわたしを見捨て給ふたか。
 まわりにいた人々はこれを聞き及んで、イエスが預言者エリヤを読んでいるのだ、と思うた。どれ、本当にエリヤがあいつを助けに来るか、見物するとしよう。
 十字架を望む群衆のなかから1人走り出る者がいた。その人は、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それをイエスに飲ませようとした。酸いぶどう酒には麻酔効果がある。その人はさも自分も見物人の1人で、好奇心からもっと間近で死にゆくイエスを見物しようという風を装って十字架の下へ行き、イエスに飲ませようとしたのだが、そのときである、イエスは息を引き取った。
 ……十字架の上のイエスは死んだ。……
 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けたのである。これらの様子を見た百人隊長はイエスを顧みて、誠この人は神の子であった、と述懐した。
 また、十字架上のイエスを多くの婦人たちが遠くから見守っていた。そのなかに、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセ即ち弟子ヤコブとヨハネ兄弟の母マリア、女弟子の1人サロメもいた。彼女らはまだイエスがガリラヤ地方で宣教していた頃から付き従い、かれの世話をしてきた女性たちである。

 マコ15:42−47〈墓に葬られる〉
 夕方。間もなく過越祭当日となる時刻だ。
 身分の高いアリマタヤ出身の議員ヨセフが、勇気を奮って総督ピラトに、イエスの遺体を引き取らせてほしい、と願い出た。「この人も神の国を待ち望んでいたのである。」(マコ15:43)
 ピラトは百人隊長にイエスの死亡を確認させたあと、遺体をヨセフへ引き下げた。
 「ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に収め、墓の入り口には石を転がしておいた。」(ピラト15:46)
 ──件のマリアたちがイエスの墓所を、なにをするでもなく、悄然と見つめている。

 ゴルゴタの丘へ行くイエスに代わって十字架を担ぐ羽目になったキレネ人シモン。ただそれだけの役なのに、福音書へ登場する端役のなかではふしぎと記憶に残る人物である。かれの家族に触れるのは「マルコによる福音書」のみで、息子が2人いるとはいうてもこの場に居合わせたのか、定かではない。シモンがイエスの教えに感じ入っていたかについても同様で。が、息子の1人ルフォスは後にキリスト者となったらしく、「ローマの信徒への手紙」第16章第13節ではパウロがルフォスの名を挙げている(「主に結ばれている選ばれた者」)。
 本章に於ける端役といえば、イエスを埋葬したヨセフも忘れられない。アリマタヤはユダヤ人で構成された町でユダヤ地方とサマリア地方の境あたりにあり、サム上1:1に出るラマタイム・ツォフィムがそれである由。もう何年も前に読んだ箇所なので忘れていたが、このラマタイム・ツォフィムは士師サムエルの生まれ故郷である。サムエルがサウルとダビデに油を注いでイスラエル王国の王とした。
 ヨセフはここの出身で、かつイエスの弟子の1人。70門徒に数えられる。反キリスト、嫌イエスの感情渦巻く時のエルサレムにて、イエスの遺体を引き取りたいと願い出るには、どれだけの勇気を要したろう。かりにかれが「ルカ」が記すように最高法院のメンバーであったとしても、それがイエスの亡骸を引き取るにあたって絶対有利に働いたとはあまり思えぬ。が、イエスの弟子団の中核である12弟子の1人でなかったことは幸いしたであろう。ヨセフの身分について福音書の記事は一致しないが、共通して観られる唯一の点、イエスの遺体を引き取って埋葬したことはイエスへの愛なくしては到底できない行為であったことは間違いない。
 まったく以て余談だが、マコ15:17でイエスが着させられる「紫の衣」、ここはフランシスコ会訳では「真紅の衣」となる。真紅の衣……しんく……深紅! いささか強引であることは重々承知だ。が、ここでスティーヴン・キングを<神>と崇め、讃え、ひれ伏し、愛読してやまぬわたくしは、鼻血を出して興奮するのである。真紅の衣を纏いし者──<深紅の王>クリムゾン・キング!! うわっほおっ!!!

 本日の旧約聖書はマコ15:34と詩22:2。◆

共通テーマ:日記・雑感