第1971日目 〈タワレコ渉猟記〉 [日々の思い・独り言]

 昨日書いた原稿に自ら触発されたわけでもないが、あれから久しぶりにクラシック音楽が無性に聴きたくなり、今日(昨日ですか)図書館とタワーレコードに行きました。
 なによりもまずクリュイタンスのラヴェルが聴きたかったので、図書館ではサンソン・フランソワを独奏に迎えたピアノ協奏曲を借り、タワーレコードではパリ管弦楽団との管弦楽曲集2枚を買ったのです。
 ラヴェルについてはふしぎとピアノ協奏曲は架蔵したことがなかったの前者のチョイスはともかく、後者に関してはこれまで2度ばかり購入と処分を繰り返した覚えがある。LPもあるけれど、これは再生装置を失った現在でも、他のビニール盤と一緒に大事に保管してある。カビやソリの懸念は払えないけれど、いつの日か必ず音楽環境を復活させて、これらをターンテーブルに載せる日の訪れを実現させる。そうして、お気楽にして無体系な自分の好みだけが世界を統べる音楽鑑賞の日々を取り戻すんだ。
 さて──何ヶ月ぶりかのタワーレコード! あまりに久々だったからさほどスペースのないクラシック・コーナーを端から端まで、棚のいちばん上からいちばん下の段まで、じっくりと、見て参りました。カウンター内の店員はもしかするとわたくしを怪しい者と認めたかもしれない。が、誰でも久しぶりに音楽の歓びを思い出し、かつそのときにCD購入に回せるお金があったらば、こうした<巡礼>という名の<渉猟>は必至であろう。そういえばこんな行動、20年近く前に同じ場所にあったHMVでも取っていたことがあったっけ。歴史は巡るのか。
 そうした<巡礼/渉猟>の最中に見て食指を動かされたものはたくさんある。ありすぎてどうやって見切りをつけていいか悩んだぐらいだ。こうした状況に置かれた際にいつも心のなかに思い浮かぶのは、川端康成が骨董を買うか買うまいかと悩んで挙げ句に随筆にまでそれを綴って更に悩み、結局書いたことで満足したのか決断がついたかわかりかねるが骨董購入を諦めた、という挿話だ。たしか長山靖生『コレクターシップ 「集める」ことの叡智と冒険』のなかで紹介されていたのではなかったか。──わたくしも同じようなものだ。お金がないから徹底的に眺め、手にし、読み、しっかりと自分の記憶に刷りこませて、棚に戻す。お店にとっては迷惑かもしれないけれど、未来の購入者になり得る可能性大だからそこはお目こぼし願いたい。
 1時間近く、もしかすると2時間以上いたかもしれないが、数多の購入検討品からレジへ運ばれた幸運な音盤は、バッハ《ブランデンブルグ協奏曲》全曲(ゲルハルト・ボッセ=ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス・バッハ管弦楽団)とサン・サーンスの交響曲第3番《オルガン付き》(レナート・スラットキン=ヴァンサン・ワルニエ=フランス国立リヨン管弦楽団)である。
 その日、タワーレコードに置かれていた《ブランデンブルグ協奏曲》はどれもピリオド楽器での演奏で、それも嫌いではないけれど、最初の洗礼がモダン楽器による演奏だったので、どうしても日常生活のなかで聴きたいとなるとそちらを選びたくなるのだった。消去法でボッセが選ばれたわけだが、これが結果的には大正解で、これまで聴いてきたなかでいちばん心おだやかに耳を傾けられる演奏だったのだ。ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス・バッハ管弦楽団は名前が示すとおり大バッハゆかりの町ライプツィヒにあり、ライプツィヒでのコンサートとオペラのみならずは聖トマス教会にて毎週末のミサ曲の演奏を行うライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の別団体であるという。この落ち着きと風格をまとった演奏は、伝統のなせる技なのかしらん。ああ、これが店頭在庫としておかれていたことに感謝!
 残るサン・サーンスだが、これはナクソス・レーベルの、極めて寒々とした棚に面陳されていた1枚。スラットキンといえばわたくしにはVox Boxの看板指揮者で、セントルイス響とのコンビで幾つもの録音を聴いたことが懐かしい。ナクソスからCDを出していることは知っていたけれど、これまたどういうわけかまったく食指が動かされず今日まで来たが、美しいジャケットと帯の文章に気持ちを抑えきれず、レジへ運んでしまった。こちらはまだ聴いていないので、後日のエッセイの種になることは現時点でほぼ確定であります。
 以上、5月30日のお買い物レポートでした。◆

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