第2008日目 〈ヨハネによる福音書第4章:〈イエスとサマリアの女〉&〈役人の息子をいやす〉withだから『LOST』はやめられない。〉 [ヨハネによる福音書]

 ヨハネによる福音書第4章です。

 ヨハ4:1-42〈イエスとサマリアの女〉
 ファリサイ派の人々の耳に洗礼者ヨハネよりも多くの弟子をイエスが取り、洗礼を授けている、という話が届いた。それをするとイエスはユダヤを去ってガリラヤへ行った。が、途中サマリア地方を通らなくてはならなかい。むかしからユダヤ人とサマリア人は仲が悪かった……。
 そのサマリア地方にシカルという町がある。往古ヨセフが父ヤコブから与えられた土地の近くにある町で、ヨセフの井戸があった。イエスはそこまで来ると、旅の疲れから坐りこんでしまった。かれは弟子たちを食糧の調達に出した。正午頃のことだった。
 ヨセフの井戸へ1人のサマリア女が水を汲みに来た。水を飲ませてほしい、というイエスにサマリア女は、ユダヤ人であるあなたがどうしてサマリア人のわたしに頼むのですか、と訊いた。イエスは答えた。あなたが神の賜物を知っており、飲み水を求めた相手が誰かわかっているならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたへ生きた水を与えることだろう。
 サマリア女は、どうやってその水を手に入れるのですか、あなたはわたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか、と訊いた。イエスは答えて曰く、──
 「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハ4:13-14)
 主よ、再た渇くことがないように、井戸へ水を汲みに来ることがないように、その水を与えてください、とサマリア女はいった。イエスは、あなたの夫をここへ連れて来なさい、とサマリア女にいったが、彼女は、自分には夫はいない、と正直に答えた。イエスは首肯して曰く、然り、あなたには5人の夫がいたが、いま一緒に暮らしているのは夫ではない、あなたは偽ることなくありのままをわたしにいった、と。
 サマリア女は、わたしたちの先祖はこの山(ゲリジム山)で礼拝しましたが、あなたたちはエルサレムにこそ礼拝すべき場所があるといっています、といった。
 婦人よ信じなさい、とイエスはいった。続けて曰く、──
 「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(ヨハ4:21-24)
 それを聞いたサマリア女は、キリストと呼ばれるメシアが来ることは知っています、その方が来てわたしたちに一切のことを知らせてくれるのです、といった。
 婦人よ、わたしである。イエスはそういった。
 ──食糧調達から戻ってきた弟子たちと入れ違うように、サマリア女は自分の町に戻り、メシアと思しき方が来ました、と宣べて回った。町の人々はこぞってヨセフの井戸にいるイエスのところへ行った。かのサマリア女の言葉ゆえにかれらはイエスを信じ、自分たちの町へ留まるよう頼んだ。そこで更に多くのサマリア人がイエスを信じた。かれらは彼女にいった、──
 「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」(ヨハ4:42)

 ヨハ4:43-54〈役人の息子をいやす〉
 イエスは2日間、サマリア人の町にいて、その後ガリラヤへ向かった。いつのときであったか、イエスは、預言者は故郷では敬われない、といったことがあった。ガリラヤの人々のなかにはイエスがエルサレムで行ったことを見た者がいて、その者らが帰ってきて故郷(くに)の人たちへ触れて回っていたので、既にこの地の人々はイエスのことを知っていた。ゆえにかれらはこぞってイエスを歓迎したのである。
 そんなことがあって後、イエスはカナの町を再訪した。そこへカファルナウムから王の役人が訪ねてきた。どうかカファルナウムへ来て、死の床へ就いている息子を癒やしてください、と役人はイエスに懇願した。
 イエスはいった、──「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない。」(ヨハ4:48)
 重ねて役人は請うた。
 イエスはいった。帰りなさい、あなたの息子は生きる。
 イエスの言葉を信じて、役人はカファルナウムへの帰途を辿った。すると途中でカファルナウムから上がってきた僕たちに会った。僕たちがいうには、あなたの息子様は快方に向かっておられます、と。詳しく聞くと、息子の様態が良くなったのは、昨日の午後1時頃であると云々。それはイエスが役人に、帰りなさい、あなたの息子は生きる、といったのと同じ時刻の出来事であった。これゆえに役人もかれの家族もイエスを信じた。
 イエスがガリラヤにて行った2度目の徴である。

 イエスがサマリア人の女性と会い、礼拝について語ったのはあくまで偶然のことだ。が、その偶然がささやかながらも不仲であったユダヤ人とサマリア人が融和するきっかけとなり、やがてサマリア人がキリスト教に改心する遠因となったことを考えると、この挿話はすこぶる重要な地歩を占めるものといえよう。
 イエスはサマリア人の女性相手に、生きた水について語り(4:14)、礼拝について語る(4:23-24)。わたくしにはこれらが初期キリスト教会の、教会と信徒の交わりの根幹となっているように思う。うまくはいえないが、これはそのままカトリックの典礼に発展していった節がある。すくなくともここは本福音書のキモであり、新約聖書のキモともなっている箇所ではあるだろう。
 本挿話のノートについて一言。実際には弟子たちが食糧調達から戻ってきて、イエスと食べ物について会話する件りがあるのだけれど、イエスとサマリア人の女性の語らいにスポットをあてたかったので、敢えて弟子たちの部分は省いた。が、無視しても構わないのではなく、特に刈り入れを待っている畑についてのイエスの言葉(4:35-37)は他にはなかなかない美しさと喜びを備えたものである。
 ──かつてヤコブがヨセフへ与えた土地と、勿論「創世記」に由来する。その土地とはシケムで、創33:18-19と殊に48:22を併読願いたい(但しヨセフの井戸についての記述はどこにもない)。またヨシュ24:32では出エジプトの際モーセが携え、後継たるヨシュアに託されたヤコブの遺骨がシケムに埋葬された。もう死んだと思うていた息子ヨセフがエジプトにて宰相となって生きているのを他の息子たちから聞いて非常に驚き、喜んだヤコブは老体を押してカナンからエジプトへ移住し、その地で没した。カナンのシケムへの埋葬はかれの遺言だったのである……それは死後永い時間を経てヨシュ24:32にて成就された!
 ユダヤ人とサマリア人が交際しないことは、既にルカ9:53で見た。また旧約聖書では王下17:24-34,エズ4:1-5と9:1-2,ネヘ4:1-2にもある。サマリア人は、アッシリア帝国によって滅亡した旧北王国イスラエルの土地に残存したイスラエル人と入植してきた異邦人の混血である。次々と王朝が後退してイスラエルの神を顧みぬこと常でありまた蔑ろにすること甚だしかった北王国は、主なる神の前に正しく歩むことも正しいことを行わなかった王もあったとはいえダビデ王朝が存続して神殿を中心とした礼拝体制が持続した南王国とは、或る時期を除いて反目し合う間柄であった──元を正せば同じサウル-ダビデ-ソロモンを戴いた統一王国イスラエルであったのに! 両王国が緊張状態にあって不穏な間柄でもあったことを承けて、おそらくはDNAレベルでユダヤ人とサマリア人は不仲であったのかもしれない。
 そのサマリア人の女性がいう「先祖の礼拝した山」(4:20)とは、本文でも触れたがゲリジム山のことである。申11:29ではゲリジム山に祝福を、シケムを挟んで反対側にあるエバル山に呪いを置く、とある。エルサレム神殿に対抗して北王国の民がこの山に礼拝所を置いたのだった。

 本日の旧約聖書はヨハ4:5と創33:18-19及び48:22並びにヨシュ24:32、ヨハ4:20と申11:29,ヨハ4:9と王下17:24-34,エズ4:1-5及び9:1-2,ネヘ4:1-2。



 録画してDVD-Rに落としていた『LOST』をシーズン1から観直しています。日本初放送から10年が経ち、完結からも既に5年が過ぎている。
 なのに、なんだ、この色あせぬ面白さは。鑑賞を重ねる毎に湧き起こる新たな感銘は。これだから『LOST』はやめられない。
 観直すことのできるドラマって実はそうそうない。自分にとって『LOST』は数少ない例外だ。帰宅後の楽しみが1つ増えました。◆

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