第2011日目 〈羽生PAにて、ここを思う。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 <入り鉄砲に出女>といいます。江戸時代、江戸の手前の関所で特に厳しく取り締まられたのが、この2つでした。江戸に反乱をもたらす鉄砲を持ちこませるなかれ。江戸に住まう大名の妻子を出すなかれ、それは大名の忠心を奪うから。わたくしは場所柄、東海道は箱根関を例に挙げてそれを教わりましたが、江戸に至る主たる街道は全部で5つ、その他に脇街道と呼ばれるものがありましたが、各街道に関所が設けられ、役人が<入り鉄砲に出女>に目を光らせる関所は箱根以外にもその数だけ存在したのです。そのうちの1つが脇街道奥州街道にあった栗橋関であります。現在の埼玉県栗橋市近郊。
 江戸時代の街道にあたるものは現代ならさしずめ、5街道は高速道路、脇街道は国道や地方道でしょうか。浦和と青森を結ぶ東北自動車道は、わたくしにとり東名高速と並んで親しみあり、馴染んだ高速道路です。その東北自動車道に羽生という場所があります。インターチェンジとパーキングエリア両方を持つ羽生ですが、ここは最前の栗橋市の近くにあり、それゆえもあって2013年末、上りパーキングエリアに限って江戸時代の町並みを再現した建物と内装に全面リニューアルしました。栗橋関に因んでのことですが、非常に人気があって、いまは蓮田サービスエリアよりも人が集まる休憩エリアになっているようです。
 その上り方面羽生PAは<鬼平江戸処>と称されています。鬼平といえばいわずと知れた池波正太郎の大人気時代小説シリーズ。TVドラマでご存じの方も多いでしょう。それに由来しての命名、そうしてリニューアルということになりますが、ではそこに至る過程はそもどのようなものだったのか。
 まず、上り羽生PAを栗橋関と位置付けるところから始まったようです。そこに江戸の町並みを再現させる。が、単に再現しただけでは散漫だ。統一させるコンセプトが欲しい。そこで注目されたのが江戸時代中期(18世紀後半)に活躍した火付盗賊改方、長谷川平蔵こと鬼平。──江戸人は相互扶助に富み、人情味あふれる生活を送っていた、との視点に立ち、PAへ立ち寄った誰もが名を知るであろう鬼平が担ぎ出された様子であります。たしかに鬼平という人物、かれが闊歩した江戸の市中と羽生パーキングエリアのリニューアル・コンセプトはぴったりであったかもしれません。
 ……とはいえ、わたくしは羽生PAではなにを買うことも、なにを食べたり飲んだりすることもありませんでした。理由は簡単、あまりに人が多すぎたからです。どこもかしこも行列行列、また行列。大型バスが8台入り、大学や高校の団体さん、そうして外国人観光客が詰め掛けていたこともありましょうが、正直、ふむぅ……、といったところでした。外観やコンセプトに目が行き、これ食べたい! これ飲みたい! というものが特段なかったのですね。もうちょっと空いているときに来ていれば、また変わったことでありましょうが、如何せんお腹も空いていなかったし、行列に並ぶ程の気分でもなかったし、まぁ仕方ない。次に来たときのお楽しみと致しましょう。◆
(本稿の執筆には「ドラぷら」HP内「鬼平江戸処」を参照しました。記して謝意を表します)


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