第2013日目 〈ヨハネによる福音書第7章:〈イエスの兄弟たちの不信仰〉、〈仮庵祭でのイエス〉他with富園ハルク氏とひびきはじめ氏の「二人怪談会」に行ってきます!〉 [ヨハネによる福音書]

 ヨハネによる福音書第7章です。

 ヨハ7:1-9〈イエスの兄弟たちの不信仰〉
 ガリラヤ地方を巡回してばかりで、決してユダヤ地方へ行こうとしないイエスにかれの兄弟がいった(イエスがそちらへ行かないのはユダヤ人が自分の命を狙っているからだった)。ユダヤ地方へ悠希、かれらにあなたの業を見せつけてやれ、と兄弟たちはいうたのである。実は兄弟もイエスを信じていなかったのだ。
 ──折しも仮庵祭の時期になろうとしていた。
 まだわたしの時は来ていない。イエスはそういった。が、兄弟よ、あなた方の時はいつも備えられている。「世はあなたがたを憎むことはできないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。」(ヨハ7:6-7)
 あなたがたはエルサレムへ上れ。わたしは行かない。わたしの時は来ていないからだ。

 ヨハ7:10-24〈仮庵祭でのイエス〉
 が、イエスはこっそりとエルサレムへ上り、祭りの間そこにいたのである。仮庵祭も中葉を過ぎて、イエスは神殿の境内で教えるようになった。この人は聖書を学び、研究しているわけではないのに、どうしてこんなに聖書に精しいのだろう、というユダヤ人たちの言葉を耳にしたイエスは、こういった、──
 「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。
 モーセはあなたたちに律法を与えたではないか。ところが、あなたたちはだれもその律法を守らない。なぜ、わたしを殺そうとするのか。」(ヨハ7:16-19)
 これを聞いたユダヤ人たちは、それはあなたの妄想だ、あなたには悪霊が憑いている、誰があなたを殺そうと企てているというのか、と訊いた。
 イエスは答えた。わたしが1つの業を行ったことで、あなた方は驚いている。安息日に割礼をしても気に留めぬ者が、わたしが安息日に行った業のことで腹を立てている。「うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい。」(ヨハ7:24)

 ヨハ7:25-31〈この人はメシアか〉
 エルサレムの人々は説教するイエスを見て、ふしぎに思った。曰く、この人は命を狙われているのではなかったか、もしかすると議員たちはこの人をメシアと認めたのか、だからあんな風に公然と姿を見せ教えているのだろうか、と。また、われらはかれの出自を知っているが、メシアがどこから来るのかは知らない、とも。
 これを聞いてイエスは答えた、──
 あなた方はわたしのことを知っている。が、わたしは自分で勝手に来たのではない。わたしは、わたしを遣わした真実の方のところから来たのであり、その方がわたしを遣わしたのである。
 ──
 人々はイエスを捕らえようとしたが、実際に手を掛ける勇気のある者はなかった。
 群衆の間でイエスの評判は二分されていた。良い人だ、という人もあれば、かれは民を惑わしている、という者もいた。しかし誰一人として、そのことを公に口にする者はなかった。イエス殺害を計画するユダヤ人を恐れてのことである。
 が、イエスを信じる人が多くいたのも事実である。かれらは、メシアが来たとしても、この人(イエス)より多くの徴を行うであろうか、というていた。

 ヨハ7:32-36〈下役たち、イエスの逮捕に向かう〉
 イエスを厄介に思うファリサイ派の人々と祭司長たちは、何人かの下役たちに命じてイエス逮捕に向かわせた。
 イエスはやって来た下役たちにいった。「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」(ヨハ7:33-34)
 ユダヤ人たちの下役たちは小首を傾げた。イエスがギリシア人の間に散ったユダヤ人たちを訪ねて、その地で教えるつもりなのだろうか、と思うたのである。探しても見附けられない、とはどういう意味だろう、とかれらは訝った。

 ヨハ7:37-39〈生きた水の流れ〉
 仮庵祭の最終日、即ち第7日目。イエスはいった。
 渇いている人はわたしのところへ来よ。わたしを信じる者は聖書にもあるように、その人の内側から生きた水が川となって流れ出るようになる。
 イエスは自分を信じる人々が受け入れる“霊”について語った。このとき、イエスはまだ栄光を承けていなかったので、“霊”は降っていなかった。

 ヨハ7:40-44〈群衆の間に対立が生じる〉
 ……イエスのこの言葉を聞いて、ユダヤ人たちの間で対立が生じた。イエスをメシアと信じる人と、イエスをメシアと信じぬ者とに二分されたのだ。
 後者は主張する;ガリラヤからメシアが出るのか、メシアが出るのはダビデの町ユダヤ地方のベツレヘムではなかったのか、メシアはダビデの子孫ではなかったのか、と。
 なかにはイエスを捕らえようとする者もいたが、実際に手を掛ける者はいなかった。

 ヨハ7:45-52〈ユダヤ人指導者たちの不信仰〉
 さて、戻ってきた下役たちを、ファリサイ派の人々と祭司長たちは詰った。下役たちがすっかりイエスを信じる者となって戻ってきたからである。果たしてファリサイ派や議員のなかであの男を信じる者があるのか、あるならその者は呪われている、と、かれらはいった。
 そこへ以前イエスを訪ねたことのある最高法院の議員でファリサイ派のユダヤ人、ニコデモが来て、いった。「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」(ヨハ7:51)と。
 ニコデモ以外のファリサイ派の人々と、祭司長たちは呆れ、口を揃えてかれにいった。お前もイエス同様ガリラヤの出身なのかい、調べてみよ、あすこからメシアなど出ようはずのないことがわかるから。

 ルツの子孫はダビデ王である。ダビデ王の子孫がイエスである。「ルツ記」と「マタイによる福音書」の系図がそれを示し、「サムエル記・下」と「詩編」がそれを語る。
 メシアはベツレヘムで生まれる。預言者ミカの書がそれを伝う。「マタイ」と「ルカによる福音書」はイエス生誕地をユダヤ地方ベツレヘムとするための工夫を行った。が、イエスはガリラヤの小村ナザレの出身である。
 ガリラヤからメシアが出るのか、という疑問はここを突くのだ。結局この問題は、福音書のなかでは解決されていないはずなのだが、当時の人々にとってこれは至極当然の矛盾であり、論う点ともなったのだった。かれらの糾弾の前にニコデモの弁明と擁護は不発に終わったようである……。
 本章は昨日の第6章の、別の角度からのアプローチと思う。わかりやすさでは断然こちらに軍配が上がるだろうね。
 ──ここで唐突に申しあげるようで恐縮だが、正直なところ、わたくしは自分をイエスに準えたくなるときがあるのだ。なにも自分がメシアである、とか痛い話をするのではなく、<迫害>という一点においてのみ斯く思うのだ。
 イエスには12人の弟子がいた。皆が皆、人徳優れたる者ではなかった様子だが、かれらはユダという例外を除いて全員師たるイエスへ従い、その高徳と教えを<迫害>の逆風にめげることなく辛抱強く、だが着実に広めていった。また、名のない数多の人々がイエスを信じ、かれをメシアと思うた。が、かれらを足して倍しても足りぬぐらいの数の、敵対者/迫害者がいた。
 これ、実はいまのわたくしが置かれた状況に極めて似るのだ。わたくしを守ってくれる、いつもと違わず接してくれる、信じてくれる、励ましてくれる、大切な人々がいる。が、それを倍しても足りぬぐらいの敵がいる。それは潜水艦の如き眼下の敵、水面下の敵、高性能なレーダーを以てしても探知できるか不明の敵。
 陰で巧妙に何事かを策謀し、表面ではなにもないかのように笑顔を見せる衆がいる。かれらは無言の迫害と無言の封じこめ/追いこみを専らとする。味方は誰か、真なる味方は果たして誰か。敵は何処にいるのか。誰が真なる敵なのか。
 わたくしはわずかな友を頼りにここで生きる。敵は視界の外へ。こんなことゆえにわたくしは、今日読んだ挿話の幾つか、たとえばヨハ7:25-31〈この人はメシアか〉の人々のイエス観に、わたくしは自分を重ねてしまったのだ。がイエスの迫害/受難に自分を重ねてようやく精神を振るわせて立ちあがろうとする者は、これまでも果たして何万人となくあったはずである。そこへ自分を列しようというのだ。後ろ指指されることも、冷笑されることも、況んや中傷と嘲笑を浴びる謂われなどまったくない。それを敢えて行おうとする輩たちよ、あなた方に「人を呪わば穴二つ」という真実なる諺を進呈しよう。
 イエスに自分を擬えるとは、なんと浅薄であろうか、と思う。が、今日も「ヨハネによる福音書」を読んでいてイエスに現在の自分を重ね合わせたのである。これについて、誰が呵々大笑なぞできようか。わが真なる癒しの者は何方に? 悠久の希望は絶えてしまったのか──。

 本日の旧約聖書はヨハ7:22と創17:10-14及び21:4並びにレビ12:3、ヨハ7:42aとサム下7:12-16並びに詩89:4-5、ヨハ7:42bとミカ5:1。



 TwitterでフォローしているMacブロガーのゆこびんさんから、富園ハルク氏とひびきはじめ氏の二人怪談会のツイートが流れてきました。
 数日迷いましたが、ほぼ2ヶ月ぶりの連休という幸運も手伝って、このみくらさんさんかが重い腰をあげて会場へ顔を出す予定です。
 わたくしの顔を知っている人など居らぬだろうが、後日感想を本ブログにてお披露目したとき、もしかしてあの人なのかなぁ……、と思えてもらえたら、ちょっとうれしい。◆

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