第2024日目 〈ヨハネによる福音書第16章2/2:〈聖霊の働き〉、〈悲しみが喜びに変わる〉&〈イエスは既に勝っている〉with村上春樹『村上さんのところ』を買いました。〉 [ヨハネによる福音書]

 ヨハネによる福音書第16章2/2です。

 ヨハ16:4b-15〈聖霊の働き〉
 わたしがこれらのことを話したので、いまあなた方の心は悲しみに暮れている。が、わたしが去るのはあなた方のためにもなるのである。というのも、わたしが父の許へ行かなければ弁護者はあなた方のところへ来られないからだ。
 「その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。」(ヨハ16:8-11)
 いうておかねばならぬことはまだ他にもたくさんあるが、いまのあなた方にそれを理解することはできない。
 しかし弁護者、即ち真理の霊があなた方を導いて、真理をことごとく悟らせてくれる。その方は自分から語ろうとはせず、聞いて悟り、これから起こることをあなた方へ知らせる。わが父が持つものはすべてわたしのものであり、真理の霊はわたしのものを受けてあなた方へ告げるのである。

 ヨハ16:16-24〈悲しみが喜びに変わる〉
 しばらくするとあなた方はわたしを見なくなるが、またしばらくすると再びわたしを見るようになる。
 ああ、あなた方よ、わたしのこの言葉について論じ合うな。あなた方は泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。出産に臨んだ女性は産みの苦しみを経験するが、生まれたわが子を抱くときは喜びに満たされ、あの苦痛を忘れてしまう。あなた方もそれと同じだ。
 「今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。」(ヨハ16:22-23)
 これまであなた方はわが名によって、父へ何事かを願うことはなかった。はっきりいう。わが名によって父へ何事かを願うなら、あなた方には与えられる。あなた方には喜びが与えられる。

 ヨハ16:25-33〈イエスは既に勝っている〉
 わたしはこれらのことを喩えを用いて話してきたが、最早それを用いずしてわが父のことを知らせるときが来る。その日、あなた方はわたしの名によって願う。
 「わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」(ヨハ16:28)
 ──これらのイエスの言葉を聞いて、使徒たちは、かれが神のもとから来た独り子であるのを信じた。
 イエスはいった、──
 「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハ16:31-33)

 いま世界には夜の帳が降り、闇に包まれている。が、巷間よくいうように、明けない夜はない。そうして曙光が夜の帳を裂いて射し初め、やがて太陽が昇り始めてそれまでとは違った世界を出現させる。
 本章のイエスの言葉の数々は<夜明け>を知らせるものだ。ここに至って使徒たちがイエスを信じ、恭順の意思を示したのも、それを承けてイエスが、苦難を克復して平和を得ることと自分が世に対して勝利していることを宣言するのも、その夜明けの訪れを予告するものに他ならない。
 これを<福音>と呼ばずになんというのか。
 わたくしはこれまで約半年、誹謗中傷に立ち向かい、孤軍奮闘してきた。失われたエデンを蛮族から奪還するための闘い。そのため誰が味方か、敵は誰か、本丸というべきは誰か。周囲の誰彼に対して疑心暗鬼の目を向け、努めて人間関係を希薄にしようとしてきた。それが失われてしまったとき、自分がその状況へすばやく適応できるように、という事前の対策かもしれない。
 が、正直なところ、もう好い加減疲れてしまった。憎しみは相手を討ち、そのままわたくしに返ってきた。そろそろそれも限界かな、と思うていた矢先の今日、読んだ第16章でわたくしはイエスの「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい」(ヨハ16:33)という言葉に触れた。
 もうチト若かったら、その若さゆえの情熱で極端に突っ走ってキリスト教へ改宗していたかもしれない。それ程までに<力>を持った言葉だったのである。
 とはいえ、わたくしはこのヨハ16:33によって、ここ半年ばかり自分を圧し潰しそうとしていた<鬱ぎの虫>を、すべてではないにしても駆逐することができたように思う。誰に相談できるでもなく、誰に打ち明けたら良いのかも、皆目見当が付かぬ。なんらのアクションを起こすこともできないまま、わたくしは今日(昨日ですか)第16章を読んだ。そうしてこの言葉に出会った。わずかなりとも塞いでいた気持ちを軽くすることができたことに、感謝。



 村上春樹『村上さんのところ』(新潮社)が発売されました。同名のHPへ読者が寄せたメールに著者がコメントを返した数千万通からセレクトした五百余編を収録。毎日閲覧することが適わなかったため、今回書籍の形になって初めて読むメールの方が圧倒的に多い。
 かつて同じ新潮社からは『少年カフカ』なるB5判型の質疑応答本が、朝日新聞社からも『そうだ、村上さんに聞いてみよう』シリーズ全3巻が過去に出たけれど、今回の『村上さんのところ』がそれらと大きく異なるのは(そうしてこれが唯一残念と思うところなのだけれども)、期間中HPへ掲載された村上春樹の何編かのエッセイがまったく収録されていない点か。おそらくこれは同時に発売される電子書籍版へ収められているのであろう、と期待する。そろそろKindleを購入する時期かなぁ。
 ご存知のように読むのが非常にゆっくりしたペースのため、本書を読み終えるのがいつになるのか、自分でもよくわからない。朝夕の通勤電車のなかで数編ずつ読み進んでゆくのが、もう煩わしくて仕方のない世事の合間の安息の時間となっている。
 今日は「買った」という報告のみで、感想などは改めて別の機会としよう。

 進むべき道はない、が、進まなくてはならない。これ以上に人生の難しさ、辛さを象徴した言葉があるのだろうか。◆

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