第2027日目 〈ヨハネによる福音書第18章2/2&第19章:〈死刑の判決を受ける〉、〈十字架につけられる〉他with直前で公開を中止した2日分の原稿について。〉 [ヨハネによる福音書]

 ヨハネによる福音書第18章2/2と第19章です。

 ヨハ18:38b-19:16a〈死刑の判決を受ける〉
 イエスを尋問したピラトは総督官邸の外にいるユダヤ人たちの前に出、自分はお前たちが引き出したあの男になんの罪も見出せない、といった。が、ユダヤ人たちはそれでは納得しなかった。この時期恩赦として釈放される囚人にかれらが望んだのは、強盗バラバであった。イエスではなく。
 ピラトはイエスを鞭打たせた。兵士たちはイエスの頭に茨の冠を載せ、紫衣を着せ、ユダヤ人の王万歳、というて平手打ちした。そうしてピラトは再びユダヤ人たちの前に出て、イエスに罪を見出せないことを告げた。が、ユダヤ人たちの狂騒は激しさを増し、かれイエスを十字架に付けろ、とピラトへ要求するのだった。
 「ピラトは言った。『あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。』ユダヤ人たちは答えた。『わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。』」(ヨハ19:6-7)
 これにピラトは恐れ、もう一度イエスを尋問した。その末にイエスはいった。わたしをあなたに引き渡した者の罪は重い。
 ピラトは三度、ユダヤ人たちの前に出、イエスに罪を見出すことができない旨告げた。ユダヤ人たちはローマ皇帝の名を楯に取り、ピラトに抗った。
 ──最早ピラトに術はなかった。ピラトはイエスを裁判にかけた。ユダヤ人たちはこぞってイエスの死刑を要求した。
 「ピラトが、『あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか』と言うと、祭司長たちは、『わたしたちには、皇帝のほかに王はありません』と答えた。」(ヨハ19:15)
 斯くしてイエスはユダヤ人たちの手に引き渡され、ゴルゴタへの道を歩くのだった。

 ヨハ19:16b-27〈十字架につけられる〉
 ユダヤ人たちはイエスに十字架を背負わせ、ゴルゴタ(されこうべの場所)でかれを十字架に掛けた。その左右には忌むべき罪を犯した2人の罪人が、同様に十字架に掛けられている。
 ピラトが書いたイエスの罪状書──「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」とヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書いてある──が、かれの十字架の上に貼られた。ゴルゴタはエルサレムのすぐ外にあったので、イエス処刑を望む以外のユダヤ人たちも多くがこれを読んだ。
 「ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、『『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください』と言った。しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。」(ヨハ19:21-22)
 兵士たちはイエスの衣服を分け合い、下着はくじ引きで受け取り手を決めた。これによって聖書の言葉が実現した。
 ところでイエスの十字架のそばにはかれの母マリアとその姉妹、マグダラのマリアたちがいた。イエスは母とその傍らに立つ自身の愛した弟子を見た。かれは母に弟子を示して、あなたの子です、といい、弟子に母を示して、あなたの母です、といった。この弟子はイエスの言葉を承けて、この日この時からイエスの母マリアを自分の家に引き取り、傅(かしず)いた。

 ヨハ19:28-30〈イエスの死〉
 イエスはこの時、すべてが成し遂げられたことを悟り、渇く、といった。これにより聖書の言葉が実現した。
 イエスはヒソプに付けた酸いぶどう酒を含んだ海綿を口に受けると、成し遂げられた、といった。そうしてイエスは息を引き取った。

 ヨハ19:31-37〈イエスの脇腹を槍で突く〉
 イエスが死んだのは過越祭の準備の日で、即ちニサンの月の13日、金曜日であった。その日のうちに十字架上の3人の遺体を降ろす必要があった。
 イエスがたしかに死んでいるのを確認するために、「兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。」(ヨハ19:34-35)こうして聖書の言葉が実現した。
 また聖書の他の箇所には、かれらは自分たちが突き刺した者を見る、という文言がある。

 ヨハ19:38-42〈墓に葬られる〉
 イエスの遺体を十字架から降ろさせてほしい、とピラトに頼んだのはアリマタヤ出身のヨセフである。かれはイエスを信じる者でありながら、ユダヤ人たちを恐れ、そうとはいい出せずにいた。ヨセフがイエスの遺体を十字架から取り降ろしたのである。
 そこへ、かつてイエスに教えを乞うたことのあるファリサイ派のニコデモが合流した。かれは最高法院の議員でもあり、ファリサイ派の人々や祭司長たちがイエスの罪を咎めていたとき、公正の立場に立ってイエスを擁護した唯一の人である。かれは遺体に塗るための没薬と沈香を調合したものを100リトラ(約33キログラム)、持ってきていた。
 ヨセフとニコデモはイエスの遺体を亜麻布で包(くる)み、ゴルゴタから程近い園にある、まだ誰にも使われたことのない墓に納めたのだった。

 描写は密である。敢えて「ルカによる福音書」と比較してもその事実は変わらぬ。最早典拠とした資料の差異というより、本福音書の著者の構成力や描写力、その文才を讃えるべきだろう。
 ピラトがユダヤ人たちの狂騒に遂に屈し、イエスをかれらへ引き渡す場面があった。ピラト;お前たちの王を十字架に掛けるのか。ユダヤ人たち;われらの王はローマ皇帝ただ1人!(ヨハ19:15-16)
 ここを読んでふと思い出したるは、生田耕作先生が雑誌のインタヴューで語ったことである。先生は戦時中、学徒動員によって中国戦線に狩り出された。そこで見た旧帝国陸軍の一風景──上官が兵士を殴ろうとする。と、その兵士は機転を利かせて隊列から一歩前に出、天皇陛下万歳、と三唱。いやしくも天皇陛下の名を口にする者を殴る挙は犯せない。よって上官は拳を引っこめ、兵士は難を逃れる、という寸法だ。
 ピラトにとってローマ皇帝の名は、戦中のこの上官にとっての天皇陛下と変わるところはないのではないか。皇帝の名を口にする者たちのに対してなにもできなかった、というのは、生田先生の回想と重なるところがありはしないか。ユダヤ人たちに策略があったかは知らぬが、結果として錦の御旗を持ったことになる。なお、時のローマ皇帝は2代目のティベリウスだった。

 本日の旧約聖書はヨハ19:7とレビ24:26、ヨハ19:24と詩22:19、ヨハ19:28と詩22:16、ヨハ19:36と出12:46並びに民9:12、ヨハ19:37とゼカ12:10(ex;黙1:17)。



 故ありお披露目寸前に公開を取り消した2日分については、休日にもうちょっと推敲して良い原稿を作ったあとで再公開させていただきます。
 殊に第18章1/2は事情あって1時間弱で第一稿を書かねばならなかったから、どれだけ手を入れても、取り敢えず満足できるレヴェルにすらなかなか達しない代物である。以前にも難渋したものはあったけれど、今度のはチト性質(たち)が悪い。
 とにもかくにも、「ヨハネによる福音書」読了まであと2日──。◆

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