第2041日目 〈「使徒言行録」前夜〉 [使徒言行録]

 われらはこれまでイエス──ナザレのイエスがその生前に経験した事柄や、かれが行ったふしぎな業/奇跡の数々を記した4つの書物、即ち福音書を半年ばかりかけて読んでまいりました。従って生前のかれがどのような人物であり、どのような生涯を送り、どのような人々と接してきたか、また、生前のかれがどのよう教えを宣べ伝え、なにを主張し、なにを厭い、如何なる業を顕して数多の奇跡を起こしたのか、そういったことをわれらは既に知っております。
 が、イエスの教えは数々の偶然と悠久の時間の流れにすべてを委ねて、自然と全世界へ広まっていったわけではありません。風に乗って土地から土地へ運ばれてゆくタンポポの種とは違うのです。ナザレ人イエスの教えがエルサレムからユダヤ、サマリアに広まり、小アジア、ギリシアを経て、当時の<世界の果て>ローマへ到達し、各地で定着して信仰と迫害の末、3世紀にローマ帝国の国教と定められるまでには、勿論数々の偶然と相応の時間の経過も必要でしたが、それらはすべて、義の人、信じる人々に支えられなくては無意味なものでしかありませんでした。
 イエス没後、復活して昇天するまで40日間を共に過ごし、五旬節(ペンテコステ)の際に聖霊降臨を体験した使徒たちが中心となって行ったイエスの教えの宣教/伝道が、今日のキリスト教を存在させたのであります。
 こうした使徒たち、信徒たちの集まりの場はいつしか<教会>と呼ばれるようになりました。ユダヤ教に於ける会堂と同じような役割を、キリスト教では教会が担ったのです。かれらの時代の教会を後世では初期教会、或いは原始教会と呼んでいます。本ブログでは前者に呼称を統一しますが、初期教会の伝道活動を(全貌でこそないものの)記録したのが、明日から本編の読書に入る「使徒言行録」(「使徒行伝」とも)なのです。
 本書の著者はパウロの伝道旅行の随伴者の1人で、「ルカによる福音書」を書いた医者のルカとされる。聖書の場合、著者とされる人物は概ね仮託されたものである旨、過去にも述べましたが、とはいえ「ルカによる福音書」と「使徒言行録」の著者が同一であることは周知の事実とされ、両者が別の著者によって書かれたことを示す資料も主張する説も、これといってない様子であります。一般に「ルカ伝」と「使徒行伝」はまとめて<ルカ文書>と称され、以てイエスの公生涯を描いた福音書を前半、使徒たちの活動を描いた「使徒言行録」を後半と見做すことが専らです。
 後80年代の「ルカによる福音書」のあとで「使徒言行録」は書かれました。成立年代は概ね後90年代と確認されています。その間に著者は可能な限り資料を渉猟し、博捜し、検討し、また関係者への取材を通して執筆の材料を集めてゆき、そうして或る段階に達した時点でようやく筆を執るに至ったのでしょう。ルカ1:3にある文言はそのまま「使徒言行録」にも適用できそうであります。執筆場所は「ルカ伝」同様にエフェソが最有力視されていますが、断定するための材料はありません。地中海沿岸の帝国領内にある交易都市のいずれか、としてお茶を濁すのが無難であり、最適なのかもしれません。
 「使徒言行録」は異邦人のための伝道を記録した書物ともいえます。その点、福音書がどちらかといえばユダヤ人のための伝道に重きを置いていたのと好対照でありましょう。それは言い換えれば、イエスの教えが特定の民族や地域から抜け出して広範囲に拡大してゆく歴史の証言とも申せます。
 むろん、イエス自身も異邦人への伝道を視野に入れていましたし、そうした主旨の発言もしております。が、それをイエス自身は果たすことができなかった。処刑された、というのがいちばんの外的要因でありますが、かりにあのまま存命であったとしても、かれ1人の力ではどうにもできなかったでありましょうし、そうして未だ聖霊による洗礼を受けていない使徒たちの尽力があっても今日のわれらが知るような豊かな成果は得られなかったのではないか、と思います。
 使徒たちはイエスの生前、けっして一枚岩ではありませんでした。かれらが堅固な目的を実行するための意思を共有するためには、やはりイエスには死んでもらわなくてはならなかったし、3日目に復活してもらわなくてはなりませんでした。この過程を経てこそ使徒たちは、五旬節の日に聖霊が降ったのを契機に、伝道の第一歩を踏み出すことになるのであります。
 使1:8「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」というイエスの言葉は敷衍すれば、いまはわたしの教えを知らぬ者、拒む者、それゆえに使徒たちを虐げる者をもあなた方は回心させ、信徒とせよ、ということになります。つまり、ここでの伝道の主たる対象は非ユダヤ人、即ち異邦人と申しあげてよいわけです。就中、使10:44-48〈異邦人も聖霊を受ける〉にその意図ははっきりしていると思います。
 「使徒言行録」は異邦人への伝道の過程で使徒たちが行った数々の説教、蒙った誹謗や迫害、起こした奇跡、そうして殉教について、書かれています。殉教とはイエス・キリストの教えに最後まで背くことなく死ぬことであります。後世は様々な意味合いで使われたこの「殉教」という言葉ですが、聖書に於いては、そうしてキリスト教社会では専らその死は、「殺害」という形で現れます。キリスト教は自殺を是としませんから、乃木大将や「先生」のような死は殉教とは呼ばないわけであります。
 「使徒言行録」にステファノというギリシア語を話すユダヤ人が登場します。「信仰と聖霊に満ちている人」(使6:5)と紹介されますが、まこと、イエス・キリストの信仰に篤く、遂には異邦人との議論の末讒言によって逮捕、石打ちによって殺害され、史上最初の殉教者となりました。
 その場に居合わせた人々のなかに、ファリサイ派で、キリスト者弾圧の先鋒であったサウロという人がいます。かれこそ後にイエスの奇跡を経験して回心し、キリスト教の熱心な伝道者となり、初期教会で一、二を争う程の貢献者となったパウロその人であります。「使徒言行録」の後半はこのパウロの伝道旅行が占めることになります。4回に及んだパウロの伝道旅行のうち、3回目でパウロは逮捕され、投獄されました。その後かれはローマへ護送され、皇帝に上訴することになります。これがだいたい後58年頃のこと。伝承では後60年代前半にかの地にて殉教したことになっています。「使徒言行録」はローマ護送の途中で筆が擱かれており、そのあとのパウロの動静についてなにも記していません。このパウロについては、いずれ独立した短いエッセイを書くこともあるでしょう。 
 フランシスコ会訳の解説に拠れば「使徒言行録」の背景となる時代は、そこに記された内容から推測して後46-60年の約4半世紀に及ぶ由。この頃のローマ帝国使を簡単ながら述べておきましょう。
 この約4半世紀の間、帝政ローマの皇帝であったのは第2代ティベリウス、第3代ガイウス(カリギュラ)、第4代クラウディウス、そうして第5代ネロでありました。共和制時代にあっては絶大な統治能力を発揮した元老院もこの頃には実権を失うたも同然となり、殊ガイウスとネロによる愚政・悪政が国体を危ぶませた。が、一方では市民生活に直結するライフ・ラインの整備や食糧の無償提供などが実施された時代でもありました。
 帝国版図は拡大され、ガリア(フランス・ベルギー)を北上してブリテン等に至り、属州ブリタニアが創設されてロンディニアム即ち今日のロンドンへの植民が開始されたのも、この時期であります。それはクラウディウス帝の御代、後43年頃のことでした。ローマ帝国が官僚制を導入して統治機構を確立、その基盤を揺るぎなくしたのもこのクラウディウス帝の御代でしたから、後41-54年まで帝位に在ったこの皇帝の時代にローマ帝国はおおまかな国体の完成を見、その後の発展の礎を築いたと申せそうであります。
 この時期、ローマ帝国はギリシア同様多神教であり、最高神祇官の主催によって個々の神への祭儀が執行されておりました。多神教であった理由はローマ帝国の占領地政策と密接なかかわりがあり、かの地の宗教を認めていたために自ずと多神教になった次第であります。
 が、やがて初代皇帝アウグストゥスが礼拝対象になり、ローマ市民にとっては一種のメシアとして扱われるようになります。そうして皇帝はいつしかギリシア語の「キューリオス」、訳せば「主」と呼ばれるようになりました。ユダヤ教の神も「主」、当時はまだユダヤ教イエス派というに過ぎない初期教会にとってイエスも「主」と呼びますが、厄介なことに、いずれも「キューリオス」というギリシア語があてられます。
 ──こうした混同とそれに伴う誤解、敵意、諸々の感情がキリスト教迫害へつながり、長じてはネロ帝の御代にあったローマの大火の首謀者としてキリスト者が、スケープゴート的に徹底的に弾圧される因子となったのでありました。
 「使徒言行録」とはそうした背景を持つ書物であります。
 ──本書が初期キリスト教会の活動を伝える書物であることは既に述べましたけれど、逆にいえば本書がなければ、キリスト教が如何にしてエルサレムから小アジア、ギリシアを経てローマへ伝わってゆき、多くの困難に遭いながらも人々の間に浸透していったか、そうしたことを知るのはとても困難な作業になったのではないでしょうか。また、ペトロやステファノ、パウロたちの<大きさ>を窺い知ることもままならず、一方でマルコやルカたちの素性も今日知られる程の情報はなかったことでしょう。「使徒言行録」はエルサレムからローマへ、という地理的なものを結び付けるのみならず、時間的には福音書と書簡を結ぶ点でも頗る重要な書物なのであります。
 それでは明日から1日1章の原則で、伝ルカ著「使徒言行録」を読んでゆきましょう。◆

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