第2052日目 〈使徒言行録第9章2/2:〈ペトロ、アイネアをいやす〉&〈ペトロ、タビタを生き返らせる〉with2015年上半期、最も思い出深い本;亀井勝一郎『大和古寺風物誌』〉 [使徒言行録]
使徒言行録第9章2/2です。
使9:32−35〈ペトロ、アイネアをいやす〉
ペトロはユダヤの町々を巡り歩いた。そのうちの1つ、エルサレム北西約30キロの位置にある内陸の町リダで、かれは8年も前から中風のせいで床に就いているアイネアという人を癒やした。
リダと近郊の町シャロンに暮らす人々は、起きあがって歩き回るアイネアを見て、主に立ち帰った。
使9:36−43〈ペトロ、タビタを生き返らせる〉
地中海沿岸の町ヤッファにはタビタという女弟子がいた。彼女はその地で数々の善き行いや施しをしたが、やがて病にかかって死んでしまった。
ヤッファの人々は近くのリダにいる使徒ペトロへ遣いを出して町へ来てもらい、タビタの遺体を安置した階上の部屋へ導いた。
彼女の遺愛の品を見せては悲嘆に暮れるヤッファの人々を見たペトロは、皆を部屋から退出させたあと、タビタのために祈り、そうして話しかけた。タビタよ、起きなさい。するとタビタは息を吹き返して半身を起こし、ペトロの手を借りて立ち、人々の前に姿を現した。
この一件はたちまちヤッファ中に知れ渡り、沢山の人々が主イエス・キリストを信じるようになったのである。
ペトロはその後しばらくの間、革なめし職人シモンの家に泊まった。
第9章<ペトロの癒やし>編である。
ここで紹介される挿話2つはあまり面白いものではない。タビタの生き返りはラザロのよみがえりを想起させ、これがペトロが最初に行った死者の生き返らせである、という以外には、特に関心を引くようなものではない。
が、これは次の第10章の露払い的役割を担う箇所である。心して読もう。小さな章節こそ肝心である。
それにしても、生き返った死者は生前の記憶を保っているのだろうか。感情や思考は元のままなのだろうか。死者は歌うか。死者は愛すか。使徒たちへ質問できるならば、それを一等最初に訊きたい。
倩今年上半期に読んだ本でいちばん思い出深いのは、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』(新潮文庫)である。
思えば5月に奈良へ旅したことは、自分のなかにあって眠っていた歴史や古典への興味を再燃させる起爆剤的役割を担ったと思う。あと数日で出発という日にどうして『大和古寺風物誌』を買う気になったのか、まったく以て思い出せないのだが、すくなくとも和辻哲郎の『古寺巡礼』よりは取っ付き易そうな印象は、たしかにあった。
が、旅の前から読み始めた箇所はどうしても記憶に残ることが殆どなく、正直なところ、あれから3ヶ月経ついまでも斑鳩宮について書かれた3つのエッセイは、聖徳太子の事績と、著者の上宮太子への敬慕が纏綿と綴られたものとしか受け止められないのだ。
宿泊先のホテルですることもなくなったとき、何の気なしに荷物から出してページを開いたのがこの本へどっぷりと浸かる瞬間でもあった。項目は法隆寺。初日は奈良−桜井を経て初瀬へ詣ったから市内観光は2日目より始まるわけだが、その皮切りとなったのが法隆寺である。いうなれば、予習を兼ねての読書だった。
顧みて本書から受けたいちばんの恩恵は、それに接したときの印象を大事にせよ、ということだ。どれだけ知識武装しても、接したときの印象に優るものはない。
本書の優れたる所以は、それが観光ガイドでもなく学術書でもなく、廃れる古都、荒れた古寺に接したときの印象を大切にした著者の精神史であり、いまや誰の手にも届かなくなった歴史を追慕した告白録であることだろう。わたくしにはそうした本の方が取っ付き易い。また結果として、幾度となく読み返すことのできる本との出会いになった。『大和古寺風物誌』は春に旅した奈良の古寺、仏像、風景、そうしたものを追体験し、いまもなお鮮やかに思い出させてくれる。
「初めて奈良へ旅し、多くの古寺を巡り、諸々の仏像にも触れた筈なのに、結局私の心に鮮やかに残ったのは百済観音だけであった」(P54)と著者はいう。その伝でいえば、初日に参詣した初瀬の観音様と3日目に小雨のなか訪ねた秋篠寺の伎芸天像を別にすると、わたくしの心に鮮やかに残っているのは法隆寺夢殿の救世観音と中宮寺の如意輪観音である。
この2つの像についてはいまも思い出すたび、胸が圧し潰されそうな苦しさと嗟嘆を覚えるのだ。それらを超越したところにある言い様のない優しさと美しさと安楽を感じるのだ。再び奈良を訪れて初瀬参詣を済ませた後にはわたくしは法隆寺を訪うて夢殿を拝し(従ってここへ詣るのは春か秋のご開帳の時期が良い)、中宮寺に廻って如意輪観音の前に端座してその<アルカイック・スマイル>を見あげ、反省と覚悟を固めるであろう。
本書は他に、唐招提寺や新薬師寺、東大寺などを取り挙げる。新薬師寺は事情あって殆ど通過状態だったのが残念だが、今回の旅行で訪れた唐招提寺のエッセイには感銘すること頻りで、けっして長い文章ではないけれど、実際にそこへ行った経験があるとないとでは、思うところはまったく違う。
唐招提寺の金堂の柱について触れた一節など、訪れたことのない者にはなかなかうまく捉えられない感覚なのではないか。どうして参詣者の多くがこの柱にもたれて、ほっ、としたであろうという感慨が著者のなかへ生まれたのか、想像することはできてもそれは立脚点なき想像であり、やはりこれを十全に知るためにはかの地へ行くより他ないのである。歴史的建築物を扱った、或いは歴史そのものを扱った書物には、往々にして現地へ行かねばけっしてわからない感覚や印象というものがある。それは仕方のないことで、だからこそそれらを読んでその地を旅しようという計画が生まれ、実行され、旅人は何かしらの記録を残すのだ。
──倩思うに『大和古寺風物誌』がわたくしにもたらしたのは、意識の回帰であったかもしれない。ここ数年聖書の読書にどっぷり浸かり、ユダヤ教やキリスト教へ関心を抱いていたわたくしに、あなたの拠って立つべきところ、帰るべきところは日本古典時代の文芸や国学、歴史なのですよ、と改めて知らせに来てくれた一種の福音。それが亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』であったように思うのだ。
帰ってきた数日後に読了した『大和古寺風物誌』を契機に、古本屋で亀井勝一郎の著書(文庫)を見附けると、余程のことがない限り購って、折りにつけ読むようになっている。実はそれ以前に買っていたが山積するなかに埋もれていた『青春論』と『恋愛論』、『愛の無情について』(いずれも角川文庫)を発掘、目に付くところに据え、加えて『人生論・幸福論』(新潮文庫)、『読書論』と『大和古寺風物誌』(いずれも旺文社文庫)が手に入った。著作集も欲しいけれど、ちょっとそれは我慢かな……。
古寺、という点に則していえば、既述の和辻『古寺巡礼』だが、これは正直手に余る一冊と私は思うていた。が、これも一旦なにかの機会に対峙する機会あれば、『大和古寺風物誌』同様に耽溺する一冊となるのだろう。岩波文庫の改訂版とちくま学芸文庫の初版を読み比べるのも面白そうである。◆
使9:32−35〈ペトロ、アイネアをいやす〉
ペトロはユダヤの町々を巡り歩いた。そのうちの1つ、エルサレム北西約30キロの位置にある内陸の町リダで、かれは8年も前から中風のせいで床に就いているアイネアという人を癒やした。
リダと近郊の町シャロンに暮らす人々は、起きあがって歩き回るアイネアを見て、主に立ち帰った。
使9:36−43〈ペトロ、タビタを生き返らせる〉
地中海沿岸の町ヤッファにはタビタという女弟子がいた。彼女はその地で数々の善き行いや施しをしたが、やがて病にかかって死んでしまった。
ヤッファの人々は近くのリダにいる使徒ペトロへ遣いを出して町へ来てもらい、タビタの遺体を安置した階上の部屋へ導いた。
彼女の遺愛の品を見せては悲嘆に暮れるヤッファの人々を見たペトロは、皆を部屋から退出させたあと、タビタのために祈り、そうして話しかけた。タビタよ、起きなさい。するとタビタは息を吹き返して半身を起こし、ペトロの手を借りて立ち、人々の前に姿を現した。
この一件はたちまちヤッファ中に知れ渡り、沢山の人々が主イエス・キリストを信じるようになったのである。
ペトロはその後しばらくの間、革なめし職人シモンの家に泊まった。
第9章<ペトロの癒やし>編である。
ここで紹介される挿話2つはあまり面白いものではない。タビタの生き返りはラザロのよみがえりを想起させ、これがペトロが最初に行った死者の生き返らせである、という以外には、特に関心を引くようなものではない。
が、これは次の第10章の露払い的役割を担う箇所である。心して読もう。小さな章節こそ肝心である。
それにしても、生き返った死者は生前の記憶を保っているのだろうか。感情や思考は元のままなのだろうか。死者は歌うか。死者は愛すか。使徒たちへ質問できるならば、それを一等最初に訊きたい。
倩今年上半期に読んだ本でいちばん思い出深いのは、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』(新潮文庫)である。
思えば5月に奈良へ旅したことは、自分のなかにあって眠っていた歴史や古典への興味を再燃させる起爆剤的役割を担ったと思う。あと数日で出発という日にどうして『大和古寺風物誌』を買う気になったのか、まったく以て思い出せないのだが、すくなくとも和辻哲郎の『古寺巡礼』よりは取っ付き易そうな印象は、たしかにあった。
が、旅の前から読み始めた箇所はどうしても記憶に残ることが殆どなく、正直なところ、あれから3ヶ月経ついまでも斑鳩宮について書かれた3つのエッセイは、聖徳太子の事績と、著者の上宮太子への敬慕が纏綿と綴られたものとしか受け止められないのだ。
宿泊先のホテルですることもなくなったとき、何の気なしに荷物から出してページを開いたのがこの本へどっぷりと浸かる瞬間でもあった。項目は法隆寺。初日は奈良−桜井を経て初瀬へ詣ったから市内観光は2日目より始まるわけだが、その皮切りとなったのが法隆寺である。いうなれば、予習を兼ねての読書だった。
顧みて本書から受けたいちばんの恩恵は、それに接したときの印象を大事にせよ、ということだ。どれだけ知識武装しても、接したときの印象に優るものはない。
本書の優れたる所以は、それが観光ガイドでもなく学術書でもなく、廃れる古都、荒れた古寺に接したときの印象を大切にした著者の精神史であり、いまや誰の手にも届かなくなった歴史を追慕した告白録であることだろう。わたくしにはそうした本の方が取っ付き易い。また結果として、幾度となく読み返すことのできる本との出会いになった。『大和古寺風物誌』は春に旅した奈良の古寺、仏像、風景、そうしたものを追体験し、いまもなお鮮やかに思い出させてくれる。
「初めて奈良へ旅し、多くの古寺を巡り、諸々の仏像にも触れた筈なのに、結局私の心に鮮やかに残ったのは百済観音だけであった」(P54)と著者はいう。その伝でいえば、初日に参詣した初瀬の観音様と3日目に小雨のなか訪ねた秋篠寺の伎芸天像を別にすると、わたくしの心に鮮やかに残っているのは法隆寺夢殿の救世観音と中宮寺の如意輪観音である。
この2つの像についてはいまも思い出すたび、胸が圧し潰されそうな苦しさと嗟嘆を覚えるのだ。それらを超越したところにある言い様のない優しさと美しさと安楽を感じるのだ。再び奈良を訪れて初瀬参詣を済ませた後にはわたくしは法隆寺を訪うて夢殿を拝し(従ってここへ詣るのは春か秋のご開帳の時期が良い)、中宮寺に廻って如意輪観音の前に端座してその<アルカイック・スマイル>を見あげ、反省と覚悟を固めるであろう。
本書は他に、唐招提寺や新薬師寺、東大寺などを取り挙げる。新薬師寺は事情あって殆ど通過状態だったのが残念だが、今回の旅行で訪れた唐招提寺のエッセイには感銘すること頻りで、けっして長い文章ではないけれど、実際にそこへ行った経験があるとないとでは、思うところはまったく違う。
唐招提寺の金堂の柱について触れた一節など、訪れたことのない者にはなかなかうまく捉えられない感覚なのではないか。どうして参詣者の多くがこの柱にもたれて、ほっ、としたであろうという感慨が著者のなかへ生まれたのか、想像することはできてもそれは立脚点なき想像であり、やはりこれを十全に知るためにはかの地へ行くより他ないのである。歴史的建築物を扱った、或いは歴史そのものを扱った書物には、往々にして現地へ行かねばけっしてわからない感覚や印象というものがある。それは仕方のないことで、だからこそそれらを読んでその地を旅しようという計画が生まれ、実行され、旅人は何かしらの記録を残すのだ。
──倩思うに『大和古寺風物誌』がわたくしにもたらしたのは、意識の回帰であったかもしれない。ここ数年聖書の読書にどっぷり浸かり、ユダヤ教やキリスト教へ関心を抱いていたわたくしに、あなたの拠って立つべきところ、帰るべきところは日本古典時代の文芸や国学、歴史なのですよ、と改めて知らせに来てくれた一種の福音。それが亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』であったように思うのだ。
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帰ってきた数日後に読了した『大和古寺風物誌』を契機に、古本屋で亀井勝一郎の著書(文庫)を見附けると、余程のことがない限り購って、折りにつけ読むようになっている。実はそれ以前に買っていたが山積するなかに埋もれていた『青春論』と『恋愛論』、『愛の無情について』(いずれも角川文庫)を発掘、目に付くところに据え、加えて『人生論・幸福論』(新潮文庫)、『読書論』と『大和古寺風物誌』(いずれも旺文社文庫)が手に入った。著作集も欲しいけれど、ちょっとそれは我慢かな……。
古寺、という点に則していえば、既述の和辻『古寺巡礼』だが、これは正直手に余る一冊と私は思うていた。が、これも一旦なにかの機会に対峙する機会あれば、『大和古寺風物誌』同様に耽溺する一冊となるのだろう。岩波文庫の改訂版とちくま学芸文庫の初版を読み比べるのも面白そうである。◆
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