第2058日目 〈使徒言行録第15章:〈エルサレムの使徒会議〉、〈使徒会議の決議〉&〈パウロ、バルナバとは別に宣教を開始する〉withろんちゃん、きみに幸あれ。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第15章です。

 使15:1-21〈エルサレムの使徒会議〉
 ユダヤ地方からシリアのアンティオキアへ下ってきたユダヤ人たちが、モーセの慣習に従って割礼しないとあなた方は救われない、と触れて回った。かれらユダヤ人と異邦人に宣教するパウロたちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。アンティオキアの教会は討議し、対処について使徒や長老たちと協議するため、エルサレムにパウロとバルナバを派遣することに決めた。
 2人はエルサレムへ上り、使徒や長老たちに会った。そうしてアンティオキアから携えてきた議題を提出した。ところが、ユダヤ教から改宗して信者になった元ファリサイ派の人々が立って、異邦人も割礼を受けて律法を守るべきだ、と主張したのだった。流石に立法尊重の立場だった人たちである。
 使徒ペトロは他の使徒と長老たちとこの件について議論を重ね、すべての会衆の前でこういった、──
 神があなた方の間からわたしを選んだのは、異邦人がわたしの口から福音を聞いて信じるようになるためでした。神はわれらに対するのと同じように、自分を信じて敬い、道を求めて正しく歩もうとする異邦人の上に聖霊を与えました。神は信仰によってかれらの心を清め、われらとの間にどのような差別もしませんでした。
 「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じるのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」(使15:11)
──と。
 会衆は続けて立ったパウロとバルナバから、異邦人改宗の実際について報告を聞いて、非常に感心した。かれらは異邦の地に赴いて神と共に在り、異邦人相手に宣教し、かれらの改宗を成し遂げてきたのである。
 そうして最後にエルサレム教会の指導者ヤコブがいった。神に立ち帰ろうとする異邦人を悩ませてはならない。慎むべきこと、控えるべきこと、避けるべきことのみ手紙に記して、かれらの許に届けよう。なんとなれば昔からそれぞれの町には律法を解説する者がいて、安息日になると会堂では律法が読まれているのだから。

 使15:22-35〈使徒会議の決議〉
 エルサレム教会はパウロとバルナバの随行者として、信者のなかでも指導者的立場にあるバルサバことユダとシラスを選び、アンティオキアへ派遣することに決めた。
 エルサレム教会がアンティオキア教会へ宛てた手紙の内容は、こうである、──
 聞くところによれば近頃そちらへ同胞のユダヤ人が行き、われらの指示なく独断で様々なことを触れて回り、あなた方を動揺させた由。そこでわれらはそのことを正すため、パウロとバルナバに加えてユダとシラスを派遣します。
 異邦人の兄弟たちよ、「聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」(使15:28-29)
──と。
 パウロたちはアンティオキアに到着するとすべての信者に集まってもらい、エルサレム教会からの手紙を読みあげた。かれらは、「励ましに満ちた決定を知って喜んだ。」(使15:31)
 預言者でもあったユダとシラスはその後しばらくの間アンティオキアへ滞在して、人々と語り合ったり励ましたりしたあと、見送られてエルサレムに帰った。パウロとバルナバはなおもアンティオキアに留まり、主の福音の言葉を告げ知らせたのである。

 使15:36-41〈パウロ、バルナバとは別に宣教を開始する〉
 その数日後。先の宣教旅行で訪れた町を再訪し、人々のその後の様子を見てこようではないか。パウロはそう提案し、バルナバは諾った。
 バルナバは先の宣教旅行に同行したマルコと呼ばれるヨハネを、今回も連れてゆきたかった。が、パウロは反対した。宣教活動の途中で離れて帰ってしまったような者とは一緒に行動できない。
 よってかれらはここに袂を分かった。バルナバはマルコを伴いキプロス島へ出発した。パウロはシラスを伴って、シリアやキリキア州から始めて小アジアを横断、ギリシアのマケドニアに至る宣教旅行を開始した。かれらはそれぞれに主の恵みを受けて、目的地に向かって発ったのである。
 パウロには第2回目の宣教旅行が、幕を開けた。

 すくなくとも公に記録される初の使徒会議の様子と、新約聖書で読む最初の書簡の内容が、本章にて記される。
 割礼を義務とするユダヤ人相手の宣教・礼拝はエルサレム教会が担当し、そもそも割礼を義務としない異邦人相手の宣教・礼拝活動はアンティオキア教会を拠点とする(と考えてよい)パウロたちが担当する。そのあたりをはっきりと線引きして明らかにしたのが、ここでの使徒会議とアンティオキア教会宛の書簡であるだろう。餅は餅屋に、ということか。
 これは小さなことかもしれないが、とても大きな意義を持つ出来事だ。西方への宣教の足掛かりを持たなかったエルサレム教会は、パウロという、自身改宗を経験したローマ市民を陣営に取りこむことで、それを可能にした。パウロなくしてキリスト教が世界宗教に成長することはなかった、という所以である。
 一方でパウロはエルサレム教会からの正式な任命(使15:25-26)を後ろ盾に、自分の行う宣教と説教が正統かつお墨付きであることを主張することが可能となった。それは自信にあふれ、説得力に満ち満ちた活動を生み出す要因となり、数々の<パウロ書簡>の執筆を促す契機にもなったのである。パウロは本章を以てキリスト教最大の広告塔になった、というてよいかもしれない。
 ──けっきょくマルコが第1回宣教旅行から離脱し、それが原因でパウロに疎まれた理由は定かでない。が、離反の理由はともかく、このマルコが使徒ペトロ、バルナバとパウロに親しく接した時期があったからこそ、「マルコによる福音書」が書かれたのであろうという、〈「マルコによる福音書」前夜〉で申しあげた意見に変わりはない。
 なお、使15:34は本文から欠落しており、補うと「しかし、シラスは(アンティオキアに)留まった」とある。パウロが随伴者としてシラスを選んだ使15:40との整合性を図るためには必要な一節だ。

 本日の旧約聖書は使15:16-17とアモ9:11-12,使15:20とレビ18:6-18及び同17:10-14。



 寿退社して渡米する上司と最後に職場で会う日、挨拶して別れて後に本稿起筆。
 その人と、初めて会った日からのことが走馬燈のようによみがえってきて、困る。これではいつまで経っても忘れらないではないか。感傷に耽りたくはないのだ。お別れとかそういうの、いちばん苦手なんだよ、おいら。
 それはともかく。
 いやぁ、第一印象は衝撃的だったね。お金を積まれたらそのときのことを話してあげる用意はあるが(えへ)、枠に捕らわれない思考と、悪くいえば型破りに近い行動力、豪放磊落にして気さくな人柄が大好きだった。憧れたなぁ。自分とは正反対の人だったもの。……んんん、まさしくアメリカンな方であったよ。
 でもね、この人がいてくれて、どれだけ気持ちが救われただろう。ぶつかったこともあった。手を結んだこともあった。月並みな言葉だけれど、いまはすべてが良き思い出。必要なときに必要な人と会う幸運に感謝している。
 結婚式の日にまた会おう。
 ろんちゃん、きみの未来に幸のみあれかし。◆


09261120;36

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