第2065日目 〈使徒言行録第21章:〈パウロ、エルサレムへ行く〉、〈パウロ、ヤコブを訪ねる〉&〈パウロ、神殿の境内で逮捕される〉withゴミ捨て場に本を見出すこと〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第21章です。

 使21:1-16〈パウロ、エルサレムへ行く〉
 マケドニアから小アジアへ渡り、アジア州ミレトスの港から、わたしたちは一路エルサレムを目指した。経由地はコス島、ロードス島、パンフィリア州パラタで、キプロス島を左手に見ながら航海し、やがてシリアのティルスへ到着した。わたしたちはティルスで荷物を陸揚げ、同州プトレマイスに一泊、そうして陸路カイサリアへ赴いて福音宣教師フィリポの家に泊まった。
 ティルスでは“霊”に動かされた弟子たちが、パウロのエルサレム行きを思い留まらせようと説得にあたった。カイサリアでは預言者アガボが、エルサレムでのパウロ逮捕を預言した。そんな人々に対して、パウロはいった、──
 「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られるばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」(使21:13)
 このように頑なに弟子たちの説得を退けるパウロに弟子たちは最早、主の御心がありますように、と言葉を手向けるが精々であった……。
 数日後、わたしたちはカイサリアをあとにした。パウロとわたしたちは途中、キプロス島出身の弟子/信者ムナソンの家に泊まりながら、エルサレムを目指したのである。

 使21:17-26〈パウロ、ヤコブを訪ねる〉
 エルサレムへ到着した翌日、パウロはわたしたちを連れて教会のヤコブに会いに行った。そこにはヤコブだけでなく、長老たちも集まっていた。パウロは今回の宣教旅行中、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行った数々の出来事を報告した。
 ヤコブはそれを喜んだあと、ところでパウロよ、と話し始めた、──
 主イエスの教えを信じる何万人ものユダヤ人が律法を守っている。しかしあなたは異邦の同胞に対して、割礼の禁止と慣習の否定を説き、モーセから離れるようなことを教えている、と聞いた。咨、このことについてわれらはどのように対処したらよいのだろう。あなたがエルサレムに来たことはかれらもやがて知ることだろう。ですからあなたはわれらのいうとおりにしてください。
 「だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります。」(使21:23-24)
 わたしたちは既に、異邦人で信者になった人々には手紙を書き送ってあります。それは偶像にささげた肉と血、絞め殺した動物の肉を口にするなかれ、淫らな行いに耽ることなかれ、というものです。
 ──翌る日、パウロは誓願を立てたという4人の若者を連れて神殿に行き、清めの儀式を行った。そうして、いつ清めの儀式が終わり、それぞれのために供え物をささげるかを説明した。

 使21:27-36〈パウロ、神殿の境内で逮捕される〉
 7日間の清めの儀式が終わろうとしていたときである。
 先達てヤコブがいうたように、パウロの宣教を邪魔したユダヤ人がアジア州からエルサレムくんだりまでやって来た。かれらは神殿で祈るパウロを発見するや、市中の人々に大声で触れて回り、パウロを民と律法と神殿を無視する不届き者呼ばわりした。おまけにギリシア人を立ち入らせて神殿を汚しているとまで言い立てた。
 この煽動は成功した。都は騒がしくなった。エルサレムの外郭に設けられた門という門が閉ざされた。市民はパウロに襲いかかり、捕らえ、境内から引きずり出した。人々はパウロを殺すつもりでいる。
 ──エルサレム市中に騒乱あり。その報を承けた守備大隊の千人隊長クラウディウス・リシアは,ただちに兵士と百人隊長を率いて現場へ急行した。ローマ軍の到着を知って人々は、パウロへの乱暴をやめた。
 千人隊長はパウロに乱暴を加えていた人々に、この男は何者か、かれがなにをしたのか、と質した。が、返答は怒号に掻き消されてよく聞こえなかった。
 なので千人隊長は兵に命じて、パウロを鎖2本で縛り、兵営に連行させた。途中の階段にさしかかろうというとき、パウロは千人隊長リシアを見て、口を開いた。ちょっと一言、よろしいでしょうか? それはギリシア語で問われた。
 パウロが自分と同じ言語を話せると知った千人隊長は、パウロに話の先を促した。
 わたしパウロはキリキア州タルソス出身のユダヤ人です。いまここでわたしを取り巻く同胞ユダヤ人に話をさせてくださいませんか。
 リシアはそれを許可した。パウロは階段の上に立ち、未だ興奮収まらぬユダヤ人たちを手で制し、やがて静かになったところにヘブライ語で話し始めた、──

 パウロの第3回宣教旅行が終わった(使21:15)。主語を<わたしたち>とする章句の続く箇所でもあるので、その旅程はやや辿りにくかったが、きちんと読んでゆけば混乱するようなところはまったくない。
 エルサレム教会の指導者ヤコブがパウロにいう、共に身を清める4人の頭髪を剃る費用を出してくれ、と(使21:24)。第2回宣教旅行の途中、パウロも「誓願を立てていたので」(使18:18)髪を切っている。誓願を立てたならばそのゆえに髪を切れ。これはおそらくナジル人の誓願を念頭に置いてのことだろう。
 特別の誓願を立ててナジル人となった者は、その誓願期間中は頭に剃刀をあててはならず、主なる神に献身している期間が満ちるまで頭髪は伸ばしたままにしておく。期間が満ちた日にはその人は贖罪の献げ物、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物を主にささげ、臨在の幕屋の入り口で献身の証しである頭髪を剃る。それは祭司に渡され、主の御前に奉納物としてささげられる(民6:2-20)。
 本章に即せば臨在の幕屋はむろんエルサレム神殿であり、このあとパウロは他4人の若者の頭髪をそこで剃る予定だったのかもしれない。
 ノート本文には反映させなかったけれど、パウロがギリシア語を話せることがわかった際、千人隊長はパウロに、ではお前は反乱を起こしたかのエジプト人ではないのか、と確かめる場面がある。
 それはヨセフス『ユダヤ古代誌』が報告する出来事に基づく。当時エジプト出身のユダヤ人がローマ帝国へ反乱を企てた。かれの指導の下、ゲリラが組織されてエルサレム郊外のオリーブ山を拠点としたものの、総督フェリクス率いるローマ軍の前に敗走。この時分、主犯たるエジプト出身のユダヤ人はまだ逃亡中だった。
 千人隊長リシアがパウロを疑ったのは、そうした理由からである。リシアはパウロがキリキア州出身であると聞いて安堵もしたろうが、心のどこかで落胆する部分もあったに相違ない。
 なお、総督フェリクスについては第23章にて改めて述べる。



 ゴミ捨て場は時として宝の山になる──特に資源ゴミの日は! 本が束ねられて捨て置かれているをの見たとき、わたくしの胸はときめき、早鐘を打つ。どんな本が処分されたのだろう。掘り出し物があったら人目を避けて、拾っちゃおうかな。そう考える。
 ゴミ捨て場から書籍を発掘した先達は非常に多くいるではないか。諸先輩にならえば良いだけの話だ。
 『それでも町は回っている』第14巻にて亀井堂静が幼き日の主人公嵐山歩鳥にシンパシーを抱くのは資源ゴミの日ではなかったか。そのとき亀井堂静は捨てられようとしている文庫の山を見附けてそれを漁っていた真っ最中でなかったか。『バーナード嬢曰く』第2巻で登校中の神林しおりがピケティ『21世紀の資本』を発見したものの拾う勇気を持てずに後悔したのはゴミの日だったのではないか。それを羞恥心なく(?)拾ってきて彼女にプレゼントしたのは主人公バーナード嬢こと町田さわ子ではなかったか。
 描写こそないものの『ビブリア古書堂の事件手帖』の篠川栞子も、同様の行動をしていても全く以て可笑しくはないだろう。シジスモンだってそんな場面に遭遇したらば遠慮なく、ためらいなく手を出していたはずだ。取り敢えず持って帰り、自宅でじっくり吟味、選別のあとで不要な書籍はゴミ捨て場へ放りに行き。
 嗚呼、麗しくも滑稽なる先達よ!!
 たしかゴミは業者によって回収されるまでは捨てた人に所有権があるから、それは一種の窃盗行為だけれど、ゴミ捨て場に出された本の山程輝いて見えるものはない。おそらく、そこにどんな本があるのか、一見したところでは確かめられないもどかしさもあるか。秘事を覗き見るにも似た愉しみ……屋根裏の散歩者と五十歩百歩の好奇心が、人にはある。本好き、読書家、愛書家、コレクターを突き動かすものが、ゴミ捨て場の本の山にはごっそり詰まっている。
 もっとも、そこに喉から手が出る程欲しい本があったとしても、その1冊(とは限らないよね?)に手を伸ばすのは非常に度胸がいるものだ。羞恥心が、プライドが、世間体が、極めて自然な欲求に蓋を閉めようとする。為にそんな光景に接した小心者のコレクターはまず横目で本の山をチェックして、回収時間までに万策を尽くしてそれを、或いはそこからお目当てのものを、回収しようと情熱を傾ける。そんな時間があるならば、なんていう常識は、もうかれらには通用しない。信念と執心の前に常識は無意味だ。
 ……が、そんなときに限って悲劇は訪れる。お目当ての本はもう既に誰かの手によって引き抜かれている、という悲劇がっ!! そうして不甲斐ない自分に腹を立て、ためらうことなく本をかっさらっていった<ヤツ>を秘かに恨み、称賛し、そんな自分に気付いて地団駄を踏むわけだ。罵倒と尊敬は紙一重である。斯くしてそのゴミ捨て場は負け戦の現場となるのだった。
 が、昨今ゴミ捨て場に本の山が出ていることは少ない。1ヶ月に1度でも遭遇できれば幸運だ。みんな、どこで本を買っているのだろう、と思う一方で、そうか、こんなところにも日本人の読書離れを窺い知ることができるのかもしれないな、と思索してみたりする。ゴミ捨て場の社会学、といったところかな。これをホラー小説に転じれば、クライヴ・バーカーの『禁じられた場所』を彷彿とさせるものができるのかもしれないね……ふむ。◆

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