第2067日目 〈使徒言行録第22章2/2&第23章:〈パウロ、最高法院で取り調べを受ける〉、〈パウロ、総督フェリクスのもとへ護送される〉他with「使徒行伝」読了後のこと。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第22章2/2と第23章です。

 使22:30-23:11〈パウロ、最高法院で取り調べを受ける〉
 どうしてユダヤ人はパウロを訴えるのか。その理由を知りたいと思うた千人隊長リシアは祭司長たちや最高法院の議員全員を招集、かれらの前にパウロを立たせ、まずは弁明させた。
 今日に至るまでわたしは良心に従って神の前に生きてきました。パウロはそういった。自分の前に居並ぶ人々のなかにファリサイ派とサドカイ派の人々がそれぞれいるのに気附くと、かれは声を大きくしてこう話した。わたしは生まれながらのファリサイ派です、死者が復活するという希望を抱き信じているからです。
 パウロの言葉が呼び水となったかのように、ファリサイ派とサドカイ派の間で論争が起こった。改めて説明すると、復活や天使、霊をファリサイ派は認めており、一方サドカイ派はこれらを否定するのである。──ファリサイ派のなかの数人の律法学者が赤ら顔で興奮して立ちあがり、パウロを指して、この人にはなんの悪い点もない、霊か天使がかれに話しかけたのだろうか、というた。
 互いの論争は激化し、議場は熱くなった。そうして一致点は到底見出せず、論争は泥沼化の様相さえ見せてきた。千人隊長は危険を感じて、パウロを兵営に連れて行くよう命じた。取り調べは混乱のなかで打ち切られた。
 「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。『勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。』」(使23:11)

 使23:12-22〈パウロ暗殺の陰謀〉
 夜明けの刻。40人以上のユダヤ人が集まり、パウロ暗殺を計画した。かれらは祭司長たちや長老たちに、今一度パウロの取り調べを行うよう最高法院に掛け合い、千人隊長へ願い出てほしい、と頼んだ。かれらユダヤ人の計画は、兵営から議場へパウロが連行されている途中、隙を突いてこれを襲撃した後パウロを殺害しようというものだった。
 が、計画は知られることとなった。パウロの姉妹の子がこの相談を陰で聞いていたのである。この若者はさっそくパウロのこのことを伝えた。パウロは百人隊長を呼び、若者を千人隊長のところへ連れて行くように、といった。この者がなにやらお耳に入れたいことがあるようです。百人隊長はそうした。
 千人隊長は若者からユダヤ人の計画を聞くと、このことは誰にも話してはならない、と釘を刺した上でかれを帰らせた。

 使23:23-35〈パウロ、総督フェリクスのもとへ護送される〉
 千人隊長クラウディウス・リシアはただちに行動を起こした。歩兵200,騎兵70,補助兵200を準備し、今夜9時にカイサリアへ向けて出発するよう百人隊長2名に命じたのである。目的は、カイサリアにいる総督フェリクスの許へパウロを護送し、かれの安全を図るためである。
 このとき、リシアは総督に宛てて手紙を認め、部隊に託した。曰く、ユダヤ人たちに殺されようとしていたパウロを救出したこと、このパウロがローマ市民であること、いままたユダヤ人たちがパウロ暗殺を画策していることなど。「ところが、彼が告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由はないことが分かりました。」(使23:29)そうして、この件を告発者たちには直接閣下に訴え出るよう伝えてあります、とも。
 ──部隊はエルサレムを出発すると、サマリアとユダヤの州境の町アンティパトリスを経由してカイサリアに到着。千人隊長の書簡は総督フェリクスに渡された。
 フェリクスはパウロがキリキア州出身だと本人から直接聞いた後、告発者たちがカイサリアに着くまでヘロデの官邸に留置しておいた。

 パウロが弁の立つ者であったことは、これまでの宣教旅行やエルサレム教会、神殿での記事から明らかだ。本章でもその際は如才なく発揮されている。パウロはその場にいた大祭司アナニアを軽くいなし、ファリサイ派とサドカイ派の間に復活の是非についての議論を生じさせ、結果的に取り調べを中断させた。敵を炙り出すには一滴の毒を起爆剤代わりに落とせばよいのである。そうしてこれはわが身を火中から救い出す、この場に於いては唯一無二の方法──たった一つの冴えたやり方にもなった。
 福音書の時代、ローマ帝国属州ユダヤを統治する総督はポンティオ・ピラトであった。イエスの死から約20年が経過しようとしている「使徒言行録」第23章当時、総督の地位にはフェリクスが就いていた。次章ではこのフェリクスの後任としてポルキウス・フェストゥスが赴任したことが報告されている。
 パウロの護送部隊がカイサリアへの途中で寄った町、アンティパトリスはサマリアとユダヤの州境近くにあり、エルサレムを北北西へ進んで約50キロ程の場所に位置する。ローマ帝国が領内に敷いた軍用道路の合流点、ゆえに要衝の一つだが、ここは旧約聖書の時代サム上4にてイスラエルと戦うペリシテ軍が陣を置いたアフェクである、と伝えられる(神の箱/契約の箱/聖櫃がこのときペリシテ人に奪われた:サム上4:21)。以後は専ら荒廃していた様子のこの町をヘロデ大王が前9年に再建、父へロデ・アンティパス2世を讃えてアンティパトリスと命名したという。パウロ護送に同行した兵のうち、歩兵200名はアンティパトリスまで同行して、到着するとエルサレムへ帰投した(使23:31-32)。

 本日の旧約聖書は使23:5と出22:27。



 どうにかこうにか更新を続けている「使徒言行録」ですが、ようやく先が見えてきました。
 調べなくてはならないことがたくさんあって、福音書や、旧約聖書諸巻に較べてもずいぶんと時間を喰ってしまったように思います。読者諸兄には大変ご迷惑をお掛けしたけれど、「先が見えた」という一言を申しあげられるようになっただけでも、個人的には感無量であります。
 その上で図々しいことをいうようだけれども、「使徒行伝」が終わって「ローマの信徒への手紙」を読むまでの間は、週1回のエッセイ更新のみでどうにか露命をつなごうと思います。これまでのこと、今後のことでさまざま憤激される向きもありましょうが、これも本ブログを最後の瞬間まで生き永らえさせるための手段と思い、この事実のみお汲み取りいただきたく存じます。ご理解ください、とは、到底申しあげられませんや……。
 では、ちゃお!◆