第2055日目 〈使徒言行録第12章:〈ヤコブの殺害とペトロの投獄〉、〈ペトロ、牢から救い出される〉&〈ヘロデ王の急死〉withしばらくエッセイは休載します。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第12章です。

 使12:1-5〈ヤコブの殺害とペトロの投獄〉
 於エルサレム、除酵祭の時期。ヘロデ・アグリッパ1世は教会へ迫害の手を伸ばし、12使徒の1人ヤコブを殺害した。
 これを見てユダヤ人が喜んだので、続いてヘロデはペトロを捕らえて、命じて獄へつないだ。次の過越祭のあとで、民衆の前に引き出すつもりだったのである。
 その頃、教会ではペトロのために熱心な祈りがささげられていた。

 使12:6-19〈ペトロ、牢から救い出される〉
 いよいよ民衆の前に引き出されるという日の前夜、主の天使が現れてペトロを導き、救った。
 ペトロは寝ている自分の脇腹を誰かがつつくのに気附いて、目が覚めた。それは主の天使だった。ペトロは4人1組の番兵4組に監視されていたのだが、主の天使が訪れたのは夜だったので番兵は皆眠っていた。
 主の天使の導きで「ペトロは外に出てついて行った」(使12:9)が、「天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った」(同)のだった。衛兵所を過ぎて獄舎の門の外まで来たとき、ペトロは、はっ、とわれに返った。主の天使が離れたからだ。自分が救い出されたことを知るとペトロは、マルコと呼ばれるヨハネの母マリアの家に行った──。
 さて、その頃マリアの家にはペトロの解放と生還を祈る人が大勢集まっていた。ペトロが家の門扉を叩くと、ロデなる女中が出て来た。彼女は訪問客が誰であるかを知ると、大いに喜び、家のなかの人々へそのことを告げて知らせた。人々は訝しみ、信じようとしなかったが、試しに門扉まで行くとたしかにペトロがそこにいたので、驚き、喜び、神に感謝した。
 ペトロは自分の無事と主の天使の導きのことを話し、このことを教会の指導者ヤコブと兄弟たちへ伝えるよう命じた。
 一方、ヘロデ・アグリッパ1世はペトロ行方不明の責を番兵たちに取らせ、エルサレムからカイサリアへ下り、そこにしばらく滞在した。

 使12:20-25〈ヘロデ王の急死〉
 ティルスとシドンの住民はひどく困っていた。ヘロデ王の立腹は収まる様子がなかったからである。ティルスもシドンも、ヘロデ王の所領地から食糧の供給を受けていたので、それが滞り、途絶えるのはまさしく死活問題だったのだ。為に人々は王の侍従プラストに近附き、和解の道を模索した。
 神により定められたその日、ヘロデ・アグリッパ1世は民の前で演説した。それを聞くために「集まった人々は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。」(使12:22-23)
 ──神の言葉はますます栄え、広がってゆく。エルサレムへ援助物資を届けに来て役割を果たしたパウロとバルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを伴ってアンティオキアへ戻っていった。

 使7にてキリスト教初の殉教者の最期が物語られた。本章では、初の、そうして唯一の12使徒の殉教が描かれる。唯一とは、使徒のうちヤコブ1人が殉教した、ということではない。「使徒言行録」のみならず新約聖書で、このヤコブ1人のみ殉教が記されているのだ。
 12使徒のうちではパウロと同じ時期にペトロが殉教し、専ら皇帝ネロによるキリスト教弾圧の時代にアンデレ以下のメンバーも順次殉教していった。12使徒で殉教を免れた、自分の名前の十字架を持たぬのは、ゼベダイの子でヤコブの兄弟、福音書と幾つかの書簡の著者とされるヨハネのみだ。使徒のなかで最初に殉教した者と殉教から逃れて天寿を全うした者が兄弟であったことは偶然であろうが、わたくしはこの奇妙な暗合におもしろみを感じる。
 ヘロデ・アグリッパ1世は洗礼者ヨハネを斬首して、一書に曰く妻の連れ子サロメに洗礼者の首を所望されたヘロデ・アンティパスの甥である。ローマ帝国により属州ユダヤの統治を委任されたヘロデ朝の支配者で、在位は後37-44年。ファリサイ派に近しい立場を取り、キリスト者を迫害したのは本文にある通りだ。
 ヨハネとも呼ばれるマルコは「マルコによる福音書」著者とされるのは、既にその〈前夜〉で述べたが、かれがパウロの弟子となったのは使12:25が契機となったようである。やがては原因不明ながらも袂を分かつ2人だが、かれらが共にあった時期なくして「マルコによる福音書」は書かれなかったかもしれない。パウロの第1回宣教旅行も今日われらが知るのとはまた少し違っていたかもしれない、と思うのである。
 次章から「使徒言行録」はそのパウロの宣教旅行とかれの演説、説教の報告と記録を主旨とするようになる。



 しばらくの間、エッセイを併載することは控えることにした。
 「使徒言行録」が終わったあとのネタをストッしておきたい、というのが本音だけれど、これから先本書は感想・解説のなかで古代ギリシアやローマ帝国の文物、神話などについて触れてゆくこと多々となるであろうため、短かろうと長かろうとエッセイに割くだけの余裕を持てないことが、朧気ながら判明したからである。
 旧約聖書(並びに続編)で<歴史>にカテゴライズされる書物群を読んでいたときは、却って参考になる資料、文献が限られていたのに対し、今度はそれがありすぎるという事態に困っている。「使徒言行録」の原稿を書いてゆくとき外部資料に頼らなくてはならないいちばんの候補は、やはり古代ギリシアの哲学や社会構造だ。簡単に表面をなぞるぐらいで、それを鵜呑みにした文章を書いて良いなら『山川世界史』だけを頼ればこれ程楽なことはあるまい。が、それをわたくしは厭う。複数の資料や文献に目を通さねば気が済まないのである。
 となれば、それだけ時間を要することは必定。まず「使徒言行録」本文に目を通し、必要であれば時代背景や固有名詞にチェックを入れて、そのあと資料にあたり、消化して、文章を書いてゆく。場合にとってはこの作業に数日を費やすこともある。こうしたことが今後は数日続くことが予想されるのだ。となれば、断腸の思いで(ん?)エッセイの併載を諦める他あるまい。むろん、言い訳と揶揄されるのは承知している。でも、会社勤めしているとこんなことは間々ありますよ。
 このまま順調に進めば「使徒言行録」も来月なかばにはつつがなく終わりを迎えられるだろうから、それまでにスタバへこもって、1ヶ月分ぐらいのネタ出し作業を強行しよう。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。