第2056日目 〈使徒言行録第13章:〈バルナバとサウロ、宣教旅行に出発する〉、〈キプロス宣教〉&〈ピシディア州のアンティオキアで〉〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第13章です。

 使13:1-3〈バルナバとサウロ、宣教旅行に出発する〉
 アンティオキアの教会へ集う預言者や教師たちの上に聖霊が降り、サウロとバルナバを指名して伝道の旅に出すよう命じた。人々はかれらの頭の上に手を置き、出発させた。

 使13:4-12〈キプロス宣教〉
 サウロとバルナバはシリアのアンティオキアを発ち、地中海沿岸の町セレウキアへ行った。かれらはそこからキプロス島へ渡り、港町サラミスに上陸した。サウロことパウロによる第1回宣教旅行が始まったのだ。
 島全体を巡り歩いたかれらは島の南岸パフォスへ行き、魔術師バルイエス(エリマとも)を挫いた。魔術師とは知る仲だったこの地の地方総督セルギウス・パウルスはその様子を見て、「主の教えに非常に驚き、信仰に入った」(使13:12)のである。

 使13:13-52〈ピシディア州のアンティオキアで〉
 さて、パフォスで魔術師を挫いたパウロとその一行は、そこの港からキプロス島をあとにし、小アジアはパンフィリア州ペルゲの港に到着した。その地でエルサレムから随伴してきたマルコと呼ばれるヨハネはパウロたちと別れ、そのままエルサレムへと戻ってしまった。理由ははっきりしない。
 パウロとバルナバはピシディア州のアンティオキアへ行き、安息日に会堂で律法と預言者の書が朗読されるのを聞いた。そのあと会堂長たちに促されて立ったパウロは、人々を前にしてこういった、──
 皆さん、ご存知のようにわれらの先祖は御腕を高く上げた主なる神の導きにより出エジプトを果たし、40年の間荒れ野を彷徨う生活を経験した後約束の地カナンへ入り、士師たちの時代を経てサウル、ダビデを王に戴く国を得ました。そうして長い時間が経ったあと、神はかねてからの言葉通りダビデの子孫から救い主イエスを現し、われらへ送ってくれたのでした。イエスは洗礼者ヨハネが自分のあとから来る方というた方であり、その履き物を脱がす資格もない、というた相手でありました。
 「兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。」(使13:26)
 が、エルサレムの祭司長やファリサイ派、律法学者、そこに暮らすユダヤ人はイエスを認めず、信じず、言葉を聞かず、業を見ず、総督ピラトの判決を退けてあくまでイエスを反逆者、謀反人、罪人として裁き、死刑に処すことを望み、その旨訴えました。けっきょくイエスは磔刑に処されて十字架上で死にました。斯くしてそれまでイエスについて語られていた事柄はすべて実現したのです。
 しかしその後、イエスは復活しました。生前ガリラヤからユダヤ/エルサレムへ共に下った人々の前にイエスは姿を現したのです。それも何日にもわたってです。かれら使徒はその出来事の証人です。「つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。」(使13:33)
 かのダビデ王でさえ死して後は朽ち果てました。が、神が復活させたその方イエスは──詩篇にもいうように──朽ち果てることはないのです。
 「だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。」(使13:38-39)
 ──話し終えて会堂を出ようとするパウロたちに、人々は、次の安息日も是非来て話をしてください、と頼んだ。多くのユダヤ人や改宗した異邦人が、会堂をあとにしたパウロたちに付き従った。パウロとバルナバは人々に、神の恵みの下に生き続けるように奨めた。
 「しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわたしたちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、/あなたが、地の果てにまでも/救いをもたらすために。』」異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。」(使13::45-49)
 にもかかわらず、ユダヤ人が町の人々を煽動してパウロたちを迫害するので、2人はピシディア州のアンティオキアを追い出されて後はリカオニア州のイコニオンへ向かったのだった。

 パウロは都合4回、宣教旅行を実施した。「使徒言行録」に記録されるのは第1回から第3回まで。本章から第15章第4節までは第1回宣教旅行の様子が綴られる。
 伝道(宣教)と迫害(弾圧)がコインの表裏、常にセットで語られるのは、なにもいまに始まったことではない。既にそれはイエス生前から、否、旧約聖書の預言者たちの時代からあった。新しい何かのために行動し、実現させようと尽くすものは、かならず旧態勢力の、どちらかといえば論理よりも感情に支配されたむくつけき抵抗に遭って、苦しめられる。
 われらはそれを、本章のパウロたちに見る。今後も同様の報告、乃至は歴史に接してゆくことになるだろう。
 後の第2回宣教旅行でパウロとバルナバは、マルコを随伴者とするか否かで議論し、袂を分かつことになるが、これについてはまた明後日の話題とする。
 なお、使13:9「パウロとも呼ばれていたサウロ」が、パウロという名の初出である。

 本日の旧約聖書は使13:19aと申7:1,使13:19bとヨシュ14:2,使13:21aとサム上8(全),使13:21bとサム上10:21-24,使13:22とサム上13:14及び同16:12,使13:33と詩2:7,使13:34とイザ55:3,使13:35と詩16:10,使13:41とハバ1:5,使13:47とイザ49:6。◆

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