第2059日目 〈使徒言行録第16章:〈テモテ、パウロに同行する〉、〈マケドニア人の幻〉他〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第16章です。

 使16:1-5〈テモテ、パウロに同行する〉
 シリアのアンティオキアを発ったパウロは陸路で小アジアを東から西へ移動し、途中、キリキア州デルベやパンフィリア州リストラの町を再訪した。
 そのリストラの町にテモテという青年がいた。かれの父はギリシア人、母はユダヤ人で信者だった。パウロはかれを宣教旅行に同行させたかったので、ユダヤ人の手前、割礼を施した上で従者とした。
 一行は遠近の町々を巡り、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るよう人々に伝えた。こうしたことがあったので、異邦の地にある教会は信仰を強め、信者も日毎に増えていったのだった。

 使16:6-10〈マケドニア人の幻〉
 聖霊によってアジア州で御言葉を語ることを禁じられ、イエスの霊によりピティニア州へ入ることが許されなかったパウロ一行は、そのまま小アジアを西へ移動し、ミシア地方を横断して西端の港町トロアスに至った。
 目の前には海があった。エーゲ海である。海を渡ればそこはギリシア、マケドニアだ。アンティオキアもエルサレムも、かれらの背中ずっと後ろに、離れてある。思えば遠くへ来たものだ。
 トロアス滞在の晩、パウロは幻を見た。そこには1人のマケドニア人が立っており、パウロに、どうかマケドニアへ来てわれらを助けてください、と懇願していた。
 「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。」(使16:10)

 使16:11-15〈フィリピで〉
 パウロとわたしたちは船でトロアスの町をあとにすると、サモトラケ島を経てネアポリスの港に着き、そこからマケドニア州第一区の都市にしてローマの植民都市であるフィリピへ向かった。わたしたちの滞在は数日に及んだ。
 この町には離散ユダヤ人が多くないせいか、教会というものがない。そこでわたしたちは町の外に出て、祈りの場所があると教えられた川岸へ行ってみた。川岸には人が集まっていた。
 わたしたちはそのうちの1人で、アジア州ティアティラ出身で紫布を商う婦人、リディアと知己になり、話をした。彼女は信心篤い人だった。「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。」(使16:14)
 彼女も家族も洗礼を受けたが、彼女はなかば強引にわたしたちを自分の家に泊めた。

 使16:16-40〈パウロたち、投獄される〉
 わたしたちが祈りの場所へ行く途中で出会った女奴隷には占いの霊が取り憑いていた。彼女の主人たちは占いの霊を商売道具としていたので、ずいぶんと懐が潤っていた様子である。
 わたしたちがどこへ行くにもその女奴隷はずっとついてきて、さんざんわたしたちについて囃し立てるのだった。曰く、この人たちはいと高き神の僕で皆さんに救いの道を説いて回っているのです、と。このことは何日も続いた。
 何日も続いたので、遂にパウロは彼女に取り憑く占いの霊に向かって、いますぐこの者から出て行け、と命じた。霊はその場で女奴隷から出て行ったが、商売道具をなくした彼女の主人たちはパウロに激昂した。
 かれらはパウロとシラスを捕らえて広場へ連れてゆき、役人たちに引き渡した。この者どもはローマ市民であるわれらが到底仰ぎ、崇めることを諒としない風習を宣伝して、われらを不安にさせています。女奴隷の主人たちは、そういった。広場にいた群衆も、かれらに同調してパウロとシラスを責める始末だ。
 パウロとシラスの身柄を引き継いだ役人たちは、まず2人の衣服を剥ぎ取り、警備を厳重にしたいちばん奥の牢に放りこませた。かれらの足には、木の足枷。
 真夜中頃のことだ。パウロとシラスは賛美歌を歌い、神に祈っていた。他の囚人たちはそれに聴き惚れ、じっと耳を傾けている。するとそこに大きな地震が起こり、牢は崩れ、囚人たちの鎖も外れた。
 「目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。 パウロは大声で叫んだ。
 『自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。』
 看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。『先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。』二人は言った。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。』
 そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。」(使16:27-34)
 ──夜が明けると高官たちの命令により、パウロとシラスの釈放が決まった。それを伝えに来た下役にパウロがいう、高官たちはローマの市民権を持つわたしたちを裁判にもかけず、ただ広場に集う公衆の面前で鞭打っただけで投獄した、なのに釈放は秘かに行おうというのか、そんなことがあっていいはずはない、高官たちは自らここへ足を運んでわたしたちを釈放すべきである、と。
 下役たちが報告したこのパウロの言葉に卒然となった。「高官たちは、二人がローマ帝国の市民権を持つ者であると聞いて恐れ、出向いて来てわびを言い、二人を牢から連れ出し、町から出て行くように頼んだ。」(使16:38-39)
 晴れて出獄したパウロとシラスはリディアの家に行き、信者を励ました。そのあと、かれらは次の宣教地へ出発したのである。

 使16:10に唐突に出る「わたしたち」について、特に深入りして考える必要はない、と考える。トロアスからパウロたちに同行した人物であり、古来より教会や学説はこれを医者ルカであるとしてきたことを踏まえておればじゅうぶんだ。
 ルカ自身はシリアのアンティオキア出身であるとされるが、この一人称の主は(それが実際のところ誰であれ)当時小アジア西端の町トロアスに住んでおり、いきさつは未詳だが理由あってパウロ、シラスの随伴者となったのだろう。もっと正確なところを調べたい、と考えるなら図書館にこもって文献を調べ、照合し、自分なりの結論を出せばよい。
 わたくし自身は、それはおよそ文学上の表現に限りなく近く、厳密な意味で使われているとはあまり思えない、という立場を取る。ただ、なんらかの形でルカがかかわりを持った表現ではあるだろう。
 真実がどこにあるにせよ、ここに一人称の視点が導入されたことで、「使徒行伝」に於けるパウロ宣教旅行の記事は一段と生彩に富み、面白みを加えたようである。
 パウロは生まれながらのローマ市民であった(使22:28)。かれ自身が獲得したものではなく、かれの両親が市民権を持つ者であったのだ。以前にも本ブログでローマ市民権について触れたことがあったけれど(第1632日目)、それが如何なるものだったのかは書いていないはずなので、備忘も兼ねて、改めてここで粗術しておこう。
 パウロは使16:37にて、われはローマ市民なり、と声高らかに宣言して役人たちをたじろがす。『十二夜』に於いてヴァイオラが誇らかにわが名を宣言したにも似て。白鳥の騎士が朗々たる調子でわが名と素性を明かしたにも等しく。
 ローマ市民、パウロ。しかも生まれながらの! それは両親がローマ市民であったことを意味する。祖父か父が戦場にて武勲をあげたか、なんらかの功あって授けられたか、或いは千金を積んでその栄に浴したか。実際は定かでないが、ローマ市民権を持っていたことは、パウロを一度ならず二度までも助けている(使16:39,使22:29)。
 ローマ市民はまずなによりも縛りつけや鞭打ちのような屈辱的な罰が免除された。後にパウロが行うように、皇帝に上訴する権利もあった(使25:10-12)。また、ローマにいさえすれば投票権もあった。
 市民権はローマ生まれの者、ローマ住民のみでなく、そこ以外の町の生民、住民であっても取得できた。勿論後者はその町の市民権も持つのだから、人によっては居住地とローマ、2つの市民権を持っていたのである。なによりもパウロ自身、キプロス州タルソス市民権とローマ市民権の両方を持つ。
 異邦の地で宣教活動を行うパウロにとって、ローマ市民権は旅の安全と身の安全を約束する護符に等しかったであろう。卑近な例を出せば、水戸黄門に於ける印籠の如き切り札、か。
 本章でパウロはフィリピの町の広場で、宣教を快く思わぬユダヤ人たちにより役人へ身柄を引き渡された。次の第17章でもかれはアテネの町の広場で人々と論じ合う。
 パウロが活動したローマ帝国時代、さかのぼって共和政ローマ、そうして端緒、古代ギリシア社会に於いて広場は社交の場というのみに非ずして情報交換の場、知的談義の場、世論形成の場であった。勿論、思想や哲学の形成される舞台であった。こうした広場の役割は17世紀ヨーロッパになるとカフェが取って代わることになる。
 古代ギリシアの広場で活動した哲学者、思想家はわれらが想像する以上に多くいたことだろう。今日も名のある人物ではプラトンやアリストテレス、ソクラテスが、ここで自分の思想を市民相手に鍛えあげ、キケロやセネカが政治家糾弾や社会改革の演説を市民相手にぶっていた。
 こうした名残の色はわずかも色褪せることなく為政者が交代したあともあり続け、そうして推定、後51-52年頃パウロはマケドニアの町の広場に姿を現し、「使徒言行録」はその様子を斯く綴ったのである。
 ……本来ならばパウロの行程の一サモトラケ、就中この島で発掘されて現在はルーブル美術館の所蔵品であるニケ像についても触れる予定だったが、数日にわたる本章と次章の原稿執筆に疲れて力尽きんとしているため、後日の別項とさせていただくことをここに申しあげておく。◆

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