第2060日目 〈使徒言行録第17章:〈テサロニケでの騒動〉、〈ベレアで〉&〈アテネで〉〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第17章です。

 使17:1-9〈テサロニケでの騒動〉
 その後パウロとシラスはフィリピを発ち、マケドニア州アンフィポリスとアポロニアを経て、同州テサロニケに到着した。
 かれらはここの会堂で、聖書を引用してユダヤ人と議論を交わし、またメシアについて宣べ伝えた。結果、テサロニケのユダヤ人のうちで、「ある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。」(使17:4)
 が、これを妬んだユダヤ人もいた。かれらは徒党を組み、広場のならず者たちを雇って暴動を起こした。そうしてパウロたちを匿っていたヤソンと数人の兄弟を捕らえた。というのも、どれだけ捜してみてもパウロとシラスを見附けられなかったからである。
 このユダヤ人たちがヤソンと兄弟を当局へ引き渡した際の台詞;テサロニケの秩序を壊乱しようとしているパウロは、皇帝陛下の勅命を無視して、イエスという別の王がいる、と触れて回っています。
 これを聞いて動揺した当局は、ヤソンたちに保証金を支払わせて、さっさと釈放した。

 使17:10-15〈ベレアで〉
 弟子たちの尽力でテサロニケから同州ベレアへ脱出したパウロとシラスは、そこの会堂でもユダヤ人相手に福音を宣べ伝えた。
 「ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人たちや男たちも少なからず信仰に入った。」(使17:11-12)
 が、ここにもテサロニケのユダヤ人たちが追い掛けてきて、パウロたちの活動を妨害するのであった。テモテとシラスはこの地で宣教を続けるため残ったが、パウロは人々の尽力でマケドニアを南下、アテネに向かった。
 パウロは自分をアテネまで送ってくれた人々に、シラスとテモテへの伝言を託した。なるべく早くこちらへ来るように。かれらはパウロの伝言を携えて、ベレアへ戻っていった。

 使17:16-34〈アテネで〉
 アテネの町の至る所に偶像があった。パウロはこれを見て憤慨した。
 かれは広場に行き、民衆と論じ合い、ストア派やエピクロス派の哲学者相手に討論した。が、人々はパウロの語る事柄が理解できなかった。理解が及んだとしても、パウロは外国の神の宣伝をしているのだ、と思うが精々で。
 そこで人々はパウロをアレオパゴスへ連れて行き、あなたが語るイエスと復活の福音を、われらに教えてほしい、といった。
 パウロ斯く語りき、──
 アテネの皆さんが信仰篤い方々であるのはわたしも認めています。というのも、町のあちこちに飾られた異郷の神の偶像に混じって、わたしは「知られざる神に」と刻まれた祭壇を見ることもあったからです。
 わたしは皆さんが知らないこの神について宣べ伝えている者です。
 世界とそのなかの万物を創造した神が、わたしが皆さんに教える神なのです。
 この神は天地の主ですから、御自分の造られた人間に仕えてもらおうとは考えておりません。人間が造った神殿に住まわれることもありません。
 神は、1人の人物からすべての民族を生み出し、かれの子孫に土地を与え、かれらの居住地の境界を定めました。「これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。」(使17:27)
 「わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」(使17:29-31)
 アレオパゴスの評議員たちは始めのうちこそパウロの話を黙って聞いていたが、話が死者の復活のことに及ぶや、かれを嘲笑った。あなたの話は面白いが、また今度聞かせてもらうことにしよう。そういってかれらはそこを去り、パウロも去った。
 が、このパウロの話を聞いていた議員の1人ディオニシオやダマリスという女性,その他数人が、信仰に入ったのである。

 使17:16にてパウロはアテネの町の「至るところに偶像があるのを見」た。これはローマ帝国の占領地政策の所産ともいえる。
 ローマは占領し属州とした国/地域に自分たちの統治機構を持ちこみ、軍隊を駐留させたが、そこの言語や文化、宗教、習慣などを尊重して、敢えてそれらのローマ化を強要しなかった。必然的にローマ帝国領内へは、所謂異郷の神々に対する信仰も流入した。ギリシアのバッカス神、小アジアのアッティス神、エジプトのイシス神を崇めるローマ市民も現れた、ということだ。アテネの町のあちこちに種々の神をかたどった偶像が(至るところに)あったのは、こうした背景あってのことである。
 パウロはそのうちの1つ、「知られざる神に」と刻んだ祭壇を指して、この神こそが自分の信じ、従う神であり、この神のみが唯一の存在である、と、アレオパゴスの評議員の真ん中に立って表明した。使17では評議員たちの反応として、復活のことでパウロを嘲笑したことのみ記されているが、自分たちの知識の外にある神を信じる或いはそれについて知ることに理解が及ばなかった、乃至は想像できなかったこと自体が、その遠因に思えてならない。
 そのアレオパゴスだが、本来はアクロポリス北西にある巨岩の丘を指す。ここには一種の司法機関として機能していた評議所(評議会)もあったため、こちらを指す場合もある。使17:19でパウロが連れて行かれたのは後者のアレオパゴスである。
 ポリス時代のアレオパゴスは最高官職を経験した貴族だけで占められていた(任期は終身)。官僚経験者の天下りみたいなものかもしれない。これはポリスの衰退と歩を共にするかのように腐敗してゆき、やがて政治の民主化に伴いアレオパゴスの権能は民間へ移行された。その後、ギリシアが世界王者の椅子から落ち、共和政ローマ、そうして帝政ローマの時代になったが、アレオパゴスそのものは存続した。パウロが弁を振るった帝政時代には、専ら教育や道徳、宗教の監督機関として機能していたようである。
 ちなみにアレオパゴスとは「アレス神(アレイオス)の丘」という意味。アレスはゼウスとヘラの息子の1人で、戦争を司る。巨岩の丘がアレオパゴスと命名された所以については、ギリシア神話がこのような挿話を伝えている──ポセイドンの息子ハリロティオースによりわが娘アルキッペーを汚された怒りから、アレスはハリロティオースを撲殺。ポセイドンはアレスを訴え、かの巨岩の丘で神々の裁判は行われた。判決:アレス、無罪。この巨岩の丘、つまりアレオパゴスが裁判所を兼ねた一種の司法機関として機能するのは、ここで世界初の裁判が行われたためだ(勿論、地中海世界に於ける<初>である)。戦争の神、軍神というところからおわかりになろうが、アレスはローマ神話に於けるマルス神である。
 ところでパウロが広場で議論を戦わせたストア派とエピクロス派だが、いずれもギリシア思想の代表格として今日まで知られている。深入りすると底なし沼に嵌まりこんでしまうから、本稿ではそれぞれの主張するところについてのみ触れることにしたい。
 まずエピクロス派から。エピキュリアン(快楽主義、享楽主義)と称されるが、言葉をそのまま鵜呑みにすると、がっかりするかもしれない。それは個人の欲望の実現を旨としたものに非ず。始祖エピクロスによって唱えられた、「隠れて生きよ」をモットーとするエピクロス派。かれらは「幸福の実現」を説くが、それは環境や感情に左右されることなく、質素な生活を送り、そのなかで永続する個人的な心の快楽、心の平安を得て守ることの実現である。抗わず、なびかず、受容し、かつ心の平安を得て充足し、それを快楽、愉悦と捉える。わたくしはこのエピクロス派の方に<人間らしさ>を感じ、かつ心惹かれる者である。
 一方のストア派だが、ストイック(禁欲的)という言葉がここから派生したように、欲望を理性を以て制御し、何事につけ理性的であれ、と説く。かれらは理性に基づく人生、自己実現を旨とする。エピクロス派とほぼ同じ時期に誕生した思想で、始祖はゼノン。理性ある限り万民は神の子として同胞なり、という世界市民的思想を持つストア派は、ローマ帝国の歓迎するところとなり、領内統治の思想的基盤として重用された。江戸幕府が文治政策を実施するにあたって朱子学を採用したのと同じ発想である。このストア派に属する人物として、セネカ、哲人皇帝マルクス・アウレリウス、エピクテトス、ヒルティなどがいる。
 このエピクロス派とストア派について、ルカ10:25-37で読んだ善きサマリア人の挿話を例にして、下手な特徴附けを試みよう。
 エルサレムからエリコへ下る途中、追い剥ぎに遭ってすべてを失い、行き倒れた人がいる。祭司とレビ人がそばを通ったが、かかわりになるのを厭うて無視して過ぎたのだったね。
 「ルカ伝」に於いて、かのサマリア人は一切の損得を抜きにして、かの者に救いの手を差し伸べて看護にあたった。これはエピクロス派の考えを具体的行動で現したものである。もしこのサマリア人の行為の根本に、それを行うことで自分にどんな益があるとか、なんらかの算盤勘定がそこに働いたなら、かれの行動はストア派の考えに従ったものである。
 困っている人がいれば無私無益の精神で援助したいものだが、その行為には往々にして自己陶酔、自己満足、自己欺瞞、他者への誇示、他者へのセルフ・プレゼンテーション、履歴書の経歴欄を飾る、というような後ろめたさが付きまとう。ボランティア活動にそうした側面があるのは否定できないのではないか。当事者ともなれば、尚更その事実は認め難いであろう。
 さて、話を戻そう。個人の精神生活を実現させ、守ってゆくのはエピクロス派もストア派も同じ。そこへ至る過程や手段が異なるに過ぎぬ。理性を振り絞っての禁欲か、自然体で勝ち取った心の平安/快楽(愉悦)か……。
 ──本稿はギリシア思想を解説するものではないので、小難しいところは省いて通ったが、もっと詳しく知りたい向きは、書店や図書館で哲学・思想のコーナーに行き、そこに並ぶ事典、入門書の類を片っ端から繙き、自分に合ったものを探してみてはどうだろうか。事情ある方でない限り、インターネットに頼って文献を探すな、自分の手と足と目で探せ。脳みそを活用して、それを読め。
 再三いうようだが、新約聖書を読むことは、ギリシア・ローマの歴史や地理、社会機構、思想や文芸、人々の生活や習慣、そうした諸々の事柄に接し、それらについて<知る>きっかけを摑むことでもある。──知らないこと、知らなかったことを知る、って、愉しいよね!
 なお、本稿で取りあげる予定であったテサロニケとアテネについて、また使17:28aで引用された詩人エピメニデスと同bで引用された詩人アラトゥスについては、後日、無理矢理どこかで触れることにしよう。

 本日の旧約聖書は使17:24と王上8:27,使17:25と詩50:9-13,使17:26と申32:8,使17:27と詩145:18。◆

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