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第2075日目 〈ローマの信徒への手紙第1章:〈挨拶〉、〈ローマ訪問の願い〉他with小山清『落ち穂拾い・犬の生活』を読んでいます。〉 [ローマの信徒への手紙]

 ローマの信徒への手紙第1章です。

 ロマ1:1-7〈挨拶〉
 神の福音のために選び出されて、召されて「使徒言行録」となったわたしパウロから、ローマに在ってやはり召されて聖なる者となった皆様へ、一筆啓上仕ります。

 ロマ1:8-15〈ローマ訪問の願い〉
 わたしは神に祈るとき、いつもあなた方のことを思い起こし、なんとかして──いつの日か──あなた方の許を訪ねることができるように、と願っています。
 「あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」(ロマ1:11-12)
 兄弟たちよ、どうか知ってください。わたしはこれまで何度もあなた方のところへ行くのを試みましたが、その度に妨害されて今日に至ります。わたしには責任があります。万人へ福音を告げ知らせる、という責任が。だからわたしはローマへ行くのを希望するのです。

 ロマ1:16-17〈福音の力〉
 わたしは福音を恥としません。それはすべての信じる人へ救いをもたらす神の力だからです。
 「福音には神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。」(ロマ1:17)
 預言者ハバククの書に、神に従う人は信仰によって生きる、と書いてあるようにです。

 ロマ1:18-32〈人類の罪〉
 神が天から怒りを降されるのは、不義によって真理の働きを妨げる者の不信仰と不審に対してであります。神の怒りを被ることについて、かれらは一言だって弁解することはできないでありましょう。
 「なぜなら、神を知りながら神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。」(ロマ1:21-23)
 ──これは口では神を信じ敬い愛すというておきながら、その実、神に背いている者の罪であります。
 神は人間を、心の欲望の赴くままに行動させることとし、結果としてかれらは互いにその体を辱め合うこととなりました。男女は自然な関係を捨ててしまったのです。いまかれらはその不純な行為に対する当然の報いを受けています。
 「彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。」(ロマ1:28-32)
 ──これは、信者というよりも人間としての罪であります。

 わたしは福音を恥としない──信仰と信念と行動の人、パウロらしい、否、パウロでなければ発することのできなかった言葉でありましょう。コンフェッション・オブ・フェイスというには大袈裟かもしれませんが、使徒パウロを特徴附ける言葉として相応しいと申せましょう。
 「ローマの信徒への手紙」を代表する言葉といえば、人が義とされるのは信仰によってである、でありましょうが、このパウロの想いは言葉を換えて表現を変えて、あたかも通奏低音のようにして本書簡に散りばめられている、と感じます。引用もしたロマ1:17は本書簡に於けるその嚆矢というてよいでしょう。
 ……個人的には、ロマ1:24-31が胸に突き刺さりましたねぇ。引用しなかった部分についてはそこはかとなく来し方の一断片を思い起こして反省と悔恨の念に駆られ、引用した部分については自分はそれらの罪を自ら犯すような愚人にはなるまい、落ちぶれまい、と自己自重の思いを新たにし、心へしっかりと刻みつけたく思うのであります。
 この「ローマの信徒への手紙」はキリスト者に宛てて書かれてはおりますが、今日パウロの思いはキリスト者に限らず、すべての理性と知性と品性を備えた者ならば誰しも、自分に言い聞かせて日々の言行の指針とした方がよいもののように思えてならぬのであります……。

 本日の旧約聖書はロマ1:24-31とハバ2:4。



 『ビブリア古書堂の事件手帖』にて取り挙げられたのを契機に注目が集まり、作品集が文庫でお目見えした小山清。「落ち穂拾い」しかそれまでは読んだことがなかったのだけれど、ちくま文庫でお手軽に読めるようになったのを機にこの作品集1冊だけでも読んでみようと思い立ち、購入から2年半を経てようやくページを開くことになりました。
 まだ全体の1/3弱しか読めていないけれど、心のひだにしみ通ってくるような、ほの温かさがありますね。そうして、透明さと潤いがあります。これは買っておいて良かったな、と素直に思いました。第1作品集として刊行された『落ち穂拾い』所収の作品は概ね読み終えましたが、「落ち穂拾い」を別格とすれば「聖アンデルセン」と「夕張の宿」、「朴歯の下駄」が好きです。
 これを読み終えたら佐々木邦を読む予定ですが、小山清の作品集も講談社学術文庫や新潮文庫のものも探して読んでみたいですね。◆