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第2076日目 〈ローマの信徒への手紙第2章:〈神の正しい裁き〉&〈ユダヤ人と律法〉1/2withiPhone6S Plusに機種変更して。〉 [ローマの信徒への手紙]

 ローマの信徒への手紙第2章です。

 ロマ2:1-16〈神の正しい裁き〉
 すべて人を裁く者に弁解の余地はありません。かれらは他人を裁いて罪に定めます。が、同時に他人を裁くことで自分を罪に定めてもいるのです。人を正しく裁くことができるのは、ただ神のみであります。
 いったいかれらは自分たちは神の裁きを免れられる、とでも思うているのでしょうか。神の憐れみが自分たちを悔い改めに導くことを知らないのでしょうか。どうして神の豊かな慈愛と寛容と忍耐を軽んじるのでしょう。斯様に頑なな心を改めようとしないかれらは、自ら率先して神の怒りを自分のために蓄えているようなものです。この怒りはかならず、やがてかれらの上に降り注ぐことでありましょう。神の正しい裁きが執行される怒りの日に。
 「神はおのおのの行いに従ってお報いになります。すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。」(ロマ2:6-8)
 神は人を分け隔てたりしません。律法を知らぬ者が罪を犯せば律法とは関係なしに滅び、律法を知る者が罪を犯せば律法によって裁かれます。律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、それを実行する者こそが義とされるのです。律法を持たない異邦人が律法が命じることを自然に行ったならば、その人は自分のなかに律法を持っていることになるのです。これはその人の心に律法が記されていることを意味し、その人の良心もそれを証ししています。
 こうした人々の行いはやがて、神がキリスト・イエスを通して裁く日に明らかとなるでしょう。

 ロマ2:17-29〈ユダヤ人と律法〉1/2
 律法に通じた人々はその知識と記された真理を以て他人に教えます。が、他人には教えても自分に教えることはないようです。果たして、姦淫するなと教える者が姦淫しないでしょうか。偶像を嫌悪する者は神殿を荒らしたりしないとでもいうのでしょうか。
 咨、かれらは律法を誇りとしながら律法を破って神を軽んじている。預言者イザヤの書にあるように、神は異邦人のなかにあって汚されています。
 「あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです。だから、割礼を受けていない者が、律法の要求を実行すれば、割礼を受けていなくても、受けた者と見なされるのではないですか。そして、体に割礼を受けていなくても律法を守る者が、あなたを裁くでしょう。あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですから。外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく“霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。」(ロマ2:25-29)

 なんだかわかったような錯覚に惑わされて原稿を書いているような気がしたことであります。に早ダイジェストではなく、語り直しとも程遠くなってきている。ただちょっと言葉を換えて書き写しているだけじゃぁないのか、と自らへ疑問を投げかけることもある。解答はない。でもいまは自分にできるやり方で読み続け、書き続け、更新し続けてゆくより他ないんだな。みなさま、見守ってください。
 そうはいいつつも、──
 ロマ2:25-27(「あなたが受けた割礼も……律法を破っているのですから。」)はなんともシンプルかつ見事な畳みかけであると思います。こうした論法、レトリックがパウロの思考の特徴の一つと思うのはわたくし1人のみでありましょうか?
 ファリサイ派だとかサドカイ派だとかいうて様々主義・主張はあると雖も、ユダヤ教徒の行動の根本にあるのは律法であります。かれらは、口ではどのようにいうておっても律法の呪縛から解き放たれることがありません。この時代、ユダヤ教徒がキリスト教を迫害したのは、キリスト教が律法から離れてそれに束縛されることなく、神の義と愛と平等の教えを展開したからでありましょう。
 ──わたくしは今日、ロマ2:11-14、「神は人を分け隔てなさいません。律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます。律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。」を読んで、ようやく、伝道に様々な障害が生じ、信徒が陰に日向に迫害されてきたのか、その理由が一端ながらもわかったような気がするのです。
 それにしてもパウロの言葉は激しくも優しく、たくましく、そうして慈悲に満ちておりますね。鋭利なナイフのようにぐさぐさ、わたくしの心に突き刺さって抜けません。抜いたら出血多量で死んでしまいそうです。えへ。



 iPhone6S Plusに機種変更して以来、バッテリー問題に悩まされなくなって、安堵しているみくらさんさんかです。
 さすがにずっとWi-Fiモードにしていると、日付が変わる頃には20%台にまで減っており、寝ている間に充電となるのだけれど、それでもバッテリー残量を気にしなくて済むようになったのは、ただただ嬉しくてたまらないのです。大きな画面になったことで、safariでのサイト閲覧、YouTubeなどでの動画閲覧がストレスなく楽しめることに加えて、青空文庫の収められている作品をじっくり読みこめるようになったことが最大の僥倖でしょうか。
 嗚呼、やっぱり<大きいは正義>ですねぇ……しみじみ。
 カメラで撮った写真もみんなで囲んで見られるしね。この前の上司の披露宴で撮影した写真、4K動画、来られなかった人々に喜んでもらえたなぁ。このときかな、機種変更していちばんよかった、と思うたのは。
 iPhone6S Plusで今後は動画撮影にも勤しんでゆきたいですね。◆

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