第2078日目 〈ローマの信徒への手紙第4章:〈アブラハムの模範〉&〈信仰によって実現される約束〉with鏡花の復刻本が欲しい。〉 [ローマの信徒への手紙]

 ローマの信徒への手紙第4章です。

 ロマ4:1-12〈アブラハムの模範〉
 では、われらが肉の祖、アブラハムはなにを得たでしょう。創世記を読むと、かれは神を信じて為に義とされた、とあります。そうして不信心な者をも義とする方、即ち神を信じる人は、かりに働いていなくても義とされるのです。ダビデは神によって義とされた人の喜びを詩篇に詠んだこともありました。
 ではこの幸いは割礼を受けた者、つまりユダヤ人にだけ与えられるのでしょうか。それとも割礼を受けていない者にも、幸いは与えられるのでしょうか。アブラハムの義が神に認められたのはかれの割礼前のことでしょうか。それとも割礼後だったでしょうか。さよう、それは割礼前のことでした。アブラハムは信仰のゆえに義とされ、義とされたゆえに割礼の印を受けたのです。
 「こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。更にまた、彼は割礼を受けた者の父、すなわち、単に割礼を受けているだけでなく、わたしたちの父アブラハムが割礼以前に持っていた信仰の模範に従う人々の父ともなったのです。」(ロマ4:11-12)

 ロマ4:13-25〈信仰によって実現される約束〉
 神がアブラハムに、かれとその子孫に世界を受け継がせると約束したのは、偏に信仰による義に基づくものでありました。「律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止されたことになります。実に、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違犯もありません。従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。」(ロマ4:14-16)
 律法に頼るだけでなく、かれの信仰に従う者も皆、恵みによって確実に神の約束に与れるのです。かれはわれらすべての父であり、そのことは創世記にて神が、わたしはあなたを多くの民の父と定めた、と書いてある通りなのです。
 アブラハムは死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を信じました。かれは希望する術も根拠もないときでさえ神を信じ、望みを抱きました。子供を授からないまま高齢になりながらも、かれの信仰は弱まったりしませんでした。
 「彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。だからまた、それが彼の義と認められたわけです。」(ロマ4:20-22)
 ──かれの義が認められた。それは単にアブラハム1人に留まらず、われらへも手向けられる言葉なのです。
 「わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」(ロマ4:24-25)

 パウロは本章にてすべての民の父アブラハムが義とされた所以について説きます。ユダヤ人のみならずすべての民(異邦人)が神により義とされるのは律法、ここでは割礼によってでなく偏に信仰によるものである──パウロは本章にてこの主張を聖書に則って具体的に教えているのです。
 その主張の明確さ、揺るぎなさにはただ頷くより他ないのですが、「ロマ書」第4章を読む際はあらかじめ、創世記第15,17章を読んでおいた方がいいでしょう。下にも挙げるとおり、本章は創世記の2つの章に主張と裏付けを拠っているためであります。

 本日の旧約聖書はロマ4:3と創15:6、ロマ4:7-8と詩37:5、ロマ4:11と創17:10-11及び23-24並びに27、ロマ4:17と創17:4、ロマ4:18と創15:5、ロマ4:22と創15:6。



 県内最大手の新刊書店の本店前で、ときどき古本のワゴンセールをやっている。定期開催なのか未だわからないけれど、出店している店はいつも同じではないらしい。行き合えばかならず覗いて2冊、3冊は買ったりしておる。亀井勝一郎『大和古寺風物誌』の旺文社文庫版や三谷栄一/山本健吉・編『日本文学史事典・古典編』(角川書店)など購入した。
 ここに時折、日本近代文学館が復刻した近代文学の名作が並ぶ。うち、わたくしにとっていちばんの目玉は泉鏡花だ。ここが復刻した鏡花は『高野聖』と『日本橋』以外になく、わたくしもそのワゴンで他を見たことはないが、昔、神保町に通い詰めていた頃、この2作以外の作品が復刻されたものが棚挿しされていたのを見た覚えがあるのだが……。夢かな、幻かな。
 それはともかく、鏡花ファンとしては文庫や全集だけではなくて、こんな復刻本で物語を堪能したい気持ちを持つのである。殊鏡花本は装丁や挿絵などヴィジュアル面でもじゅうぶん鑑賞に値するので、尚更復刻本が欲しくなるのだね。
 もはや鏡花の初版本の蒐集などわたくしには夢物語に等しい。往時の面影を残した復刻本を座右に侍らせ、繙き、物語へ没頭することで、ほんのちょっとだけステップアップした鏡花ファンになれそうな気がするのである。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。