第2083日目 〈ローマの信徒への手紙第8章1/2:〈霊による命〉with自分を卑下したり、貶めないようにしよう。〉 [ローマの信徒への手紙]

 ローマの信徒への手紙第8章1/2です。

 ロマ8:1-17〈霊による命〉
 キリストの結ばれた者は罪に問われることが最早ありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、その人を──キリストに結ばれたあなたを罪と死の法則から解放したためです。肉の弱さゆえに律法が果たすことのできなかったことを、神はしてくれたのです。われらに模した御子をこの世に誕生させ、罪を贖う犠牲(サクリファイス)として処断したのは、その出来事によってわれらの内に律法の要求が満たされるためでした。
 肉の思いに従う者は肉に属することを考え、神に敵対し、神の律法に従ってはいません。そういう者が──肉の支配下にある者が、どうして神に喜ばれるでしょう。霊の思いに従う人は、霊に属することを考えるのです。
 「神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。」(ロマ8:9-11)
 ──霊によって肉の思いを断つ人は生きるのです。──
 兄弟たちよ、覚えておいてください。神の霊によって導かれる人は皆神の子です。自分たちを神の子とする霊を、あなた方は授かった。そうしてこの霊こそがあなたたちの霊と一緒になって、あなた方が神の子供であることを証ししてくれるのです。
 子供ならば相続人です。それはつまり、キリストを共同相続人とした神の相続人ということです。苦しみがキリストと共にある以上、栄光もキリストと共にあるのです。忘れないでください。

 神の霊を受けた人は皆すべからく神の子であり、キリストを共同相続人とした神の相続人である! このメッセージは当時のローマ教会の人々の胸にどう響いたことだろう。なかなかに希望にあふれ、信仰と自身を持たせるものに思うたのではないか。
 パウロの文章は翻訳で読んでいても一筋縄ではゆかぬものだけれど、そのときどきの論旨は意外とシンプルで、表現もストレートであることが多い。わたくしは本章の読書でそんな印象を新たにしました。こんな風に思想や主張が一言で表現されるのに接するとなんだか小泉元首相の<ワンフレーズ・ポリティクス>を想起します。パウロはスピーチライター、コピーライターの先駆け的人物でもあったかもしれませんね。
 私用により第8章は2日に分けて読むことになります。ご了承ください。



 今日は朝から小さなネガティヴ事が続きました。仕事が終わっていつものスタバにて本稿を書いているいま、荒んではいないが鬱屈はしている。そんな所以で、すこし生活を慎もうと思います。自己自重しなくては。◆

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