第2084日目 〈ローマの信徒への手紙第8章2/2:〈将来の栄光〉&〈神の愛〉with結婚式に出席したせいなのかな、なんだか近頃……、〉 [ローマの信徒への手紙]

 ローマの信徒への手紙第8章2/2です。

 ロマ8:18-30〈将来の栄光〉
 将来われらに与えられるはずの栄光を思えば、現在の苦しみなどいったいどれ程のものでありましょう。
 人間以外の造られたもの、被造物は、神の子らの現れることを切に待ち望んでいます。そう、被造物も希望を持っているのです。いつか滅びの自由から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあやかれるから。この被造物が今日に至るまで、共に呻き、産褥の苦しみを味わっていることを、われらは知っています。
 「被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(ロマ8:23-25)
 そうして“霊”は弱いわれらをも助けてくれます。祈りを知らずとも“霊”が言葉では表現できない呻きを以て執り成してくれるからです。この“霊”は神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくれます。
 ──神は前もって知っていた者たちを御子の姿に似せようと、はじめから決めていました。それは御子を自分の長子にするという計画のためです。「神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」(ロマ8:30)

 ロマ8:31-39〈神の愛〉
 兄弟たちよ、どうぞ考えてみてください。
 もし神が自分たちの味方であったなら、果たして誰がわたしたちに敵対できるでしょう。われらのために御子を、ためらいなく死に渡された神が、われらへ御子と一緒にすべてのものを賜らないということがありましょうか。
 果たして誰が、神に選ばれた者たちを訴え、罪に定めることができましょう。
 いったい誰が、キリストの愛からわれらを引き離すことができるでしょう。それは艱難でしょうか、或いは死でしょうか。迫害なのでしょうか。でなければ、飢えなのか、裸なのか、危険なのか、剣なのか──。が、これらに対してわれらは既に、われらを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めているのです。
 「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ロマ8:38-39)

 予定説(二重予定説とも)という考えが宗教改革の時代、ジャン・カルヴァンによって提唱され、カルヴァン神学の中心教義となりました。
 勿論「予定説」とはなにか、ということですが、あらかじめ神により決められていた者だけが救われ、他の者はかりに神を求めたとしても救済には与らない、という考えです。見方を変えれば相当に不公平で、残酷なこの「予定説」の発端というか根拠が、引用したロマ8:(29-)30であるのです。
 たしかに表面上は不公平ではないか、と抗議の一言もあげたくなる。冗談じゃぁない、といいたくもなる。が、実はこれはパウロの神学的には当然の帰結でありまして、神を求めてなお救済されない者は、口では「わたしは神を信じています」と曰うても実際のところはなに一つ神の恵みへ与ることはしてこなかった者なのですから、救われる者と堕とされる者が分けられるのはじゅうぶん納得のゆく話なのであります。
 もっとも、そこに「あらかじめ」とあるのがミソで、この点こそが予定説の要となる。即ち、人間は生まれる前からこの世での活動一切が決定されており、神にはそれが当然わかっているからこそ<あらかじめ>救う者と堕とす者を選別している次第なのです。換言すれば、この世に現れた人間はゆりかごから墓場までの期間を既に決定された道に従って歩くだけの、既に決められていた役を演じるだけの、マリオネットの如き存在に過ぎぬということにもなりましょう。
 荷が重いことはじゅうぶんに承知しておりますが、もっとこのことを勉強して理解が深まり、自身の考えを持つことができたら、「予定説」について一編の文章を書いてみたいですね。前後して宗教改革小史やカルヴァン、カルヴァン神学などに関しても一編を認める必要がありそうですけれど……。われながら大風呂敷を広げたものであります。呵々。

 本日の旧約聖書はロマ8:36と詩44:23。



 なんだか最近ね、ああ結婚したいなぁ、しようかなぁ、と思うの。でも、故人とはいえ婚約者の誕生日直前にこんなこと、不謹慎かつ非道だよね。反省。◆

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