第2088日目 〈ローマの信徒への手紙第11章:〈イスラエルの残りの者〉、〈異邦人の救い〉&〈イスラエルの再興〉with映画館の限定上映について一言、二言。〉 [ローマの信徒への手紙]

 ローマの信徒への手紙第11章です。

 ロマ11:1-10〈イスラエルの残りの者〉
 兄弟たちよ。神は自分の民を見捨てたのでしょうか。否。前もって選んでおいた民を、神は見捨てたりしませんでした。退けたりしませんでした。
 かつてエリヤは神にこう訴えました。(北王国)イスラエルの民はあなたの預言者を殺し、主の祭壇を壊し、わたしだけが残されました。そのわたしもかれらに命を狙われています、と。それについて神は、わたしはバアル神にひざまずかなかった者を7,000人残した、と答えました。
 いまも恵みによって残された者たちがおります。その者たちが残ったのが行いによってでないならば、恵みによるものでしかありません。そうでなければ、恵みはもはや恵みでなくなってしまいます。
 どういうことか、おわかりでしょう。イスラエルは求めているものを得ないで、選ばれた者がそれを得たのです。いい換えれば、選ばれなかった者は頑なだったのです。モーセがイスラエルの全会衆を前に語ったように、また預言者イザヤがその書のなかで述べたように、神は自分を拒む者に鈍い心と見えない目を──永劫に──与えたのです。ダビデもある詩篇のなかで、同様なことをいっています。

 ロマ11:11-24〈異邦人の救い〉
 兄弟たちよ、お訊ねします。ではユダヤ人がつまずいたというのは即ち倒れたということなのでしょうか。否。そうではありません。「かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。彼らの罪が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、まして彼らが皆救いにあずかるとすれば、どんなにかすばらしいことでしょう。」(ロマ11:11-12)
 ──わたしパウロはあなた方異邦人のための使徒なので、あなた方へこうしたことを申しあげることについてとても光栄に思うのです。──
 そこであなた方異邦人へお話ししましょう。わたしはどうにかして同胞の間に妬みを掻き立てて、そのなかからわずか数人であったとしても救うべきを救いたいのです。世界の和解のためにかれらが捨てられるならば、かれらが受け入れられることは死者のなかからの命でなくていったい何でありましょうか。
 喩え話をしましょう。或る枝が折られて、代わりに野性のオリーブが接ぎ木されて根から豊かな養分を受けるようになったとします。野性のオリーブとはあなた方の誰かです。根からの養分を受けて育ったとしても、折られた枝に対して誇るようなことがあってはなりません。あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているからです。
 枝が折られたのは自分が接ぎ木されるためである。おそらくおあなたはそういうでしょう。まさにその通りなのです、──
 「ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。神は、自然に生えた枝を容赦されなかったとすれば、恐らくあなたをも容赦されないでしょう。
 だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。彼らも、不信仰にとどまらないならば、接ぎ木されるでしょう。神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。」(ロマ11:20-23)
 もしあなたがそこらに野性するオリーブで、接ぎ木されて、元からあった他の枝同様に育つのだとしたら、元々あって折られた枝ならどれ程容易く接ぎ木できることでしょうか。

 ロマ11:25-36〈イスラエルの再興〉
 一部のイスラエル人が頑なにされているのは、すべての異邦人が救われるまでの間です。異邦人がすべて救われるとき、全イスラエルも救われるのです。預言者イザヤの言葉の通りに。
 「福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。
 あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。」(ロマ11:28-32)
 ──
 おお、神の知恵と知識と富の、なんと深いことでありましょう。いったい誰に、神の定めを極め尽くしたり、神の道を正しく理解し尽くせるというのでしょう。いったい誰が主の心を知り、相談相手になれたというのでしょうか。誰がまず主に与えてその報いを受けるのでありましょうか。
 「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。」(ロマ11:36)

 本章を以て「ローマの信徒への手紙」の1つのパートが終わりました。信仰による義と救い。専らこれらについてパウロは熱を帯びた、勢いの保たれた筆で、ローマの兄弟たちに向かって説き、説き、そうして説きまくった。わたくしなぞは非キリスト者だから表面を上撫でできたに過ぎぬが、敬虔なる者らが読めば、ここで触れた以上のことが確認できるはずです。また、自分の信仰にフィードバックされて、きっと<なにか>を得ることでありましょう。
 次の第12章から第15章までは本章までに語られた神学に基づいたキリスト者としてのあるべき生活、あるべき態度/姿勢について綴られてゆきます。
 改めて本章を読み返すと一読してすぐの理解は難しいところですが、こうして原稿を書きながら顧みると、ようわからぬながらも読後感はすこぶる清廉で希望に彩られたものとなるのでありました。
 ロマ11:2に出るエリヤは北王国イスラエルに在ってアハブ王とアハズヤ王の御代に活動が報告された、旧約聖書最大級の預言者の1人。聖書に名前が記録される預言者の過半が南王国ユダにて活動したため、北王国イスラエルを活動舞台にする預言者は少ない。エリヤとその後任エリシャ、12小預言者のアモスとホセア、計4人を数えるのみであります。
 かれの最期は列下2:11で「火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った」とあるように、決して「死んだ」とは書かれませんでした。ゆえにエリヤは創5:24でアダムの子孫エノクと同じように、生きたまま天に上げられ、いつしかメシアとして遣わされる存在と信じられるようになった。イエスがゴルゴタの丘で磔刑になったとき、息を引き取る直前に「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と有名な言葉を洩らしましたが、その様子を見ていた人々が聞き間違えて、あいつはエリヤを呼んでいるんだ、と囁き交わしたことはマコ15:35-36で見た通りであります。
 ロマ11:3でパウロが引用したエリヤの台詞、それに対する神の答えを、その前後も含めて「列王記・上」第19章から書き写しておきます。(12)は第12節の意味であります、──
 「(12)地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。(13)それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。『エリヤよ、ここで何をしているのか。』(14)エリヤは答えた。『わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。』(15)主はエリヤに言われた。『行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。(16)ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ。またアベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。(17)ハザエルの剣を逃れた者をイエフが殺し、イエフの剣を逃れた者をエリシャが殺すであろう。(18しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。)』」

 本日の旧約聖書はロマ11:3と王上19:10及び14、ロマ11:4と王上19:18、ロマ11:8と申29:3及び申29:3並びにイザ29:10、ロマ11:9-10と詩69:23-24、ロマ11:26-27とイザ59:20-21、ロマ11:34とイザ40:13、ロマ11:35とヨブ41:3。



 地元に何軒もある映画館のポスターやスケジュール、或いはHPを見ていると、幾つもの思いが浮かんでくるのである。いまはこれだけ、──
 観たい映画が何本も重なるときもあれば、1本も観たい映画が見当たらないときもある。いまはまさに前者。一刻も早く観に行かねばならぬのは、『WE ARE Perfume -WORLD TOUR 3rd DOCUMENT』と『ガンダム THE ORIGIN Ⅱ 哀しみのアルテイシア』だ。どうしてかというと期間限定の上映と聞いているからである。小劇場で上映される『3泊4日、5時の鐘』も、おそらくは早々に上映終了となることだろう。
 また、良作は常に鑑賞のタイミングを逸しがちだ。METの《イル・トロヴァトーレ》がそうだ。1週間しか上映しない、なんてやめてくれよ。会社員は午前11時から映画を観ることが難しいんだ。休みの日なら行けるでしょう、と仰る方もおられようし、事実行けるのだが、上映時間に間に合うことはできてもたぶん途中でぐっすり寝るね。東京の映画館のように夕方からの上映なら特に問題はないのだが……。ブ○ク○3よ、1週間上映というスケジュールが動かせぬなら、せめてレイトショーにでも移行してくれ。
 さて、明日は仕事帰りになにを観に行こうかな。◆


-15/11/09 20:51 +32

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