第2094日目 〈Facebookの利用は節制する必要があるなぁ。〉 [日々の思い・独り言]

 ちかごろブログへの熱情が冷めつつあるのは、一つに聖書読書に終わりが見えてきたことが挙げられる。それが気のゆるみとスケジュールの遅延を招いているのは、読者諸兄はご承知のことだろう。もう一つにはFacebookにウツツを抜かして精力をそちらへ傾けがちなことが指摘できる。探せば他にも理由なぞ幾らも見附けられようけれど、さしあたってはこの2つが熱情の冷めたる主な原因だ。
 前者についてはさておき、応射への対処はチト難しそうだ。依存はしていないが、軽い中毒症状は起こしているかもしれない。暇さえあれば、という程ではないが、スマホを手にすればなんの疑問も抵抗もなく、Facebookを開いている始末だ。気が付けば数10分も経過しているのを知って吃驚する……無為に過ごして永遠に失われた時間を想うて、嗚呼、と嗟嘆するのは、けっして珍しいことではない。
 本ブログの完結までこれの利用を禁じることを自らに課すこともまじめに検討したが、どうにも決断がしかね、ましてや実行に移すことはできない、意志薄弱なわたくしである。
 記事は友達しか見られないようにしているけれど、そこにいるのは上司・同僚、その他を含めて信ずるに足る大好きな人たちだ。FBなくしてもじゅうぶんにコミュニケーションは図れるが、あるに越したことはないツールとしてもはや欠くべからざるものとなっており、そうして日常的にも連絡手段として機能している以上は利用を止めることは、必要なときに使えなくて困ることを意味しよう。
 加えていえば、友達申請したりされたりで築かれた現在の<環>は、時として現実に於ける潤滑油となり、FB上でつながっていなかった頃は思いもよらなかった話題を互いの間に生んだりしている。良き出来事を芽吹かせ、幸せな想いを抱かせられることもある。いうなればここはわたくしにとって居心地の良い、極めて限定されたweb上のコミュニティなのである。離脱や停止なんて、もはや安易に考えられるものではない。
 結局のところ、上手にFacebookを利用しながら本ブログを常の通り毎日毎日、1日とて欠けることなく慎ましく、愚直なまでに同じ毎日を繰り返して更新してゆくしかないのだろう。
 「スマホ老眼」なる言葉を初めて知ったのは今朝のことだが、そろそろ初老の域に差しかかろうとしているいま、肉体の機能をこれ以上低下させぬためにも日々の運動を繰り返しながら、本ブログの継続を唯一無二の、そうして最優先事項として取り組み、いまよりは頻度を落としたペースでFBを更新してゆくことが、わたくしには必要だろう。
 これを好機と捉えずしてどうするか。本ブログの完結までは禁欲と自粛を己に課そう。よし、行け、我が輩。(何度目かの)再起動の時来たれり、である。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。