第2128日目 〈「コリントの信徒への手紙 一」前夜〉 [コリントの信徒への手紙・一]

 「信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」──新約聖書のうちで、否、聖書全体を見渡してみても、いちばん好きな言葉がこれです。偏愛する邦画の5本指に入る『吉祥寺の朝比奈くん』でも印象的な使われ方をしておりました。この文言を含む書物が「コリントの信徒への手紙 一」、略せば「一コリ」であります。出典は一コリ13:13、<愛の讃歌>と呼ばれる章の一節。
 <パウロ書簡>としては2番目に位置するものの、配列が執筆順でないのは既に見た通りであります。本書簡は、第3回宣教旅行の途次、立ち寄って2年間滞在した小アジアはアジア州エフェソで執筆されたといわれ、滞在期間が53-55年頃であることから54年頃に書かれたものであろう、と考えるのが大勢であります。瞥見するところ、緒論あっても大同小異の様子。特に「否」を唱える根拠もなにもないので、本ブログも右に倣うことに致します。
 パウロの第2回宣教旅行を「使徒言行録」にて追体験しているとき、既にわれらは書名となっているコリントの町を通ってきました。ここがどのような町であったか、当該章の読書時には殆ど触れなかったはずなので、改めて見ておきましょう、──
 「ギリシア」と呼ばれることもあったマケドニア州コリントは、前2世紀頃に破壊されて荒廃していたが、ローマ帝国のユリウス・カエサルの命令で再建されてエーゲ海に面する港湾都市として復興、その後は貿易を中心に帝国経済を支えたのであります。
 コリントにはギリシア神話の女神アフロディテを祀る神殿があって、ここには数千人規模の神殿娼婦が在籍していたそうであります。嘘か誠かは存じませんが、アフロディテ神殿に於ける礼拝とは彼女たち神殿娼婦との性的交歓を指し、それゆえか礼拝時の支払いも相当高額についたらしく、そうした背景あってでしょうが、俗に金持ちでなければコリント旅行は楽しめない、などいわれたとのことです。また、神殿娼婦は夜毎町へ出て所謂売春行為など行っていたようであります。要するにコリントの町は爛れた、淫らな面を、経済的繁栄と併せて持っていたのです。「創世記」のソドムの如しとは過ぎたるいい方かもしれませんが、すくなくともよく似た部分はあったことでありましょう。
 なお、ゲーテの「コリントの花嫁(許嫁)」は物語詩としてむかしから愛されてきましたが、吸血鬼バラッドとしても良いものであります。吸血鬼を扱った詩篇としては、この分野の小さな傑作であると思います。いずれこの詩についても触れると致しましょう。
 閑話休題。
 コリントは以上のような顔を持った町でありました。ここをパウロは第2回宣教旅行のときに訪れて、キリストの福音を説きました。そうして信徒はパウロ去りし後も信仰を持ち続けました。が、町の性質は住民に影響を及ぼします。クロエの家の人々によってもたらされた内容からも明らかですが、パウロ去りし後のコリント教会は数年を経ずして早くも分裂を始め、なかには信徒に相応しからざる淫らな行いに及ぶ者もあったようであります。これにパウロは心を痛め、かれらを本道に立ち帰らせようと「コリントの信徒への手紙 一」を書いたのでした。内容が多岐にわたり、話題の展開がやや唐突に思うこともあるのは、斯様な事情が反映したせいもありましょう。
 それでは当時コリント教会が抱えていた問題とはなにか。この点についてウィリアム・バークレーは実に上手くまとめておりますので、丸写しの誹りを受けるやも知れませんが、章節と併せて以下に引いておきます(『バークレーの新約聖書案内』P66-73 高野進・訳 ヨルダン社 1985.4)。読書の際の地図ともしていただければ幸甚であります。
 ・党派心の問題 1:10-11、3:3-15
 ・知恵を誇る問題 1:17及び20-25、2:1-5及び10-16、3:18-23
 ・不道徳の問題 第5章
 ・訴訟の問題 6:1-8
 ・反律法主義の問題 6:9-20
 ・偶像に供えた肉の問題 第8-10章
 ・教会内の女性たちの問題 11:1-16及び34並びに36
 ・主の晩餐の問題 11:17-34
 ・霊の賜物の問題 第12-14章
 ・体のよみがえりの問題 第15章
なお、どういうわけかすっこ抜けている第7章は結婚生活とそれに於ける性生活の諸問題について述べております。
 上に見た如く、書簡の話題は様々でありますが、わたくしにとって本書簡でいちばん読む価値ある箇所は──パウロの主旨からは外れるだろうが──不道徳な者たちとの交際を避けよ(第5章)、結婚生活と性生活の諸問題(第7章)、そうして<愛の讃歌>(第13章)に尽きます。正直なところ、ここだけきちんと読んで丁寧にノートしておけば他は……と不埒なことを考えるのはゆめ面倒臭いからではありません。
 非キリスト者は、神のための労働や主の晩餐、霊の賜物といったよりもずっと卑近で身につまされる話題に心惹かれ、真摯に読むものなのであります。異論を申し立てる者ありやなしや。あらばことごとく却下だ。
 それでは明日から1日1章の原則で、「コリントの信徒への手紙 一」を読んでゆきましょう。◆

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