第2130日目 〈コリントの信徒への手紙・一 第2章:〈十字架につけられたキリストを宣べ伝える〉&〈神の霊による啓示〉with小山清『小さな町』もうすぐ読了他。〉 [コリントの信徒への手紙・一]

 コリントの信徒への手紙・一第2章です。

 一コリ2:1-5〈十字架につけられたキリストを宣べ伝える〉
 わたしが2回目の宣教旅行であなた方の町を訪れたとき、神の秘めたる計画を宣べ伝えるのに、耳に優しい言葉やさも賢そうな言葉を使ったり、或いは知恵を巡らせて語ったりはしなかったし、敢えてそれに頼ろうともしなかった。
 わたしがキリストを宣べ伝えるのに用い、頼りとしたのは“霊”と力の証明によるものでした。というのも、あなた方がキリストを信じる手段は人間の知恵でなく、神の力によってであると考えて疑わなかったからです。

 一コリ2:6-16〈神の霊による啓示〉
 が、信仰に成熟した人たち──それは即ち「十字架の知恵」という逆説的事柄を理解できる人たちのことであり、単純に信仰に篤い人ということではありません──に向かってはわれらも知恵を語ります。かれらがそうするに値する人たちだからです。けれどもその知恵は、この世に横溢する誰もが得られるような知恵ではありませんし、また滅びゆく運命の下にある支配者たちのそれでもありません。
 「わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。」(一コリ2:7-8)
 預言者イザヤはその書のなかで、目が見ることも耳が聞かないことも、また人の心が思い浮かべることもなかったことも、神は自分を愛する者たちのために準備した旨書いております。
 われらは神の与え給うた霊によって、たしかにこのこと──神の計画、神がわれらのために準備したこと──を知りました。どうして神の霊がそれをわれらに示したかといえば、事は単純、神の霊のみが神を知るからに他なりません。
 「わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。」(一コリ2:12-13)
 自然の人、即ちこの世の命のみに生きる人は、神の霊を受け入れることが出来ません。なぜならば、かれらにとってそれは愚かなものであり、と同時に到底理解しがたいものであるからです。
 ──果たして誰が主の思いを知り、誰が主を教えるというのだろう、と預言者イザヤは問いかけます。が、われらはキリストの思いを抱いています。

 これまでも文中には出てきていながら、特に触れることなく過ごし、蔑ろにしてきた感なきにしもあらずな“霊”について、ちょっと述べてみたく思います。
 “霊”は聖霊の同義語と取って良いのではないでしょうか。パウロの名を冠す各書簡では様々な話題が展開されますが、聖霊にまつわる論はいつだってその中心にある。では聖霊とはなにか──簡単にまとめてしまうのは至難の技ですが、一コリ12:3が要点を掻い摘まんでいるように思うので、引用してみます、──
 「神の霊によって語る人は、だれも『イエスは神から見捨てられよ』とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」
 聖霊は神と人、キリストと人を媒介する役で、かつ聖霊を自らの内に持つことで人はキリストと結ばれ、真の意味でキリスト者と呼ばれる、とパウロは説いております。まだわたくしはパウロ書簡を「ローマの信徒への手紙」しか読み果せておりませんし、「コリントの信徒への手紙 一」も読み終えるまでにはあと1週間必要であります。が、ここまで読んできたなかでこの程度は漠然とながらも理解できます。
 辞典や註釈書、研究書など繙けばもっと精しいこともわかりましょうが、聖霊/“霊”に関して現時点では、聖霊を自分の内に持つことはキリスト者のアイデンティティを忖度するバロメーターになっているのだな、ということがわかれば良いと思います。基本がわかっていれば応用問題にも対応できるのであります。
 本日引用した一コリ2:12-13は、以上述べた点を考える出発点となる文章ではないでしょうか。
 勿論、“霊”/聖霊は非キリスト者にとって最も馴染み薄く、把握しかね、理解の及びがたき事柄でありますから、今後の学び続ける課題として携えていよう、と思います。

 本日の旧約聖書は一コリ2:9とイザ64:3、一コリ2:16とイザ40:13。



 図書館で借りていた小山清『小さな町』をもうすぐ読了します。いまは読み始めたばかりの箇所で止まっている、最後から2編目の短編。本稿が昼日中の執筆だから、おそらく一巻を閉じるのは夜になるでしょう。感想など認めて年末頃にお披露目する予定ですが、……悩んでいます、自分用に購入するか否かを。こうまで小山清の作品にのめりこむとは想像しませんでしたからね。
 それはさておき。
 平成27年も間もなく終わるわけですが、書こうとして書けなかった文章、書くに至らなかったネタ、書く/お披露目するというておきながらそのままな話題など、ずいぶんとあるのがチト心に痛いのです。これらに関しては一編として昇華させるか、或いは破棄するかもまだ決めていないため、しばらくは悩み続ける時期が(おそらく年を越してなお)続くことになりそうです。在庫一斉処分セールでもできればいいのですけれど……。◆

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