第2173日目 〈コリントの信徒への手紙・二第7章2/2:〈教会の悔い改めを喜ぶ〉with牧野良幸『僕のビートルズ音盤青春期』に触発されたのか?〉 [コリントの信徒への手紙・二]

 コリントの信徒への手紙・二第7章2/2です。

 二コリ7:2-16〈教会の悔い改めを喜ぶ〉
 われらは誰に対しても不義を行わず、誰からも掠め盗ったりせず、誰をも破滅させませんでした。嫌みではありません。われらへ心を開いてください。あなた方はわれらの心のなかにいて、苦楽や悲喜、生死を共にしています。
 わたし自身はといえば、あなた方へ寄せる信頼は厚く、あなた方を大いに誇っているのです。「わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。」(二コリ7:4)
 ──マケドニア州へ着いたときのわれらは非常に疲れ、さまざまな出来事に苦しんでいました。が、それはもう癒やされた……待ちに待ったテトスの到着がその慰めをもたらしてくれたのです。テトスはあなた方がわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを伝えてくれました。
 以前わたしが涙ながらに書いた手紙があなた方を悲しませたのは承知しています。が、わたしはそれを後悔していません。かりに当時は後悔していたとしても、いまわたしを満たすのは、喜びです。とうのも、あなた方があの手紙によって悲しんだだけでなく、悲しんで悔い改めたからであります。あなた方が悲しんだのは神の御心によるものだったのです。
 「神の御心にかなった悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。」(二コリ7:10)
 神の御心にかなった悲しみ! それがあなた方のなかにどれ程の熱心や弁明、憤り、恐れ、憧れ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょうか。例の事件に関してはあなた方自身で解決し、潔白であることを証明しました。あなた方へ手紙を送ったのは、あなた方の、われらへの熱心を神の御前で明らかにするためなのです。斯くしてわれらは慰められたのであります。
 加えてわれらをより一層喜ばせたのは、実にテトスの喜びあふれる様子だったのです。かれの様子を見れば、あなた方がどれだけ心を尽くしてかれの活動を助け、かれの心へ喜びをもたらしてくれたか、わかろうというものです。われらはテトスを誇りと思うてあなた方の許へ派遣しましたが、却って恥にならずに済んで安堵しています。テトスはあなた方の従順や歓迎を思い起こし、その度にあなた方へ心を寄せているのです。
 わたしはといえば、あらゆる点であなた方を信頼できることに喜んでいます。

 パウロは不安を抱きながら小アジア、ミシア州トロアスを発ってマケドニア州へ赴きました。そこで合流するはずだった兄弟テトスに会えなかったからであります(二コリ2:13)。が、いまやパウロの心は晴れやかなものとなったでありましょう──本章に於いてようやくテトスと再会できたからであります。テトスの合流が予定より遅れた理由ははっきりしません。察するにコリント教会の平定と和解、信徒たちの歓待によって発つに発てない状況だったのでしょうただ、その理由は決してネガティヴなものではなかった、と思います。
 二コリ7:11「例の事件」がなにを指すのか、具体的なところはなにも書かれておりませんが、この書簡が書かれた背景を検討すれば、おそらくコリント教会内でパウロを糾弾する者があったことをいうのでありましょう。これはコリント信徒たちが自ら、それに「否」を唱えることでわが身とわが信仰の潔白を証して、決着を見た。マケドニアに到着した頃は様々なことで煩悶し、苦悩し、悲しみ、疲れ切っていた、とパウロはいうておりますが、その原因の1つが「例の事件」であれば、テトスの報告によって負担はわずかなりでも軽くなったことでありましょう。



 どうしてビートルズのアルバムをリリース順に聴く気になったのか、われながら真相は藪のなかだ。10年ぐらい前は『ビートルズ 1』で満足していた。5年ばかり前には『赤盤』と『青盤』、『ホワイト・アルバム』が加わり、それ以上は望まなかった。これらのアルバムがベスト盤である、と単純に思いこんでいた時期だ。その後、『ホワイト・アルバム』のコンセプトやリリース経緯を知り、根を下ろしていた思いこみを修正させるに至ったお話は他日に譲ろう。赤面。
 実は昨年の春かな、『赤盤』と『青盤』はなんのきっかけでか、矢も楯もたまらなくなって購入してしまっている。架蔵するビートルズのCDはこれが2枚目、3枚目だ。わが物となって改めて何度も聴いていると、ああビートルズって良い歌がたくさんあったんだなぁ、とか、おおこれはビートルズの歌だったのか、など感銘し、びっくりし、今更ながらにその存在の偉大さ、楽曲の普及率に腰を抜かしたね。
 ……この経験を踏まえると、いまオリジナル・アルバムについては『プリーズ・プリーズ・ミー』から専らTSUTAYAで借りては返しを繰り返しているけれど、──なんとなく思うのだが──これらも遅かれ早かれCDショップのレジへ積みあげて、日がな一日取っ替え引っ替え聴き耽る日の訪れも近いのかなぁ、と倩想像する。
 でも、どうしてこの時期にビートルズなのだろう、と思うて考えていたら、心当たりが1つ。好きなイラストレーターに牧野良幸という人がいる。この人の近著に、ビートルズへ的を絞った『僕のビートルズ音盤青春期』Part1&2(音楽出版社)があるのだが、いまのわたくしのビートルズ経験はこの本に触発されたことなのかもしれない。
 余談だが、牧野氏の『僕のビートルズ音盤青春期』と『僕の音盤青春期』、『オーディオ小僧の食いのこし』、ユーモアと共感とノスタルジーと羨望の詰まったこれらの作物は、まとめて読んで愉しまれるとよいだろう。常にマニアの一歩手前にいることを自負する著者が自らのオーディオ遍歴をイラストとエッセイで辿った『オーディオ小僧の食いのこし』(共同通信社)、幼少時代から始まっておそらく「現在」に至るまで書き継がれる=永遠にゴールの見えてこない音楽遍歴をイラストとエッセイで綴る『僕の音盤青春期』Part1&2(音楽出版社)が面白くて、わたくしには近年稀に見る再読、偏読率の高さを誇る本となっている。
 なお『僕のビートルズ音盤青春期』は内容が一部、『僕の音盤青春期』と重複してしまうけれど、それは仕方のないことだ。こちらはこちらで楽しめばよい。愉快な読み物であることに変わりはないのだから。Part2の過半はリヴァプールでのポール・マッカートニー・ライヴ参戦のため渡英した著者が、編集者と共にビートルズ所縁の地を巡るイラストとエッセイになっている。このあたりで巷間の評価は分かれるそうだが、わたくしは著者の聖地巡礼の記録を大変楽しく読んだ。今度渡英する機会あらば、ビートルズ所縁の地を巡ってみたいな、と思うた程である。
 しばらくの間は簡単な(!)ディスコグラフィと、この牧野氏のビートルズ本を共として、アルバムを順番に聴いてゆこう。◆

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