第2178日目 〈コリントの信徒への手紙・二第13章:〈結びの言葉〉with読了の挨拶と次に読む書簡について。〉 [コリントの信徒への手紙・二]

 コリントの信徒への手紙・二第13章です。

 二コリ13:1-13〈結びの言葉〉
 わたしパウロがあなた方の許へ行くのは、これで3度目です。そちらへ住む、以前罪を犯した者、また他の人々に向けて、あらかじめ伝えておきます──前回2度のコリント訪問時にもいうたことですが──。
 今度そちらへ行ったら、容赦しません。どうして? あなた方はキリストがわたしによって語っているてふ証拠を求めているからです。「キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です。キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。」(二コリ13:3-4)
 自分が信仰を持って生きているか反省し、自身を吟味しなさい。失格者でない限り、内にイエス・キリストが在るか、わかるはずです。失格者でないことを祈ります。われらが祈るのは、あなた方の目にどのように映るか気になるためではなく、あなた方が善を行うようになのです。われらは自分が弱くてもあなた方が強ければ喜ぶのです。あなた方が完全になることを祈っています。
 「遠くにいてこのようなことを書き送るのは、わたしがそちらに行ったとき、壊すためではなく造り上げるために主がお与えくださった権威によって、厳しい態度をとらなくても済むようにするためです。」(二コリ13:10)
 喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなた方と一緒にいてくれます。聖なる接吻で以て互いに挨拶しなさい。こちらの聖なる者たちがあなた方によろしく伝えてほしい、と申しております。
 どうかあなた方一同に主イエスの恵み、神の愛、聖霊の交わりがありますように。

 二コリ13:1;わたしがコリントへ行くのはこれで3度目です。ここは昨日読んだ二コリ12:14、3度目のコリント訪問を計画中である云々を踏まえての文言であります。
 本書簡が複数の手紙を編集して成立した説のあること、それが有力視されていることを知っていると、この点について極めて面白い発想(妄想?)が浮かびます。第12章と第13章はそれぞれ別の手紙の一部を為していた箇所であるまいか、偶々双方に3度目のコリント訪問の記述があるが両者を照らし合わせると齟齬を来しはしないか、とかね。
 むろんこれこそが誤りであって、実際は双方共に一連の正しい流れのなかにあり、パウロがいうているのは3度目のコリント訪問であり、実際その計画に従ってそちらへ行ったらば、という前提の下のことであります。以上は読書中、この件りを読み誤ったわたくしの妄言でありました。誠、知識は時として無用の躓きを生みますね。
 それはともかく。
 果たしてパウロの希望する3度目のコリント訪問は為されたのか。資料に拠れば、それは為された。西暦56年頃のことで、その折にパウロは「ローマの信徒への手紙」を執筆した由。複数回の訪問がされたこと、複数の書簡が執筆されたことなどから推測するに、パウロにとってここコリントは自分がかかわった幾つもの教会設立地のなかでも後回しにすることのできない、いちばん気懸かりでならぬ所であったのかもしれません。それだけ思いを傾けていた、ということにもなりましょう。
 「今度そちらへ行ったら、容赦しません」(二コリ13:2)などは、そんなパウロからコリントの信徒たちへの愛ある忠言といえるでしょうね。

 本日の旧約聖書は二コリ13:1bと申19:15。



 天候不順に見舞われ日々の寒暖差激しく、積雪・降雪により列島に様々な被害が出、交通機関も麻痺した1月後半、体調回復に油断せずとも喜びを実感し、一方で持病の悪化の兆候を知らされ苦悶しつつもわたくしは本日無事、「コリントの信徒への手紙 二」を読了した。
 途中、数年来の定時更新を棄てることもあったけれど、休むことなくこの約10日を乗り切ることができた。誓いの通りに! ちかごろの本ブログにあっては大きな達成である。恥ずかし気なくいうな、と野次られそうだが、喜ぶに足るじゅうぶんな理由がこちらにはあるのだ……。
 読者諸兄よ、あなた方へ感謝。その力強き存在と皆様のブレないアクセス数があってこそ、わたくしは営々と、のんびりと、しかし焦燥感を抱きつつ本ブログを執筆、更新・お披露目できるのだ。ありがとうございます。
 次に読むのは「ガラテヤの信徒への手紙」であります。<4大書簡>、<主要書簡>の掉尾を飾る本書簡はロマ、一コリ、二コリのなかでいちばん少数の少ないものだけれど(全6章)、勿論重要性は他に較べてまるで遜色はない。
 仄聞するところではこの「ガラテヤの信徒への手紙」、マルティン・ルターのその思想、その神学に深甚な影響を与え、キリスト教社会を一転させる宗教改革への道筋をつけた手紙であるそう。そのせいもあってかは存じませぬが、プロテスタントにとって本書簡は大切な意味を持つらしい。敬虔なるプロテスタントであった婚約者が生きていて妻となっていれば、このあたりも日々の折々に訊くこともできたのだが。追憶を胸に、わたくしもこの手紙を大切に読んでゆこう。
 そんな「ガラテヤの信徒への手紙」の読書開始は2月14日前後を予定しています。◆

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