第2194日目 〈ガラテヤの信徒への手紙第1章:〈ほかの福音はない〉、〈パウロが使徒として選ばれた次第〉with閉店間際のスタバでこれを書く。〉 [ガラテヤの信徒への手紙]

 ガラテヤの信徒への手紙第1章です。

 ガラ1:1-5〈挨拶〉
 キリストと神により使徒とされたわたしパウロと、一緒にいる兄弟たちからガラテヤの諸教会へ。神と主による恵みと平和があなた方のうちにありますように。

 ガラ1:6-10〈ほかの福音はない〉
 あなた方がこうも早くキリストキリストの恵みから離れて、他の福音へ乗り換えようとは思いませんでした。わたしは呆れています。
 或る人々があなた方を惑わし、キリストの福音を覆そうとしている。しかし、われらであれ天使であれ、われらが伝えたのとは異なる福音を告げ知らせる者あらば、誰であろうと、ことごとく呪われよ。あなた方が受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいるならば、呪われてしまうがよい。
 わたしは人に取り入ろうとしているのではない。誰彼に気に入られようとしているのでもない。そうだとすれば、わたしは最早キリストの僕ではありません。

 ガラ1:11-24〈パウロが使徒として選ばれた次第〉
 わたしが告げ知らせた福音はイエス・キリストの啓示によって示されました。
 あなた方はわたしがユダヤ教徒であった頃を知っています。わたしは誰よりも熱心なユダヤ教徒でした。いまにして思えば恐ろしいことですが、神の教会を徹底的に迫害し、滅ぼそうとしていました。が、神は主キリストを介して福音をわたしへ授けた。神は御子を示して異邦人へ福音を届ける役目をわたしに与えたのです。
 わたしはこのことについて血縁者、親族に相談することも、すぐエルサレムに上ることもしませんでした。ただ一旦アラビアに退き、再びダマスコへ戻ったのです。
 それから3年後、ケファことペトロと知り合いたいと思うてエルサレムへ上り、滞在中の15日間は使徒にして主の兄弟ヤコブを除けば、ケファ以外の人とは会いませんでした。嘘偽りを申しているのではありません。
 こうしたことがあって後、わたしはシリア及びキリキア地方へ足を運びました。そこにあるユダヤの諸会堂の人々はわたしのことを知っていますから、かつて自分たちを迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今度は福音として唱えている、と口々にいうては神を誉め讃えておりました。

 キリストの福音とは別の福音を世人へ告げ知らせる者あらば、それが自分たちであれ天使であれ呪われてしまえ。──パウロがなにを信じ、支えとして活動していたか、その信念を窺い知ることのできる台詞であります。そこには正しい福音しかこの世には存在しないのだ、という唯一無二のメッセージが込められています。
 斯様な発言がされるのは、異邦人キリスト者の信仰が簡単にぐらついてしまうことの苛立ちと自分たちの教育(と敢えて表現させていただく)の不十分なことへの悔しさがあってのことでしょう。会社で新人のOJTを担当している現在のわたくしは、その綯い交ぜとなったやるせなさに共感を抱くのでありますが、この直情ぶりについては見方を変えればパウロも若かった、ということになるのでしょうね。
 異邦のユダヤ人たちは福音を説いて回るパウロの姿に、神の偉大さ、寛容さを認めて讃えたのであり、決してパウロの回心を誉め、かれを応援したのではありません。混同してはならない。でなれけばパウロの行く先々に反パウロのユダヤ人が現れて危害を加え、暴行を加え、あまつさえ殺人を計画することはないでしょう。
 ガラ1:18「それから3年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り」云々の「3年後」とはいつを起点にしてのことであるか。使9:23に「かなりの日数がたって」とある。パウロ回心して後、エルサレムへ赴いて使徒たちと会うまでの間の出来事に触れた箇所であるが、ガラ1:18「3年」という表現は使9:23「かなりの日数がたって」に連動するもののように思われる。使9:23の時間経過を含めて「3年後」にエルサレムへ上ったのであろうから、起点とするタイミングは明瞭でないが、ダマスコへ引っこんで福音を同地の人々へ宣べ伝えている時分=ダマスコのユダヤ人たちがパウロ殺害を計画してその手から逃れた頃を起点としてよいのではないか、と思う。



 ちょっと残業したあと、ふらふらと原稿書きのためスターバックスへ。雨が降っていて折り畳み傘を出すのが面倒臭かったせいかな、いつもの店舗ではなく、以前の職場にいたとき使っていた店舗へ行ったのだ。
 階段を昇ったいちばん奥の席に荷物を置いてレジへ行ったはいいが、普段なら季節のメニューがイラスト付きで書かれた黒板に衝撃の一言が。「みくらさんさんかさん、ご入店お断り」ではなく、「明日はビルの一斉休業のため、本日20時で閉店します」という言葉。もうちょっと目立つところに置いてほしかった……入る前に気附けば他へ行ったのに……。
 が、もはや後戻りすることはできない。不可能だったのだ。いつの間にやらわたくしの順番が来て、店員がこちらの注文を待ち構えていたゆえに。たぶん動揺していたのだろうね、いつものコーヒー・トール・ホットではなく、季節メニューの新作「さくらブロッサム&ストロベリー」なんてかわいいものを頼んでしまったのだから。そう、コーヒーより高い商品さ。嗚呼……。
 ちゅるちゅるとストローで飲みながら、内心溜め息。閉店まであと1時間10数分。そうしてわたくしは意識を切り替えた。これこそ燃えるシチュエーションではないか。顧みれば以前の職場にいたときは21時退勤で閉店である22時30分までの約1時間10数分をここで過ごして、やはりいまと同じように聖書読書ノートを綴っていたではないか。──現在と異なる作業があるとすれば、Macで原稿作成の最後の過程が存在しなかったことぐらい。「歴代誌」や「ヨブ記」、「詩編」など、このスターバックスで執筆した覚えがあるな。
 斯くしてわたくしは勇躍筆を執り、一心不乱に(ときどきFacebookを眺めながらも)意識をノートへ傾け──どうにか第一稿の筆を擱くことはできた。感想の方で一部、自宅に置いてきた資料にあたる必要のあるものがあったので、それについてはアウトラインだけ認め、エッセイも書くことだけメモしてスタバ在留中は執筆を諦めたけれど、叩き台を用意することはできた。それでじゅうぶん。そうしてわたくしは帰宅して、……本稿入力中の現在に至る。なにか問題でもあっただろうか?
 さて。ところで本日はお休みである。窓から外を眺めれば雲が一切れ、二切れ浮かんでいるが、よう晴れておる。「ガラテヤの信徒への手紙」第2章の原稿を書かねばならぬが、気もそぞろないま、書かずにふらふらお出掛けしてしまいたい気分だ。もし明日午前2時に更新されなかったら、ああやっぱり、とご納得いただければ幸甚、幸甚。◆

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