第2195日目 〈ガラテヤの信徒への手紙第2章:〈使徒たち、パウロを受け入れる〉、〈ペトロ、ケファを非難する〉&〈すべての人は信仰によって義とされる〉〉 [ガラテヤの信徒への手紙]

 ガラテヤの信徒への手紙第2章です。

 ガラ2:1-10〈使徒たち、パウロを受け入れる〉
 それから14年後、最初の宣教旅行を終えたわたしはバルナバとテトスと一緒に、再びエルサレムへ上りました。多くの人々と会って、話をしました。就中エルサレム教会の主立った人たちと。なにを話したか、といえば、わたしが行っている異邦人への宣教が無駄な行為でないかどうか、の確認です。しかしエルサレム教会の主立った人たちは異邦人への宣教は是である、と認め、わたしを励ましてくれました。キリストの福音を受けるに際してギリシア人のテトスに割礼を強いるでもなく。偽りの兄弟たちが人々との話し合いの場に潜り込んできていたというのに、です。
 エルサレム教会の主立った人たちはわたしに如何なる義務を負わせたりしませんでした。それどころか、──
 「彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。」(ガラ2:7-8)
 その主立った人たちは異邦人への宣教についてそれぞれの右手を差し出し、わたしとバルナバも自分の右手を差し出しました。こうしてわたしの役目に関しては合意を見たのです。この出来事の証しとして、わたしは異邦の地のユダヤ人、そうして異邦人たちへキリストの福音を伝えるようになった。──貧しい人たち、即ちエルサレム教会の人々のことを気に掛けて忘れるな、と忠言されましたが、むろん忘れたことはありません。

 ガラ2:11-14〈ペトロ、ケファを非難する〉
 或るとき、わたしはシリアのアンティオキアへ下ってきたペトロに、面と向かって抗議したことがあります。
 原因は、エルサレム教会のヤコブから派遣されてきた一団がアンティオキアへ到着した途端、ペトロの態度が変わり、まわりの人々も──バルナバさえもが──つられて右に倣えした点にあります。エルサレムからの派遣団が着く前はペトロも異邦人と一緒になって食事していたのです。
 わたしはそれについて抗議といいますか、ペトロを非難したのでありました。曰く、あなたはユダヤ人なのにそれらしい生き方をしないで異邦人のように暮らしている、ならばどうしてあなたは異邦人にユダヤ人らしい生き方を強要するのでしょうか、と。

 ガラ2:15-21〈すべての人は信仰によって義とされる〉
 かれらは生まれながらのユダヤ人であり、異邦人の如き罪人に非ず。
 が、人はイエス・キリストへの信仰によって義とされ、ると知ったことでわれらはその信仰に入りました。律法の実行によってではなく、キリストへの信仰によって人は義とされるのです。
 かりにわれらが信仰によって義とされるよう努める罪人であるとすれば、果たしてキリストは罪に仕える者なのだろうか。否。自分が壊したものを自分で直すならば、自ら罪を犯した者、と証明することになります。わたしはこう考えます、──
 「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。」(ガラ2:19-21)

 まずガラ2:1にある、その14年後にエルサレムへ上った云々という件り。これは第1回宣教旅行を終えた後異邦人への伝道についての沙汰があったため、エルサレムへ上って事の次第を説明したことを指し、該当箇所は使15:2。続くエルサレム教会の主立った人たちと会談したことも、使15:5-22が伝えます。本章ではエルサレム教会が発行したアンティオキア教会宛の手紙については触れませんが、たしかに言及する必要性は感じません。
 ペトロの腰の坐らなさ、或いは日和見主義的な振る舞いは、既にわれらも福音書の読書を通じて見聞しております。あれから10数年以上を経たガラ2:11の頃でも変わらないかれの行動には驚かされます。が、わたくしはペトロはその立場上、本音と建て前を使い分ける必要があったのだろう、と考えるのです。ペトロがイエスの選んだ12使徒のリーダー的存在であったのは周知の事実。協会という組織のなかでかれが占める立場は、パウロとは著しく異なったそれである、と想像できます。エルサレム教会の目の届く範囲に身を置いているとき、もしくは教会要人として公の場にあるときは然るべく行動するが、エルサレム教会から離れて半公人として乃至は私人として過ごすときは異邦人とも存分に触れるよう務めることもある、という風に。
 すくなくともパウロ書簡に於いてペトロの性格や態度を、われらはパウロというフィルターを通してしか知ることがない。つまり、どこにも第三者の視点や意見、述懐といった客観的報告はないのであります。殊自分自身やその身近に侍って己の意を汲む者以外に対するパウロの発言は、その裏を丹念に読み解くだけの想像力や作業が必須である、とわたくしは断定してなんら憚るところのない者であります。◆

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