第2205日目 〈映画『残穢』、語り残したこと。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日の『残穢』の感想で「怪談とは」の定義を個人的ながら付けた。その際、劇中で登場人物がそこで展開される恐怖──穢れの連鎖を、「話しても聞いても憑かれる」という端的な言葉で述ていることにも触れた。予定していた内容を変更して再び『残穢』を取り挙げるのは、昨日かから身の回りにあった<残穢>的な現象のご報告をしておきたいからだ。そんなに怖い話でないから大丈夫、ご安心あれ。
 ──さて、<残穢>的な現象だが3つある。この24時間で3つなら結構な確率ではないのかな。
 1つ目は、昨夜午前1時半を少し回った頃であったか、階下でなにやら物音がした。わたくしの部屋はリビングに面した壁に観音開きの窓があり、そこからつながる廊下や玄関、個室の扉の開閉などどれだけ些細な物音であっても、かりに音の発生に相手が余程細心の注意を払ったとしても、起きている限りは確実にわたくしの耳に入ってくる。そのとき、個室の扉が開く音はしなかった、と断言できる。
 だのに、廊下を歩く摺り足のような音がし、時折小さな声が聞こえてくる。思わず映画の場面を連想したことに、読者諸兄はまさか失笑したりしないであろう。わたくしは布団のなかで読んでいた本を閉じ、どんぐり眼になって、聴覚へ全神経を向け、音について様々推理した。……やがて音は止み、同時に声も聞こえなくなった。そうしてわたくしは眠りに就いた。
 2つ目は昨夕刻のことである。県立図書館から借りてきたクラシックのCDをiTunesに取り込みながら、既に取り込み済みのカラヤン=BPO=ヤノヴィッツによるR.シュトラウス《4つの最後の歌》を聴いていた。表題通り全4曲で構成される本作は作曲家晩年の名品というべきもので、このとき聴いていたカラヤン盤は特にお気に入りの演奏。そんなお気に入りをiTunesで聴いていたら、第3曲〈Beim Schlafengehen (眠りに就こうとして)〉で突然、ノイズが発生した。過去に聴いたときは一度も発生したことのないノイズである。プチッ、プチッ、ブツッ、ブツッ、というノイズ。この第3曲だけで、それは発生した。
 おかしいな、とすぐに再生を中止して、棚からCDを引っ張り出して同じ曲を再生してみた。が、何度聴いてもノイズらしきものさえ聞かれず、やれやれ、と天井を仰ぎ見た。むろん、そこにはなにもない。仕方ないのでiTunesから一旦削除して再度取り込んでみた。取り込み状況になにも異常はなかったのだが、iTunesに取り込みの終わったものを聴いてみたら、やはり依然としてノイズは発生していた。仕方ないのでiTunesから削除して、いまはそのまま放置してある。
 そうして3つ目は、実は映画鑑賞中のこと。たしか竹内結子と橋本愛が喫茶店で会って、もう調査をやめようか、と話している場面である。左斜め後ろで、誰かが咳をした。遠慮の感じられる咳だった。すぐそばではなく、少し離れた席に座っている人のようだった。
 特に気に留めることもなくそのまま映画を鑑賞していたのだが、あれ、としばらく経ってから気が付いた。わたくしは座っていたのは後ろから2列目である。自分の斜め左の方には誰も坐っていなかったはずだ。すぐ後ろの列には端から端まで誰も坐っておらず、いちばん後ろの列にしても大学生か高校生か判別のできぬ10代ぐらいの男女が3人、真ん中より少し右の方に坐っていただけだ。後ろ2列の誰彼が上映中に通路を通って出入りしたことはない。そもわたくしの聞いた咳は後列2列よりももっと離れたところでしたようだった。
 心霊スポットに足を踏み入れてしまったあとはそのまま帰宅せず、一旦繁華な場所で時間を過ごすと良い、と聞いたことがある。連れて来ないように、ということだろうか。わたくしもその顰みに倣ったわけではないが、映画の鑑賞後はパブによって黒ビールを数杯胃に流しこんだ。◆

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