第2208日目 〈エフェソの信徒への手紙第1章:〈挨拶〉、〈神の恵みはキリストにおいて満ちあふれる〉&〈パウロの祈り〉with新人さんを育てる、ってこと。〉 [エフェソの信徒への手紙]

 エフェソの信徒への手紙第1章です。

 エフェ1:1-2〈挨拶〉
 キリスト・イエスの使徒パウロからエフェソの聖なる者たち、信徒たちへ。神とキリストからの恵みと平和のあらんことを。

 エフェ1:3-14〈神の恵みはキリストにおいて満ちあふれる〉
 神はわれらをキリストに於いて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくれました。神はわれらをキリストに於いて、聖なる者、汚れなき者として選んだ。実にキリストによって神の子にしようと、神はわれらを選んでいたのです。「神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。」(エフェ1:6)
 われらは御子に於いて罪を赦され、その血によって贖われました。前以てキリストに於いて決められていた神の御心に基づく秘めたる計画を知らせるため、神は豊かな恵みをわれらの上に注いであふれさせ、すべての知恵と理解を与えました。斯くして時は至り、救いの業は完成されて、あらゆるものがキリストの下へ一つにまとめられるのであります。
 われらはキリストに於いて約束されたものの相続人。それは以前からキリストに希望を抱いていたわれらが神の栄光を讃えるためなのです。
 われらは約束された聖霊に証印を押されます。「この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」(エフェ1:14)

 エフェ1:15-23〈パウロの祈り〉
 わたしは祈りの度毎に感謝しています。あなた方が主イエスを愛し、すべての聖なる者たちを愛している、と聞いたからです。
 どうかあなた方が主イエス・キリストの御父である神によって知恵と啓示の霊を与えられ、神を深く知り、心の眼が開かされますように。
 どうかあなた方が主イエス・キリストの御父である神によって、その招きによってどのような希望が与えられ、聖なる者たちが受け継ぐ栄光がどれだけ豊かであるか、あなた方が知ることができますように。
 どうかあなた方が主イエス・キリストの御父である神によって、われら信仰者に対して神の振るう力がどれだけ絶対的で偉大、そうして強大なものであるか、どうかあなた方が悟りますように。
 「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。
 神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」(エフェ1:20-23)

 信徒にとってキリストは<ハブ>の役割を果たし、かつそれはネットワークの中枢にして最上位にある存在だとはっきり示した言葉で、本書簡は開幕します。就中引用もしたエフェ1:20-23はそうしたことを明確に、唯一点の迷いも曇りもなく論述した箇所である、とわたくしは読みました。
 祈りという形で表出されたパウロ思想の要、けっして譲ることのできぬ生命線を見た思いであります。



 新人を育てることはお金もかかり、研修やOJTを担当する者には神経をすり減らせる行為だ。が、その一方でコンプライアンスや社内ルール/マナー、そうして業務知識の確認が人知れずできる点で、またとない自分磨きの場をそれは兼ねている。
 とはいえ、こちらの力不足なのか、相手の資質によるのか、もしくは相乗効果を来したか。どうあがいても底上げして独り立ちさせられることかなわず去る姿を見送らざるを得ないことも、往々にしてある。自分がしてきたことに疑問を抱き、方法や接し方を反省し、しばしの間落ちこんでしまうのはそうしたときだ。あんなに一所懸命教えてもらったのに独り立ちできなくて済みませんでした、と殊勝にいわれたときなど尚更。いや、もしかしたらそれは俺に原因があったのかもしれないし(でも実はそんなこと、微塵も思っていないときもある)。
 が、それだけに、次に入ってくる人たちは、と思う。1人でも多くの人材を早くに独り立ちさせて、先輩たちのなかへ組みこんで実戦を経験してもらえるよう、まずはそちらへ全力を傾注できるようにしたいのである。しかしながら、それにはOJTに集中させてくれるだけの環境が必要だ……。
 会社へ行けば、わがマイ・スウィート・ハニーも何人かいるし、頼りになる仲間が揃っている(極々一部に存在する反対派・中傷派は華麗にネグレクト〔スルーではなく〕)。──これは折々別業務を行うことしばしばなわたくしにとって、孤独と無聊を慰めるなによりの支え。
 クマのプー助、別称:テッド、ときどきパディントンなわたくしは春の花も嵐も踏み越えて、行くさそいつが男の生きる道、と歌ってみたり、叫んでみたり、ぼやいてみたり。
 ──ところでこのエッセイ、コンプライアンスに抵触していないですよね?◆

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