第2213日目 〈エフェソの信徒への手紙第6章:〈悪と戦え〉、〈結びの言葉〉他withエフェソ書読了の挨拶。〉 [エフェソの信徒への手紙]

 エフェソの信徒への手紙第6章です。

 エフェ6:1-4〈子と親〉
 子供たちは主に結ばれている者として両親に従いなさい。父と母を敬え、とは約束を伴う最初の掟です。
 父親たちは子供を怒らせてはならない。主が躾け、諭すようにして、子供たちを育てなさい。

 エフェ6:5-9〈奴隷と主人〉
 奴隷たちは肉による主人に従いなさい。恐れ戦き真心を以て、キリストへ仕えるが如く主人に仕えよ。奴隷の身分であったとしても、善いことを行えば主から報いを受けられるのだから。
 主人たちは奴隷をキリストの如くに扱いなさい。ゆめ虐げてはならぬ。主人の上にも奴隷の上にも、等しく同じ神がいて、人を分け隔てることはないのだから。

 エフェ6:10-20〈悪と戦え〉
 エフェソの聖なる者たちよ、これが最後の奨めです。「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。」(エフェ6:10-12)
 邪悪な日の訪れに供えて、いつその時が来ても抵抗してしっかりと立っていられるように、神の武具を着けてそれに臨め。また、どのようなときも“霊”の助けを得て祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために絶えず目を覚まして根気よく祈り続けよ。
 「また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。」(エフェ6:19-20)

 エフェ6:21-23〈結びの言葉〉
 われらの様子を皆さんに知ってもらうため、ティキコをそちらへ派遣します。かれはわたしの宣教旅行の同伴者の1人で、主に結ばれた、わが愛する兄弟です。あなた方はティキコから、心に励ましを受けることでしょう。
 どうぞあなた方へ平和と愛が、父である神と主キリストからありますように。恵みが、変わることなき愛を以て主キリストを愛するすべての人々へ共にあらんことを。

 新共同訳新約聖書の本章の訳文は徹底的に改めるべきです。日本語として機能していない文章から神の御心を知れなど無理な話。がちがちの朴念仁どもに依拠してばかりでなく、ユダヤ教/キリスト教に明るい職業翻訳家も翻訳チームに交えて、日本語として読める聖書を作りあげてくれ。ドイツ語に於けるルター訳の如く、英語に於ける欽定訳聖書の如く、日本語の文章の模範となるような、かつての文語訳のように影響力ある聖書を残してくれ。それが文章に異様にこだわりたい本ブログ主からの希望であり、要求であります。
 それはさておき。
 正直なところ、何度読んでもよくわからぬ文章のお陰もあってか、本章の前半は読み流しても構わないでしょう。わずか一行に惹かれるものはあると雖もそれ以外の箇所はまるでどうでもいい。少なくとも、これまでと同じ姿勢で臨む必要はまったくない、と判断しました。上の本文をお読みいただいて、なんだか薄い文章だな、とお感じの方が居られれば、わたくしのなかば投げ遣りな読書姿勢が影響したのだ、と思うていただいて結構です。
 〈悪と戦え〉でパウロは神の武具を着けて云々と述べますが、おわかりのように本文ではばっさり削除しました。ちょっと落ち着かないので補記しておきます。
 帯:真理
 胸当て:正義
 履物:平和の福音を告げる準備
 盾:信仰
 兜:救い
 霊の剣:神の言葉、以上であります(エフェ6:14-17)
 ──おそらくは本書簡を携えてエフェソへ向かったであろうは、第3回宣教旅行の随伴者の1人、アジア州出身のティキコでした。随伴者として選ばれたことから、アジア州内の諸教会では知られた存在で、特に信仰に篤かっただろうことが想像できます。残念ながらプロフィールが知られないティキコの初出は使20:4。本章第21節の他、「テモテへの手紙 二」第4章第12節でも名前が出ます。

 本日の旧約聖書はエフェ6:2-3と出20:12及び申5:16。



 最後に新共同訳聖書の訳文について愚痴っちまったが、そんなことはあっても「エフェソの信徒への手紙」は本日で読了となる。1週間以内で読み切れる書物は久しぶりだ、と以前に書きましたが、実際終わってみると、本当にこれで全部だったのかなぁ、と不安になってしまいます。でも、読了は本当の話。信じろ、俺。
 最終日にあたり、読者諸兄に感謝します。過去に何度となくいうたかもしれないが、事実なので何度だって述べる。あなた方なくして本ブログの継続はあり得ぬし、わたくしもあなた方なくして会社帰りの読書と執筆に耽ったりはしない。たとい亡き婚約者とテロの犠牲となった友らの追想と雖も、斯くも本腰を入れて本ブログのための時間を割くのは、読者諸兄あってのこと。
 数は少ないながらも年来の読者の方々へ、また、新規参入であってもお気に召していただきそのままお読みくださっている方々へ、わたくしは心よりの感謝をささげる。これを一言でいえば、ありがとう、という言葉に結ばれる。
 次の「フィリピの信徒への手紙」を明日から読むか、明後日から読むか、まだ決めかねていますが、再開の日まで皆様がご健勝でありますように。道の果ての開拓地へ、誰も行ってしまいませんように。◆

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