第2220日目 〈フィリピの信徒への手紙第4章2/2:〈勧めの言葉〉、〈贈り物への感謝〉&〈結びの言葉〉with読了の挨拶。〉 [フィリピの信徒への手紙]

 フィリピの信徒への手紙第4章2/2です。

 フィリ4:2-9〈勧めの言葉〉
 エボディアとシンティケには、主に於いて同じ思いを抱くよう奨めます。真実の協力者よ、2人を支えてください。彼女らは他の協力者と一緒になって、福音のために戦ってくれたのです。
 あなた方よ、主に於いて喜びなさい。あなた方の広い心がすべての人に知られるようになさい。主はあなた方のすぐ近くにいます。
 「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリ4:6-7)
 フィリピの兄弟たちよ、すべてに於いて真実なこと、気高いこと、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、名誉なこと、その他徳や称賛に値することがあれば、心に留めなさい。
 フィリピの兄弟たちよ、わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたと共にいることでしょう。

 フィリ4:10-20〈贈り物への感謝〉
 あなた方が示してくれた心遣いに感謝します。物欲しさからいうのではないが、これまではその思いはあっても実行に移すのは簡単でなかったのでしょうね。
 でも、わたしは自分の置かれた境遇で満足することを覚えたのです。豊かに暮らす術も、貧しく暮らす術も身に付けています。満腹であれ空腹であれ、物が有り余っていようが不足していようが、現状で対処する術といいますか、秘訣を授かっているのです。
 「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリ4:13)
 あなた方もご存知のように、福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、互いに物資のやり取りが行える教会はあなた方の他にありませんでした。また、テサロニケにいたときもあなた方はわが窮状を救おうとして、援助のための物資を届けてくれました。そうして今回もエパフロディトの手で……。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくれるいけにえであります。
 「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。」(フィリ4:19)
 われらが父なる神に、代々限りなき栄光がありますように。アーメン。

 フィリ4:21-23〈結びの言葉〉
 キリストに結ばれたすべての聖なる者たちへ宜しくお伝えください。
 わたしと共にいる兄弟たちがあなた方へ宜しく、といっています。
 こちらの聖なる者たち、就中皇帝の家の人々からも、宜しくとの言伝を預かっています。
 主イエス・キリストの恵みがあなた方の“霊”と共にありますように。

 本稿冒頭で触れられる2人の女性──エボディアとシンティケがどのような人物なのか、先達てのエパフロディト同様、否、それ以上に定かではありません。エパフロディトの場合は或る程度まで類推するための材料が2つ3つと雖も与えられていましたが、彼女たちはフィリピ教会に属する人という以外はなにもわからぬ。どうしてパウロがこの2人を名指したのかも。
 「使徒言行録」にはエボディアの名もシンティケの名も記されませんが、彼女たちは(西洋初のキリスト者となった)リディアの縁者の1人であるかもしれません。2人のどちらかは、霊に憑かれていた女奴隷であった可能性だって否定はできない。例によって真相は、歴史のカーテンのずーっと奥に取り残されています。
 同様に、「命の書」なるものに名が記されているクレメンスや真実の協力者についても、<真相不明>というもどかしさが残るのには変わりありません。やはりマケドニア州に住まう、パウロにとっては異邦人、地理的に見ればギリシア人であろう、というが精々な。
 因みにクレメンスという名を挙げれば、ローマ教皇のなかにはその名を持つ人物が2世紀から18世紀までに14名おりますし、2世紀にはアレクサンドリアのクレメンスと称される、ギリシアはアテネ出身とされるキリスト教の神学者がおりました。クレメンスという名は地中海世界では、殊ギリシア地方に多い名前だったのかもしれません。この点については、好きな指揮者の名前でもありますので、も少し調べてみようと思います(その指揮者──クレメンス・クラウス──はウィーン出身で、ギリシアとは縁が薄そうですが)。
 それにしても本章にて、本書簡でわたくしがいちばん共感の思いを抱いたのは、パウロが自分は自分の置かれた境遇で満足することを覚えたのです、と告白している点であります。境遇とはあくまで訳語ですから、これを環境とも状況とも言い換えてよいでありましょう。現代風にミニマル・ライフと表現したってよい。個人の生活という視点で見ても、これは或る種の憧れというてよいように思います。ストイック、というのではなく、簡素──シンプルな生活様式というのは、(西洋に於いては)もしかするとパウロのような人物によって始められたのかもしれませんね。
 突飛な連想と苦笑されそうですが、わたくしはこの箇所を読んでいて、たとえば、20世紀アメリカの怪奇小説作家、H.P.ラヴクラフトを思い、近世期の国学者/歌人/俳人/茶人/医者にして小説家、上田秋成を思い、19世紀イギリスの女流作家、エミリ・ブロンテを思いました。わたくしがパウロのこの文章に反応したのは、わが文学的灯台、北極星であるかれらの生活とオーバーラップしていることへ無意識にも感応したためなのかもしれません……。
 フィリ4:22にある「皇帝の家の人々」とは、パウロが監禁されていた牢獄を警護するローマ兵でありましょう。牢獄のパウロは最も身近にいる異邦人、即ちローマ兵に福音を説いてかれらの心を動かしたのであります。



 「フィリピの信徒への手紙」は本日を以て読了。〈前夜〉を含めればわずか5日の読書であったが、無事にこの日を迎えられたことを喜ぶのは他の書物となんら変わりありません。読者諸兄の支えなくして日々の読書と執筆、本ブログの更新があり得ぬのも然り。サンキー・サイ。
 次の「コロサイの信徒への手紙」は少し日を置くことになるかもしれません。が、わたくしは必ず帰還する。約束。聖書の読了まで道の果ての開拓地へ行ったりしないということも、ここに誓っておこう。
 ──それにしても今回、久しぶりに聖書の読書と原稿の執筆、ワープロ稿の作成とその後のブログ更新をすべて一つながりの作業として退勤後の3時間か4時間をかけて行ったが、やはりこの方法が自分にはいちばん馴染んでいるかなぁ。原稿のストックがあると、どうも怠けていけない。◆

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