第2233日目 〈「フィレモンへの手紙」前夜with漫画家、小山田いくさんが亡くなりました……ああ、もう!?〉 [フィレモンへの手紙]

 「フィレモンへの手紙」はおそらくコロサイ、もしくは近郊のラオディキアかヒエラポリスに住んでいたキリスト者、フィレモン宛の手紙であります。なお、これは〈獄中書簡〉の1つ。残り3書簡と離れた位置に置かれているのは、往事の手紙の価値が長さによってこそ決定されていたため。単一章の本書簡がパウロ書簡の掉尾に於かれた理由であります。
 パウロ書簡のうち、個人へ宛てられた手紙は他にテモテとテトスへ向けたものがあって、そちらは〈牧会書簡〉に分類される。そのテモテとテトスは他書簡や「使徒言行録」の記述を再構成することによって、経歴などその片鱗を窺うことは可能です。
 が、フィレモンは本書簡以外どこにも名の出ない人物ゆえ、かれに関する情報は皆無に等しいといえます。住所もコロサイ、乃至は近郊の2つの町のいずれか、という風に、事実に極めて近いであろうが確証はどこにもありません。
 フィレモンはオネシモという奴隷を持っていました。その1点を以てそれなりの立場と経済力がある人物が想像できますが、これも実像とどこまで一致するかは怪しいものです。ただこれを逆手にとって、フィレモンの人物像を勝手に夢想してみるのも楽しいかもしれませんね。
 本書簡は「コロサイの信徒への手紙」と同じ時期、同じ場所で書かれました。即ち、53-55年頃エフェソにて。
 「フィレモンへの手紙」はいうなれば個人と個人の不和を執り成す/調停するために書かれました。──フィレモンの許にいた奴隷オネシモはなんらかの理由によって主人のところを出奔、エフェソへ流れ来たったかれは監禁中のパウロの知遇を得てキリスト者へ回心しました。手紙の内容は、主人の許へ帰るオネシモをキリスト者として迎え入れてあげてください、というもの。
 かつてイエスは律法を無効とし、<新しい掟>を使徒たちや支持者たちへ教えました。その残響は1世紀中葉の本書簡にまでたしかに響いております。それが異邦人へ宛てられた手紙のなかに見出せることに胸が熱くなるのであります。明日のノートでどこまでそれを伝えられるかわかりませんが、もしそれを確かめたいという方がいるならば、是非実際に新約聖書を開いてパウロの言葉を直接味わい、併せて福音書や他のパウロ書簡を繙いてほしい、と思います。
 わたくしは全25節の本書簡を読んで安寧の気分を抱いたのですが、それは勿論わかりやすい内容であることに加えて、これまでの書簡でパウロが説いてきたキリストの福音、イエスが福音書で語った<新しい掟>が純化された形でまとめられているせいもあるでしょう。
 単一章の書物を読むのは旧約聖書続編の最後に収められた「マナセの祈り」以来となります。それでは明日、「フィレモンへの手紙」を読みましょう。

 今朝のことです。出勤前のほんの一時のことです。LINEニュースで知り、Twitterで確かめ、ハフポストまで記事にしたことでようやく本当だったのか……と嘆いた出来事がありました。
 漫画家、小山田いくさんが亡くなった由。享年59才。長野県小諸市のご自宅で亡くなっているのが発見された模様。今年に入ってやはり漫画家である弟たがみよしひさ氏のTwitterには、ご家族の容体が悪い旨呟かれており、ファンの間では様々憶測されていたそうです。
 小山田いくさんの代表作は『すくらっぷブック』や『ぶるうピーター』、『マリオネット師』、『星のローカス』など。『少年チャンピオン』誌でデビューしたこともあってか、秋田書店の刊行物が現役の間は発表の主舞台でした。玄人受けする漫画家でありましたね。
 出会いは小学生のとき、兄から借りた『少年チャンピオン』誌で連載されていた『すくらっぷブック』にて。文化祭の準備をしている回であったと記憶します。爾来、即かず離れずの距離を保ちながらファンをやって来ましたが、その後創作に携わるようになって常に自分の根っこにあったのは小山田いく作品であることを再認識したのは、たぶん火事を経験した30代前半。わたくしが書き紡ぐ小説の世界が特になんの変哲もない日常の光景であるのは、子供の頃に読み耽った小山田いくさんの作品に影響を受けているのだろうなぁ。
 まだきちんとその死を悼み、作品を回顧することはいまの自分にはできそうもありません。初めて好きになったマンガは『すくらっぷブック』、初めて作家読みするようになった漫画家は小山田いくさんでしたから。いまは斯様に追悼の気持ちを表すに留めましょう。
 やすらかにお眠りください。◆

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