第2244日目 〈テサロニケの信徒への手紙・一第1章&第2章1/2:〈挨拶〉、〈主に倣う者〉他with『図書館戦争 THE LAST MISSION』がまだ観られていません!〉 [テサロニケの信徒への手紙 一]

 テサロニケの信徒への手紙・一第1章と第2章1/2です。

 一テサ1:1〈挨拶〉
 わたしパウロと兄弟シルワノとテモテからテサロニケの教会のあなた方へ。恵みと平和が神と主に依ってありますように。

 一テサ1:2-10〈主に倣う者〉
 われらは祈りの度毎にあなた方を思い起こし、神に感謝しています。というのも、──
 「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。」(一テサ1:3)
 あなた方の町で、われらがどのように働いたかはご承知でしょう。あのとき、あなた方はひどく苦しめられていた。が、聖霊に基づく喜びを以て御言葉を受け入れて、われらに倣い、主に倣い、マケドニアとアカイア両州の信徒たちすべての模範となったのでしたね。あなた方の神への信仰の篤さについては至る所で伝えられています。そこでの信仰に関してわれらが補足したりするようなことはありません。
 なぜならば、かれら自身が広告塔となってわれらのことを言い広めてくれているからです。われらがどのようにあなた方へ迎えられたのか、あなた方が如何にして神に立ち帰り生ける神に仕えるようになったか、どのようにしてあなた方が御子が天から来るその時を待ち望むようになったか、そうした事柄をかれらは言い広めています。
 なお、最後に触れたこの御子こそが、神が死者のなかから復活させた、来たるべき怒りからわれらを救う役を与えられたイエスなのであります。

 一テサ2:1-16〈テサロニケでのパウロの宣教〉
 われらがあなた方の町へ行ったことは決して無意味ではなかった。それどころか神に勇気づけられて、激しい苦難に見舞われつつも、吹きすさぶ逆風に曝されるつつも、神の福音をあなた方へ語ったのでした。
 われらの宣教は不純な動機から為されているわけではない。われらは神によって、福音を宣べ伝えるために選ばれ、その資格を与えられたのです。福音を委ねられていなければ、宣教に努めていたかどうか……。われらは人に喜ばれるためではなく、われらの心を吟味する神に喜ばれるため、この仕事に就いているのです。
 われらは人にへつらったり、口実を設けて掠め盗ったりしませんでした。神が証人です。われらは何人からも人間としての誉れを求めたことがありません。キリストの使徒として権威を主張することができたからです。
 われらはあなた方の間では威丈高にならず、幼な子のようになっていました。キリストの福音ばかりか、自分の命さえ喜んで与えたいと願った程、あなた方を愛したのであります。
 われらは誰にも負担を掛けませんでした。夜も昼も働きながら神の福音を宣べ伝えました。あなた方はわれらの労苦と骨折りを覚えているでしょう。われらが信徒1人1人に対してどれ程敬虔に、正しく、非難されることがないよう振る舞ったか、あなた方が証ししてくれるでしょう。
 「あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。」(一テサ2:11-12)
 絶えることなく神に感謝しているわれら。なぜならば、あなた方は福音を人の口から出た言葉ではなく、神の言葉として聞き、自分たちの内へ受け入れたからであります。事実、それは神の言葉であります。そうして現にあなた方のなかで働いて作用しているものなのであります。
 テサロニケの兄弟たちよ。あなた方はいま、ユダヤの、キリストに結ばれている神の諸教会に倣う者となりました。あなた方もキリスト者となったユダヤ人同様、同胞から苦しめられていたためであります。ユダヤ人たちは預言者とナザレのイエスを殺し、使徒を始めとするキリスト者たちを迫害しました。神の目に正しいと映ることをせず、あらゆる人々に敵対して異邦人も救済されるよう願い語るわれらの宣教を妨げるなど、自分たちの罪を重ねるようなことばかりしています。「神の怒りは余すところなく彼らの上に臨みます。」(一テサ2:16)

 〈挨拶〉に出るシルワノは第2回宣教旅行に於けるパウロの随伴者の1人シラスであります。
 テサロニケ教会に集う信徒たちがどれだけ篤信家揃いで、神の目に正しいと映ることをことごとく行って、そうしてどれだけ敬虔であるかを讃える言葉で始まる本書簡。パウロの神学論が前面に押し出されることとなる後の手紙と異なり、より相手のしあわせを心より願ったパーソナルな傾向を見せる手紙と思い、また人間パウロの真心にあふれたあたたかみのある──血の通った手紙と思います。これはやはり〈パウロ書簡〉のうち最初期に書かれたことが関係しているのかもしれません。
 宣べ伝えたキリストの福音は、テサロニケの信徒たちの模範的な信仰生活を通してマケドニア、アカイア両州のみならずギリシア諸州へ広められてゆく。自分に代わって恵みと平和について異邦人へ語り、説くことのできる存在のあることは、パウロにとってどんなに心強く、喜ばしいことであったでしょう。
 引用した一テサ1:3は後年に書かれる「コリントの信徒への手紙 一」第13章の萌芽といえましょう。信仰によって働き、愛のために労苦し、希望を抱いて忍耐する。信仰、希望、愛。これらが最後まで残るのでありましたね。



 先月末、『図書館戦争 THE LAST MISSION』のBlu-rayを入手しました。タワーレコード・オンラインで予約し、数日後に受け取りました。当然、特典てんこ盛りのプレミアムBOXです。公開に併せて発表された掌編が読める、という<ウリ>がなければプレミアムBOXの購入は見送っていたかもしれないなぁ……。
 受け取った翌日は休みにあたっていたので、さっそくじっくりと鑑賞する予定だった──が、予定はあくまで予定でしかない。あれから1週間が経とうとしているのに、その間に休みを2日もらっていたにもかかわらず、今日に至るも未だ観ていないという事態が継続中。いやぁ、参ったね。マンションを見に行ったり、病院に行ったりしていたせいかな。そういえばお花見して束の間の安息も得られたこともあったっけな(と、遠い目)。
 明日も休みだけれど、予定があるから鑑賞は無理だろう。これまでの経験値に基づく限りなく事実に近い予想である。諦めの境地? うむ、それ以外に言い様がないな。ハンス・ザックスのような諦念の微笑を以てこの憂うべき自称を傍観しようか。が、その次に控えている久しぶりの連休には必ず! と、必要以上に鼻息を荒くして意気込んでいる今夜であります。ただいま4月4日、21時07分……。◆

共通テーマ:日記・雑感