第2246日目 〈テサロニケの信徒への手紙・一第4章2/2&第5章:〈主は来られる〉&〈結びの言葉〉withHLN『The Oregon Report』!〉 [テサロニケの信徒への手紙 一]

 テサロニケの信徒への手紙・一第4章2/2と第5章であります。

 一テサ4:13-5:11〈主は来られる〉
 既に眠りに就いた人々について希望を持たない人たちのように嘆き悲しむのはやめましょう。われらはイエスが死んで復活したと信じています。イエスを信じて眠りに就いた人々を神はその眠りから導き出してくれるのです。
 「主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。」(一テサ4:15-17)
 あなた方はこの言葉によって互いを励まし合いなさい。
 主が来臨するとき、またその時期について、あなた方がなにかを書き記したりする必要はありません。というのも、主が来臨する日は必ず来て、そうしてある日突然訪れるというものではないからです。それは不可避の出来事でありますが、前兆はあるのです。主の日が盗人のようにあなた方を突然襲うことはありません。
 その日の訪れに備えて、われらは惰眠を貪っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。われらは<夜>に属する者に非ず。<昼>に属しています。だから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜として被り、身を慎んでいましょう。神はわれらを主イエス・キリストによる救いにあずかるよう定めたのであって、怒りに定めたのではありません。
 主が死んだのは、昼も夜もわれらと共に在るためです。為、あなた方はかの言葉を糧として互いを励まし合い、向上に努めなさい。

 一テサ5:12-28〈結びの言葉〉
 お願いです。あなた方の間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじて、かれらを愛を以て心から尊敬しなさい。
 兄弟たち、平和に過ごしなさい。怠け者がいたら戒めなさい。「気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。」(一テサ5:14)
 悪を以て悪に報いるなかれ。お互いにであっても、すべての人たちに対してであっても、誰に対しても善に努めなさい。
 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(一テサ5:16)神はあなた方にこのことを望んでいます。
 「すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。」(一テサ5:21)
 平和の神があなたを全く聖なる者としてくれますように。霊も体も魂もなに一つ欠けることがなく、われらが主キリスト・イエスの来るときには非の打ち所のない存在としてくれますように。
 あなた方を招いた方は真実で、必ずその通りにしてくれます。
 兄弟たち、われらのために祈ってください。
 あなた方よ、聖なる口づけによってすべての兄弟たちに挨拶しなさい。この手紙をすべての兄弟たちに読み聞かせなさい。主により命じます。
 われらが主イエスの恵みがあなた方にありますように。

 来臨は或るとき突然に訪れるのではなく、事前の地均しあって為される。そうパウロは説きます。以前に読んだパウロ書簡のなかにやはり同種の主張があったように思います。また、福音書にもよく似たことが書かれていた、と記憶します。夜も昼も目を覚まして、身を慎んでいましょう、という点についても然り。
 上述のことは、たとえば福音書ならマタ24、マコ13、ルカ12と17そうして21に見られました。パウロ書簡としてはロマ13:11-14、一コリ16:13-14といった箇所が挙げられるでしょう。
 ゆえに、というわけではありませんが、わたくしは書簡群のうち最初期に書かれたとされる「テサロニケの信徒への手紙 一」は、福音書の精読を通してパウロが摑み取ったエッセンシャル・オブ・ゴスペルというべきものであり、それまで行っていた宣教の内容を<神学>へ発展させるためのプッシング・ボードの如し、と思うのであります。
 ──本日を以て「テサロニケの信徒への手紙 一」は読了となりますが、読了挨拶は次の「テサロニケの信徒への手紙 二」と一緒に。というわけで、明日は(短いながら)「テサロニケの信徒への手紙 二」前夜であります。



 例によってタワーレコードのHPを巡回中、Rock/Popsのページを開いた。殆ど知らないアーティストの新作が並んでいるなぁ。その反動だったか、検索ウィンドウに「ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース」と打ちこんでみた。見馴れたジャケットのオリジナル・アルバムやライヴDVD、或いはベスト盤やコンピレーション・アルバムがわらわらと出てくるなか、見馴れぬタイトルのアルバムを発見。タイトルを『The Oregon Report』(Refractor Records//FMCB101CD//2015/09/18)という。
 これはなんだ、よもや新作か!? 勇んでタイトルをクリックしたが、得られる情報はなにもなく、Googleで調べてみた。その瞬間にも期待値は一気に沸騰する。ベスト盤の類を除けばかれらのアルバムは2010年のメンフィス・ソウルのカバー・アルバム『Soulsville』以来だ。いったいどんな内容なんだ、カバーではなくて完全オリジナルな音盤であることを祈っているぜ! ……と、ようやくGoogleの検索結果から見附けた情報によれば、『The Oregon Report』は1986年12月17日、オレゴン州ポートランドでのスタジアム公演を収めたライヴ・アルバム。
 タイトルだけ先に知り、Googleが検索結果を表示するまでの極めて短い時間、わたくしはこんな風に思うて過ごしておったよ。曰く、──
 またまたまさかのベスト盤かよぉ! いったいどうなっているんだ、このアルバム・タイトルとヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースの関連はどこにあるのさ!? 「オレゴン」ってあのオレゴン州か。ヒューイが住んでいる所ってモンタナ州だろ。バンドとオレゴンの関係っていったいなんなの。それともレコード会社がオレゴンにあるからその会社のリリース物です、っていう程度の意味合いで件のタイトル?  期待値が大きかっただけに反動は実に、実に、実に大きく、地中にめり込んで地殻を引き裂きマグマ溜まりにまで達するか、という勢いだ。つまり一言でいえば、超ベリー・バッドなのである。もうね、布団かぶって明後日までふて寝したいレベルである。みくらさんさんか、マジ失望。  比較的コンスタントに新作がリリースされるアーティストのファンが羨ましいや。ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースの新作アルバムが2010年代にリリースされることは、もうないんじゃないのか? レコード会社ももうちょっとこのあたり検討してよね。いっそのこと日本のレコード会社がかれらに働きかけて、新作アルバム3,4枚作ってもらえば良いと思うの。だって、ねぇ?
 ──と、ここに至るまで約1.数秒。即ち、Googleの検索結果が表示されるまでの、刹那の時間。検索結果をスクロールしてゆく前に、一旦コーヒー・ブレイク、クール・ダウン。
 1980年代のライヴ音源がリリースされるのは別段珍しいことではない。『The Oregon Report』が正規盤であるかも不明だ。HLNの公式サイトになんの情報も出ていないところから察すれば、おそらく正規盤として扱われる類のアルバムではなかろう。放送音源(WAAF-FM)であるようだから、所謂ブートレグでしょうね。
 が、ブートレグであったとしても、1980年代なかばという全盛期のライヴがこうして聴けるのは貴重だ。考えてみればHLNにはそんなアルバム、これまで1枚もなかったものね。同じ1980年代アメリカン・ロックの一方の雄であったB.スプリングスティーンには幾らでもそうしたものがあるにもかかわらず。
 これが正規盤でなかったとしても構わない。わたくしは買うさ。HLNのライヴ・アルバムなんて結成25周年を記念した『Live at 25』があるだけだからね。ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースが筋金入りのライヴ・バンドであることを証明するには打ってつけの1枚であろう。
 でも気になる点が1つ。ほぼ同時期にリリースされた『Hip to be Square…Live』(Klondike Records//KLCD5029//2015/08/14)というライヴ・アルバムがあって、こちらも1986年12月、オレゴン州ポートランドでのコンサートを収めた1枚。やはりWAAF-FMの放送音源を使っているが、収録日は『The Oregon Report』が12月17日、『Hip to be Square…Live』が12月18日。曲目と順番に異なるところはない。完全一致。これは是非両方を購入して確認しなくてはいけないね!
 それはさておき、わたくしが願うことはこういうこと──これを機に、放送音源がCD化されて昔からのファンの渇きを癒やしてほしいな。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。