第2252日目 〈「テモテへの手紙 一」前夜〉 [テモテへの手紙・一]

 これから読む2つの「テモテへの手紙」と「テトスへの手紙」は、〈牧会書簡〉と総称されます。各地の教会で発生した諸問題について著されたいままでの手紙と違い、これらは教会運営にまつわる種々の事柄について述べたものであります。
 では牧会とはなにか。カトリックなら司祭、プロテスタントなら牧師による信徒の導きであります。その内容としては、魂の治療や回復、信徒の信仰生活の管理・指導、などが挙げられます。従ってこれらの手紙が個人に宛てた私信というよりも、広く教会運営と信仰生活にまつわる諸事を記した指導書、手引き、ガイドブックというように考えた方がよいでしょう。
 なお、当時に於ける教会とは今日われらが町中や外国で見るような、或いは遺構で見るような一個の厳然たる建築物では勿論なく、信徒の家を会場とするようなものでありました。ゆえに小さな町や村であれば一軒の家で済んだとしても、規模の大きな都市ともなれば複数の会場が必要とされたでしょう。そのためにも指導する監督は不可欠。テモテやテトスはその任に就いて教会運営を委ねられた人物なのでした。
 「テモテへの手紙 一」は協会の監督や奉仕者たる者の資格、なんのために神に祈るか、異なる教えに従ったりキリストの教えに背くことについての訓戒、聖職者の信徒たちへの関わり方、といった事柄について述べています。わたくしがいうのもなんですが、非キリスト者ならずとも首肯、納得できる部分の多い手紙だと思います。
 本書簡の宛先であるテモテはパウロの宣教旅行の随伴者として、「使徒言行録」や他書簡でもわれらにお馴染みの存在であります。改めてかれの履歴を述べると初登場は使16:1、ギリシア人の父と篤信家のユダヤ人の母の子として、既にリストラやイコニオンでは信心深い者として知られていた。パウロはかれを弟子とし、第2回、第3回の宣教旅行のお伴とし、代わって各地の教会の指導に個別に当たらせたこともあったようです。「テモテへの手紙 一」が書かれた頃、テモテはパウロの指示によりアジア州エフェソに赴き、そこに逗留して現地の信徒たちを指導しておりました。
 「使徒言行録」はパウロが帝都ローマに監禁(実際は軟禁というた方がより事実に近そうですが)されている場面でも筆が擱かれます。パウロのローマ監禁は2回に及んでおり、1回目が「使徒行伝」が報告する60年頃、2回目が殉教につながる67年頃。1回目は63年頃に釈放されたと伝えられますから、2回目の監禁までの4年間に本書簡は書かれた、と考えられています。もしかするとこの間にパウロは第4回宣教旅行として本来の希望であったイスパニア(スペイン)まで赴いていたかもしれません(ロマ15:24)。執筆地については本書簡、即ち一テモ1:3からマケドニア州とは推測できますが、どの町で、とまでは判然としません。宣教旅行で立ち寄った(どこかの)町を再訪したときかもしれませんし、或いは聖書に記されていない町であったかもしれない。われらにそれを知る術はどうやらなさそうであります。
 それでは明日から1日1章の原則で、「テモテへの手紙 一」を読んでゆきましょう。◆

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