第2254日目 〈テモテへの手紙・一第1章:〈挨拶〉、〈異なる教えについての警告〉&〈神の憐れみに対する感謝〉withFacebook断ちをしている!〉 [テモテへの手紙・一]

 テモテへの手紙・一第1章です。

 一テモ1:1-2〈挨拶〉
 使徒パウロから信仰によるわが子テモテへ。父なる神とわれらが主キリスト・イエスからの恵みと憐れみ、平和がありますように。

 一テモ1:3-11〈異なる教えについての警告〉
 あなたはエフェソに留まりなさい。その地で或る人々に命じなさい。異なる教えを説くな、と。作り話や切りのない系図に心奪われるな、と。それは無意味な詮索を生み出すだけだから、と。
 「わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指すものです。」(一テモ1:5)
 あなたが相手にする或る人々は、これらのことから外れて道を踏み迷い、無益な議論の渦中に巻きこまれます。かれらは自分がいっていることも主張していることもよくわかっていないのに、いっぱしの律法教師になるのを望んでいるのです。
 が、われらは律法の正しい使い方を知っている。律法はかれらのように道を踏み外した者のためにある。一方で、健全な教えに反することがあれば、そのために与えられてもいるのです。
 上述のことは神の福音と一致しており、わたしはその福音を委ねられている者。

 一テモ1:12-20〈神の憐れみに対する感謝〉
 わたしが主キリスト・イエスに感謝するのは、罪人のなかの罪人であったわたしを召して務めに就かせてくれたからです。勿論、それゆえばかりではありませんが……。
 以前のわたしは神を冒瀆していました。そうして迫害する者、暴力を振るう者でした。が、これらのことは信じていない時分の所業だったので、わたしは憐れみを受けたのです。「しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。」(一テモ1:16)
 テモテよ、わたしは以前、あなたについて預言を受けました。いま、その預言に従って命じます。即ち、その預言に力づけられ、信仰と正しい良心を持って、雄々しく戦いなさい、と。
 あなたが相手にする或る人々はこの正しい良心を捨ててしまったために、せっかくの信仰を挫折させてしまいました。ヒメナイとアレクサンドロはそのうちの1人です。わたしはかれらをサタンに引き渡しました、神を冒瀆してはならないことを学ばせるため。

 テモテが相手にしなくてはならない「或る人々」とはどのような人たちか。それはエフェソの信徒たちを惑わせたり、不安にさせる事柄を吹聴して回る人たちのことです。吹聴の内容がなにかといえば、二テモ2:18にある如く、キリストの復活はもう起きてしまった、というものであります。かれらは正しい良心を捨て、その信仰が挫けてしまったので、斯く喧伝して信徒たちの信仰心を覆そうとした。
 パウロはテモテに、そのような連衆と対峙してエフェソの人々の信心を回復させよ、と命じたのです──困難な課題ですが、逆にそれだけパウロがテモテを信頼し、その能力を評価していた証しでありましょう。
 「正しい良心を捨て、その信仰は挫折して」(一テモ1:19)しまった者として名の挙がるヒメナイとアレクサンドロ。その名からギリシア系と想像されますが、かれらは「テモテへの手紙 二」にも登場します。ヒメナイは二テモ2:17、アレクサンドロは同4:14にて。かれらについてはその際に改めて述べるとしましょう。本稿ではキリストの福音に背を向けた人たちというに留めておきます。
 しかしまぁ、エフェソとは問題(話題?)てんこ盛りの町でありますね。感心してしまいます。
 また、備忘として書けば、二テモ1:7「彼らは、自分の言っていることも主張している事柄についても理解していないのに、律法の教師でありたいと思っています」をわたくしは本業に於ける自戒の言葉として刻みたく思います。



 今年の秋には聖書読書ノートとしての本ブログを終わらせる予定だが、それまでの間Facebookは殆ど使わないことにしました。決断。これがどれだけ原稿執筆の妨げになっているか、近頃はっきりとわかってきたからです。自分の意思でiPhoneからアプリを削除し、Macのブックマークからも削除。但し、努めて避ける間のつなぎとしてメッセンジャー・アプリだけはiPhoneに残しました。
 Facebook断ちをして今日でおそらく1週間ぐらいかな。頗る順調である、執筆ばかりか生活全般に於いて、頗る順調と報告しよう。自分にとってSNSはTwitterとLINE、noteがあればまずはじゅうぶんかもしれないなぁ、とさえ思うております。それが錯覚なのか事実なのか、いずれであるかは今秋に結論が出るでしょう。
 Facebook断ちをしてみて思うこと? そこに浸かっていた時間よ、カムバック! と叫びたいですね。いや、本当に。しばらくおいらはSNSから自由になろう。自分の為すべき事を為してからそこへ戻ればよい。その間に友達であった方々がいなくなってしまっても、それは宜なきことと諦めよう。
 さて、それでは読書と執筆に戻るとしますか。
 ──読書といえば有川浩祭りはまだまだ続いていて、今月は『シアター!』シリーズを読んでいるのだけれど、これがまためちゃくちゃ面白くて響いてくるところ大で……というのはまたの機会と致しましょう。◆

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