第2257日目 〈テモテへの手紙・一第3章2/2&第4章:〈信心の秘められた真理〉、〈背教の予告〉他with有川浩『シアター!』を読みました。〉 [テモテへの手紙・一]

 テモテへの手紙・一第3章2/2と第4章です。

 一テモ3:14-16〈信心の秘められた真理〉
 間もなくあなたのところへ行けると思うのですが、もしなかなか行けないようであれば、人々が神の家でどのように生活すべきか、について知っておいてほしい。
 信仰の、或いは信心の秘められた真理は確かに偉大であります。ではこれがどういうことかというと、──
 キリストは肉となって現れ“霊”により義とされ、その人のことは教え共々異邦人の間で宣べ伝えられるようになり、全地の人々に知られて信じられ、栄光のうちに天へ上げられた、ということ。

 一テモ4:1-5〈背教の予告〉
 “霊”は次のように、明確に伝えています。「終わりの時には、惑わす霊と、悪霊どもの教えとに心を奪われ、信仰から脱落する者がいます。このことは、偽りを語る者たちの偽善によって引き起こされるのです。」(一テモ4:1-2)
 偽りを語る者たちは、良心に焼き印を押されており、また婚姻を禁じ、或る種の食物に限って摂ることを禁じてきます。その食物は神によって造られた良いものであり神の言葉と祈りによって聖なるものとされています。

 一テモ4:6-16〈キリスト・イエスの立派な奉仕者〉
 以上、ここまで述べてきた事柄を兄弟たちに語り、教えるならば、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われてあなたは、キリスト・イエスの奉仕者に相応しい人物となるでしょう
 どうかあなたよ、俗悪で愚にもつかぬ作り話を努めて退けなさい。
 併せて、「信心のために自分を鍛えなさい。体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。」(一テモ4:7-9)
 年若だからとて怯懦となるな。信仰、愛、純潔、言葉、行動の点で、あなたは信徒の模範となれ。わたしが行くまでは聖書の朗読と勧めと教えとに専念していなさい。あなたのうちにある恵みの賜物を軽んじるな。それは長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたのです。
 ──これらのことに務めて、離れないようにしなさい。そうすればあなたの成長は誰の目にも明らかとなるでしょう自分自身と教えとに気を配っていなさい。そうすることであなたは自分自身とあなたを信じる人々を救うことになるのです。

 パウロの、テモテを思う愛情と信頼が窺える章であります。かれのエフェソ派遣は修行の一環であったようにさえ思える……修行? 然様、パウロの代理人に相応しい者になるための、協会の監督や奉仕者として誰の目にも非の打ち所なき者となるための。どうだろう?



 先日、有川浩『シアター!』既刊3冊を読了しました。この作者の小説は概ね好きです。婚約者亡きあとただ1人、自分から告白して1ヶ月の猶予期間の後あえなく振られた手ひどくも清らかな失恋の最中に読んでいた『図書館戦争』シリーズや、いまなお、そうしてこれまでもずっとエバーグリーンであり続けるであろう『レインツリーの国』、個人的には『海の底』を頂点とする<自衛隊3部作>とそのスピンオフ・エピソードを集めた短編集、加えて<自衛隊物>と総称してよい系統にある作品群など、どれもこれも思い入れがあって「ベストを選ぶとしたらどの作品ですか?」なんて訊ねられると、考えこんで却って困ってしまうぐらいに。
 が、今回読んだ『シアター!』はそれらを遥かに凌駕するぐらいの圧倒的な読後感を植え付けたのであります。これ程自分のなかに突き刺さるような、打ちのめされたような思いを味わったことは、すくなくとも有川作品ではこれまでなかったなぁ……。どういうことかというと、──
 好きという一言で括れる程度に楽しめるだけならよかった。けれども『シアター!』の場合はむしろ嫉妬に狂わされたんだ。キーッ、って地団駄を踏んだよ。理由は、自分でも嫌になる程わかっている。描写や感情、台詞の一々が自分の心に直球で響いてきたからだ、と。なんというかね、匕首でぶっ刺されたような思いなのだ。これまで読んだ、或いはこれから読む有川作品でもこのシリーズは別格中の別格。完結巻と噂される第3巻が早く読みたいよ!
 読み終えて後、冷静になった頃を見計らって、改めて理由について考えてみた。これ程までに打ちのめされたのは、なぜなのだろう。自分も演劇の熱に中てられて小劇団に参加、その活動に片足を突っ込み、そちらの世界へ進もうと本気で考え、学校に求人のあった某大手劇団の舞台監督助手に応募までした。時期を同じうして、わたくしは演劇を離れた。それで食ってゆくことの難しさ、不安定さ、将来のヴィジョンが描けないことに不安を感じて。時代はバブルがはじけてアルバイトの口を探すことさえ大変だった1990年代前半……。
 中途半端な気持ちで演劇への気持ちを封印しただけに、作中で<鉄血宰相>春川司が放つ台詞、「なにかを諦めるための必要な条件、それは全力で尽くして力及ばず折れること」てふは、崩れ落ちた気持ちを慰撫することも不可能なぐらいの破壊力を孕んでいた。古傷を抉られたような気分、とは言葉が非道いけれど、うぅむ、全力で否定することもできません。後ろめたさとやましさが同居した気持ちが頭をもたげるからね。sigh.
 演劇はたしかに挫折した。が、せめて物書きとしては最期までこの職能を全うして死んでゆきたい。挫折して筆を折る(捨てるという方が遥かに正確なのだけれど)日が来たとしても、そのときには<鉄血宰相>の件の台詞に力強く頷けるだけの潔さを身に付けていたいものであります。わが魂は怯懦ではない、と敢然と言い放ってね。◆

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