第2264日目 〈テトスへの手紙第1章&第2章:〈挨拶〉、〈クレタでのテトスの仕事〉他with地中海を望む国々を観光してまわりたい。〉 [テトスへの手紙]

 テトスへの手紙第1章と第2章です。

 テト1:1−4〈挨拶〉
 使徒パウロからまことの信仰の子テトスへ。父なる神と救い主キリストからの恵みと平和があなたにありますように。
 「わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた人々の信仰を助け、彼らを信心に一致する真理の認識に導くためです。これは永遠の命の希望に基づくもので、偽ることのない神は、永遠の昔にこの命を約束してくださいました。神は、定められた時に、宣教を通して御言葉を明らかにされました。わたしたちの救い主である神の命令によって、わたしはその宣教をゆだねられたのです。」(テト1:1−3)

 テト1:5−16〈クレタでのテトスの仕事〉
 あなたをクレタ島に残したのは、わたしが完成させられなかった仕事を継いでもらうためでした。そうして、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。長老は何事に於いても非の打ち所がなく、公人としても家庭人としても立派な人でなくてはなりません。善を愛し、分別あって清く正しく自らを節制することができる人、教えにかなった信頼すべき言葉を守れる人でなくてはなりません。なぜならば、健全な教えに従って他人に奨めたり、反対者の主張を論破するなどのことができない人は、その地位と肩書きと職業に相応しくないからです。
 この世には信じられない程たくさんの不従順な者、欺いたり騙したりする者、それに類する者どもが多くいます。あなたはかれらを沈黙させなくてはなりません。「彼らは恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、数々の家庭を覆しています。」(テト1:11)
 むかしむかし、クレタ島出身の詩人にして哲学者エピメニデスがいみじくもいうたように、クレタ人は大嘘つきで悪党、大飯喰らいであります。この言葉は正しい。自分のまわりを見てみてください、頷くところが多いのではないでしょうか。──かれらを厳しく罰しなさい。信心を健全に保たせなさい。ユダヤ人の作り話や真理に背を向けた者らの言葉を鵜呑みにして信じないようにさせなさい。
 清い人にはすべてが清いが、そうでない者らは知性も良心も汚れています。かれらはその行いを以て神を否定しています。かれらを嫌悪すべき人間というてなんの誤りや憚りがありましょうか。かれらは反抗的で、一切の善い業については失格者としか言い様がありません。

 テト2:1−15〈健全な教え〉
 あなたは教師となって人々に、健全な教えにかなうことを語りなさい。
 年老いた男には、節制すること、品位を保ち、分別があり、信仰と忍耐と愛とで以て健全であるように奨めなさい。
 年老いた女には、聖なる務めを果たす者に相応しく振る舞い、善いことを教える者となるように奨めなさい。彼女らが若い女性たちを諭し、家庭を大事にし、善良であるように奨めてくれるることでしょう。
 若い男には、何事に於いても思慮深く行動するよう奨めなさい。
 「教えるときには、清廉で品位を保ち、非難の余地のない健全な言葉を語りなさい。そうすれば、敵対者は、わたしたちについて何の悪口も言うことができず、恥じ入るでしょう。」(テト2:7−8)
 奴隷は己の主人に忠実となり、善良であるように。それは神の教えをあらゆる点で輝かせることになるからです。
 ──。
 すべての人々に、救いをもたらす神の恵みが訪れました。「その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。」(テト2:12−13)
 キリストはわれらをあらゆる罪から、不法から贖うために自身をささげました。それは善い行いに熱心な民を自分の民として清めるためでもありました。
 テトスよ、じゅうぶんな権威を以てこれらのことを語りなさい。奨めなさい、戒めなさい。誰にも侮られないようにしなさい。

 まず、本書簡の際立って目を引くのは、挨拶に使徒としての使命についてパウロが縷々述べている点でありましょう。引用したテト1:1−3がそれです。これは特異だ。もしかすると、この点が1つの理由となって本書簡がパウロ没後、その弟子によって書かれたとする説の典拠なのかもしれません
 信仰から離れかけた/離れようとしている/離れた人々を再びキリストの民として立ち帰らせるためにはどのようにしたらよいか。テトスに教師としての心構えと助言をパウロは授けます。
 しかしこれらの事柄は実社会にて「教える」立場に在る人々にも適用できるのであります。ここで語られる内容は一枚一枚皮を剥いでゆけば、本質として残る部分は頗る普遍的であります。教壇に立つ人だけが教える立場にあるわけではありません。様々な職場に置いて研修やOJTはあると思いますが、その担当者も含めて教える立場にある人たちには、ここで読むパウロの教育指南の言葉の数々はわずかなりとも響くところがあるのではないでしょうか。
 さて、テトスがパウロから引き継いで活動の場としたクレタ島とはどのような場所だったでしょうか。そこは前18世紀にクレタ(ミノア)文明の発祥地、そうしてギリシア文明、地中海文明、延いては西洋文明の源となった場所であります。クレタ島なくして今日われらもその恩恵を享受することしばしばな西洋文明は、今日知る形では存在しなかったかもしれない──それ程人類の歴史に於いて最重要と目して疑いない場所なのでした。
 古代社会を舞台にしてクレタ島を一躍有名にするのはギリシア神話であります。最高神ゼウスの生誕地として、テーセウスによる怪物ミノタウロス退治の舞台として。前者は世にいうオリンポス12神が誕生するきっかけとなった挿話であり、後者は当地に建てられたクノッソス宮殿の迷宮を同時に知らしめました。
 後者についてちょっと触れます。クレタ島の王ミノスと王妃パジパエの間に生まれた牛頭人身のミノタウロスは父が名工ダイダロスに命じて造らせたクノッソス宮殿に幽閉されました。ミノタウロスにはいけにえがささげられるのが常でしたが、或る年、アテネから英雄と讃えられるテーセウスが献呈されてきました。かれは王の娘アリアドネに見込まれて宮殿の迷宮に潜むミノタウロスを退治、そうしてかれらは結婚してクレタ島を出発しました。が、どういうわけかテーセウスはアリアドネを、その後立ち寄ったナクソス島へ置き去りにしてしまいます。アリアドネはその地にやって来たディオニュソス神(バッカス神)と結ばれるのですが、これを題材にしたのがリヒャルト・シュトラウス作曲、フーゴー・フォン・ホフマンスタール台本の歌劇《ナクソス島のアリアドネ》(のオペラ部分)であります。
 いまでは日本国内にもギリシア料理を食べさせる店が多くなってきましたけれど、わたくしは行き付けのお店が出す、クレタ島の特産の1つであるオリーブオイルをたっぷり使ったカタツムリ炒めとウサギ肉のトマトソース煮を殊の外好みます。子供の頃ウサギを飼っていたことから後者の料理にはいまでも心理的抵抗を覚えますが、舌と腹はその美味からわたくしを遠ざけるのを許さないのであります……。嗚呼!?



 聖書という読書対象の性質上、イスラエルやトルコ/小アジア、そうしてイタリアやギリシアの観光ガイドや雑誌に手を伸ばすことが多いのであります。
 ずっと以前にも言葉少なに書いたことですが、こうした作業を細々行っていると、ふとした拍子に旅心がついて財布とパスポート片手にふらりと空港へ足が向く誘惑を押さえるのに必死です。別にいいんだけれどね、ふらりと海外へ行ってしまっても。そう、仕事さえなければ憂いなく、躊躇いなく──!
 でもまさか聖書を読んで海外への旅情を誘われるとは思わなかったなぁ。地中海周辺の国には行ったことがないからだと思うけれど、それにしても……という気持ちであります。連れの心当たりはないが来年あたり、地中海周辺をのんびり旅してみようかしらん。◆

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