第2281日目 〈ヘブライ人への手紙第9章1/2:〈地上の聖所と天の聖所〉withヴェトナム純国産ビール「333」を何年ぶりかで飲む。〉 [ヘブライ人への手紙]

 ヘブライ人への手紙第9章1/2です。

 ヘブ9:1-22〈地上の聖所と天の聖所〉
 最初の契約でこの世に属する聖所が設けられました。燭台や机、供え物のパンが置かれる第一の幕屋と、その奥にある至聖所と呼ばれる第二の幕屋。第二の幕屋には金の香壇や金で覆われた契約の箱があり、契約の箱にはマンナが入った金の壺、芽を出したアロンの杖、割れた契約の板が収められており、その蓋には栄光の姿を象ったケルビム像が対となっており、償いの座を覆っています。これらについては、いずれも「出エジプト記」や「レビ記」に詳細が記されています。
 さて。祭司たちは礼拝を行うにあたっていつも第一の幕屋に入ります。しかし至聖所には入れません。第二の幕屋へ入るのは1人、大祭司のみであります。しかも年に1度、自らのためと民の過失のためにささげる血を携えて。「このことによって聖霊は、第一の幕屋がなお存続しているかぎり、聖所への道はまだ開かれていないことを示しておられます。この幕屋とは、今という時の比喩です。すなわち、供え物といけにえが献げられても、礼拝をする者の良心を完全にすることができないのです。」(ヘブ9:8-9)
 が、キリストの場合は然に非ず。キリストは既に実現した恵みの大祭司として来たのです。人の手に頼らず、献げ物の血によらず、自身の血によって、たった1度だけ聖所に入って永遠の贖いを成し遂げました。神にささげられたキリストの血は、われらを生きた神に仕える者とするため死をもたらす業から離れさせ、そうしてわれらの良心を清めるのであります。
 「こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。」(ヘブ9:15)
 実は最初の契約も血を流さずに成立したのではありません。「出エジプト記」にもありますが、モーセは律法に従ってすべての掟を民の前で告げた後、水と緋色の羊毛、ヒソプと共に若い雄牛と雄山羊の血を取って、それを律法(の巻物)と民全体の上に振りかけ、これはあなたに対して神が定めた契約の血である、といいました。それから幕屋や祭祀で用いる器具の数々にも同じように血を振りかけました。最初の契約が成立するにあたっても血が流されたのです。
 「こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。」(ヘブ9:22)

 まず、本日の読書と執筆には通常の新共同訳に加えて、いつも一緒に持ち歩いているフランシスコ会訳と新改訳、そうして岩波文庫の『文語訳新約聖書・詩編付き』を参照しました。いやぁ、重いね、これだけあると。どうして珍しくこれだけの聖書を運搬し、白状したかと申しますと、新共同訳の文章だけではどうにも内容の読み取りがしかねたためです。にもかかわらず、上記本文が殆ど書写に等しいものになってしまったのは恥辱としか言い様がないのですが……。
 ただわかるのは、自身の血を流して至聖所へ入ったキリストゆえに、信徒はそれに導かれて神の御前に仕える、清らかにして聖なる存在となったのだ、ということ。
 なお、お読みいただいてわかるように今日の箇所は専ら「出エジプト記」に記された幕屋(聖所)や祭具について触れており、それらについても知らないよりも知っておいた方が良いに決まっている事柄がしばしば登場した。第9章1/2〈地上の聖所と天の聖所〉のため事前に「出エジプト記」の該当箇所をきちんと読んでおくように、とは流石にいえませんけれど、あらかじめ、もしくは事後にそこへ目を通してみるのはけっして無意味な行為ではないでしょう。

 本日の旧約聖書はヘブ9:2と出25-26、ヘブ9:3と出26:31-35、ヘブ9:4(金の香壇)と出30:1-9並びにレビ16:12他、ヘブ9:4(契約の箱)と出25:10-16及び21並びに同40:20-21、ヘブ9:4(マンナ)と出16:31-34、ヘブ9:4(アロンの杖)と民17:16-25、ヘブ9:4(契約の板)と出25:16及び同21並びに申10:2他、ヘブ9:7と出30:10並びにレビ16:2と同14-15、ヘブ9:13とレビ16:3及び14-16並びに民19:9及び17-19、ヘブ9:19と出24:3-8及びレビ14:4そうして民19:6、ヘブ9:20と出24:8、ヘブ9:21とレビ8:15及び同9:8そうして同17:11。



 会社から3番目に近いスタバにこもって原稿を書いたあと、隣のコンビニに寄って缶ビールを1本、買う。飲みながら、駅まで歩く。
 そのコンビニの缶ビールの棚、コンビニとは思えぬ品揃えで行く度、今日はどれにしようかな、と迷うのだけれど、そのなかに一際輝いてわが欲望を増大させるものがある。ヴェトナムのビール、「333」だ。「333」と書いて「バーバーバー」と読む。ヴェトナムに行けばいちばん手頃に飲める純国産ビールが、この「333」である。
 果たしてヴェトナムに行ってこのビールを飲んだことがない、というドランカーがいるのかな。レストランに入れば必ずというてよい程メニューの片隅を占めているし、いまはどうだか知らないけれど道端のフォーの屋台にも常備されている光景を何度も目撃したことがある。亜熱帯の国、外で煽るように「333」を飲むのは至福の一時じゃった。
 さりながらこのビール、なかなか日本では手に入らないみたい。ヴェトナム料理店は別として、成城石井や世界各地のビールを扱っていると看板を掲げる店でも見掛けたことがない。単に、巡り合わせが悪いだけかも知れないけれど──。つまり、自分のなかでこのビールはヴェトナムでしか飲めないに等しいものと位置附けられていたのである。
 なのに、まさか職場の目と鼻の先のコンビニで売られているなんてね。何気なく入ったコンビニの棚にさも当たり前のように場所を占めている光景に接したときは、流石にわが目を疑いましたよ。感動もしたさ。勿論、迷うことなく手が伸びた。そうしてコンビニの外で、我慢しきれなくて、飲んだ。プルトップを開けて、プシュッ。ごくり、と飲んで──
 ん〜、なんか違う。憧れが過ぎたか、なんだかあちらの国で飲み慣れていたものと違う。味も喉越しも、たしかに記憶にある「333」なのだが……。で、みくらさんさんか、2本目を開けてそれを空にした後、夜道をてくてく歩きながら考えた。何度目かの信号無視の果てに思い当たった。温帯の国で飲むにはシビアな飲み物だ、これは赤道に程近い国で飲むにこそ相応しい。理屈ではなく、感覚だ。異論は様々あろうけれど、わたくしは斯く思う次第である、ということ。
 でも、ベルギー・ビールよりもわたくしにはヴェトナム・ビールの方が性に合う。好きだなぁ、これ。◆

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