第2295日目 〈ヤコブの手紙第4章:〈神に服従しなさい〉&〈兄弟を裁くな〉withそっちへ曲がるのではない!〉 [ヤコブの手紙]
ヤコブの手紙第4章です。
ヤコ4:1-10〈神に服従しなさい〉
兄弟たち、あなた方の間で争いや諍いが起こるのは、あなた方の内にある欲望が原因です。あなた方は欲しても得られないから人を殺す。望んでも得られないから争い、戦う。得られないのは願い求めないからでしょう。願い求めても得られないのは、得たものを個人の愉しみのためにだけ用いよう、と考えているからです。そんな動機は間違っています。
「神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。」(ヤコ4:4)
神に服従して、悪魔に反抗しなさい。やがて悪魔は離れてゆくでしょう。
「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。」(ヤコ4:8-10)
ヤコ4:11-12〈兄弟を裁くな〉
誰彼の悪口をいうたり、裁いたりしてはならない。
──あなた方は律法の裁き手ではないからだ。
律法を定め、裁きを行うのはただ1人。救うことも滅ぼすこともできるのも、ただ1人。
──隣人を裁くあなた方はいったい何者か。
ヤコ4:13-17〈誇り高ぶるな〉
未来を語る者たちよ、自分の命が明日どうなるかわかっているのか。明日も今日と同じように生きていられると思うておるのか。あなた方はこの世の泡沫。わずかの間現れて、すぐに消えてしまう露に過ぎない。
──主の御心ならば生き永らえて、様々のことを行おうではないか。あなた方はそう発言するべきなのです。
ところが実際は誇り、高ぶっています。それはすべて悪いことだと知りなさい。
「人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。」(ヤコ4:17)
悩んだ挙げ句に最終稿から削ったのが、ヤコ4:5-6にある旧約聖書からの引用と思しき一節。曰く、──
「それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。『神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる。』」
が、実はこの一節、旧約聖書に該当箇所はないのだ、という。ただ、類似の箇所はあるとのことで、参考として以下に記しておきます。
・神の嫉妬;出20:5、同34:14、申4:24
・神が霊を人の内に宿らせる;創2:7、民16:22、同27:16、ゼカ12:1
以上。
──引用したヤコ4:17、これは誠の言葉でありますね。首肯できぬ人は果たしてどれだけいるでしょう?
本日の旧約聖書はヤコ4:6と箴3:34(但し70人訳ギリシア語聖書)。
参議院選挙の期日前投票に行きました。1つ先の駅で降りて徒歩数分の場所にある区役所が投票所となるのですが、そこへ行くためには、改札を出て右に曲がらねばならない。左に行けば、そこはまるで違う場所。
今更こんな初歩的な過ち、犯すはずはないと思うていた。わたくしはなんの疑いもなく躊躇いもなく、その日は左に曲がってしまったのだ。そちらにはよく利用するTSUTAYAと成城石井、パンの神戸屋がある。
5メートルばかり歩を進めたところで、わたくしは、はた、と気を確かにする。そうして、俺は投票に来たはずだ、と思い直し。斯くしてわたくしは颯爽と踵を返し、飄然とその場を去った。その完璧なる去り様にブーイングなぞ起ころうはずもない。
いや、それにしても、習慣って怖いものですな。呵々。◆
ヤコ4:1-10〈神に服従しなさい〉
兄弟たち、あなた方の間で争いや諍いが起こるのは、あなた方の内にある欲望が原因です。あなた方は欲しても得られないから人を殺す。望んでも得られないから争い、戦う。得られないのは願い求めないからでしょう。願い求めても得られないのは、得たものを個人の愉しみのためにだけ用いよう、と考えているからです。そんな動機は間違っています。
「神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。」(ヤコ4:4)
神に服従して、悪魔に反抗しなさい。やがて悪魔は離れてゆくでしょう。
「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。」(ヤコ4:8-10)
ヤコ4:11-12〈兄弟を裁くな〉
誰彼の悪口をいうたり、裁いたりしてはならない。
──あなた方は律法の裁き手ではないからだ。
律法を定め、裁きを行うのはただ1人。救うことも滅ぼすこともできるのも、ただ1人。
──隣人を裁くあなた方はいったい何者か。
ヤコ4:13-17〈誇り高ぶるな〉
未来を語る者たちよ、自分の命が明日どうなるかわかっているのか。明日も今日と同じように生きていられると思うておるのか。あなた方はこの世の泡沫。わずかの間現れて、すぐに消えてしまう露に過ぎない。
──主の御心ならば生き永らえて、様々のことを行おうではないか。あなた方はそう発言するべきなのです。
ところが実際は誇り、高ぶっています。それはすべて悪いことだと知りなさい。
「人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。」(ヤコ4:17)
悩んだ挙げ句に最終稿から削ったのが、ヤコ4:5-6にある旧約聖書からの引用と思しき一節。曰く、──
「それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。『神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる。』」
が、実はこの一節、旧約聖書に該当箇所はないのだ、という。ただ、類似の箇所はあるとのことで、参考として以下に記しておきます。
・神の嫉妬;出20:5、同34:14、申4:24
・神が霊を人の内に宿らせる;創2:7、民16:22、同27:16、ゼカ12:1
以上。
──引用したヤコ4:17、これは誠の言葉でありますね。首肯できぬ人は果たしてどれだけいるでしょう?
本日の旧約聖書はヤコ4:6と箴3:34(但し70人訳ギリシア語聖書)。
参議院選挙の期日前投票に行きました。1つ先の駅で降りて徒歩数分の場所にある区役所が投票所となるのですが、そこへ行くためには、改札を出て右に曲がらねばならない。左に行けば、そこはまるで違う場所。
今更こんな初歩的な過ち、犯すはずはないと思うていた。わたくしはなんの疑いもなく躊躇いもなく、その日は左に曲がってしまったのだ。そちらにはよく利用するTSUTAYAと成城石井、パンの神戸屋がある。
5メートルばかり歩を進めたところで、わたくしは、はた、と気を確かにする。そうして、俺は投票に来たはずだ、と思い直し。斯くしてわたくしは颯爽と踵を返し、飄然とその場を去った。その完璧なる去り様にブーイングなぞ起ころうはずもない。
いや、それにしても、習慣って怖いものですな。呵々。◆
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