第2296日目 〈ヤコブの手紙第5章:〈富んでいる人たちに対して〉&〈忍耐と祈り〉with「ヤコブの手紙」読了の挨拶。〉 [ヤコブの手紙]

 ヤコブの手紙第5章です。

 ヤコ5:1-6〈富んでいる人たちに対して〉
 富める者らよ、自分に降りかかる不幸を思うて、泣き喚け。あなた方の富はやがて朽ち果てる。衣服には虫が喰い、金銀は輝きを失って錆びる。この錆こそあなた方の罪の証拠となり、あなた方を蝕むことでしょう。
 あなた方は終末の日に裁かれ、焼かれるために富を貯えていたのです。あなた方の富は労働者へ支払いを惜しんで貯えられた。労働者の悲しみの叫びは神に届き、やがてあなた方はそれゆえに罰せられるでしょう。
 「あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません。」(ヤコ5:5-6)

 ヤコ5:7-20〈忍耐と祈り〉
 農夫は大地の豊かな実りを期待して、春の雨と秋の雨が降るのを忍耐して待ちます。それに倣って、あなた方も主の再臨まで忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。再臨の時は迫っています。
 主の名によって語った預言者たちを辛抱と忍耐の模範としなさい。義人ヨブが最後、神によってどのように扱われたか、御存知でしょう。斯様に主は憐れみ深く、慈しみ深いのです。
 あなた方は誓いを立てたりしてはなりません。どんな誓い方をしたとしても、誓いを立てたということ、その一事に基づいてあなた方は裁かれます。裁きを受けないようにするために、「然り」は「然り」と、「否」は「否」とするのです。
 「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。」(ヤコ5:13)
 主に癒やしてもらうために、罪を告白し合い、お互いのために祈りなさい。正しい人の祈りには大きな力があり、効果をもたらします。かつて北王国イスラエルで活動した預言者エリヤをご覧なさい。雨よ降るな、と祈れば3年半もの間日照りが続き、雨よ振れ、と祈ればたちまち土砂降りとなって生きとし生けるものの命を潤したのです。
 「わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。」(ヤコ5:19-20)

 富者への警告には抗い、忍耐については「然様でございますか」と思い、祈りについては然り然りと頷くのが、本章に対するわたくしのスタンスであります。
 ヨブとエリヤてふ旧約聖書最大級の義人と預言者が忍耐と祈りの象徴として出した上で、それが事実であるのはこの2人を見ればわかることです、と畳みかけているあたりに、本書簡の具体性が垣間見えるように思うのですが、読者諸兄は如何でしょうか。

 本日の旧約聖書はヤコ5:11bとヨブ42:10-17、ヤコ5:17と王上17:1-7及び同18:1-2(但し「3年半」と明記されるのはルカ4:25)、ヤコ5:18と王上18:41-45。



 1つ1つ、書物を消化してゆくたびに味わう達成感と喜びと充実はなににも代え難く、今日もまた「ヤコブの手紙」に於いて満ち足りた気分を味わうことができました。あと少し、あと少しで書簡は終わる、そうしてその後に辿り着いた黙示文学1巻を以て聖書を読み終える。が、この「あと少し」が曲者で、それは途轍もなく長い時間と感じ、気力を奪う程に高い、高い壁のように映るのであります。まぁ、その主たる要因は最後に鎮座坐す「ヨハネの黙示録」なのでしょうけれどね。
 が、新約聖書を構成する27の書物のうち、「ヤコブの手紙」を以て20を読み終え、9月中葉乃至は10月初旬の聖書読書ノートの完結が視界に入り、その実現も具体化してきました。〈公同書簡〉の始めの1巻を読み終えたいま、目の前に広がる光景が以前よりも遠くまで見通せるようになったことに気附いたことであります。この感慨は、とても大きい。
 無償で行われている本ブログの継続と前進は偏に読者諸兄あってこそ。あと少しの間、わたくしの手をその見えない手で引いてほしい。◆