第2323日目 〈「ヨハネの手紙 一」前夜〉 [ヨハネの手紙・一]

 どこにその端緒を求めるか、となると諸説あるやもしれませんが、キリスト教が誕生して半世紀も経つ頃にはそれもローマ帝国内では無視し得ぬ大きな勢力となっておりました。そうして、時を同じうして種々の宗教思想が生まれて帝国領内緒地方に広まりつつありました。本書簡、「ヨハネの手紙 一」はそんな時代に書かれたのでした。
 種々の宗教思想、と申しましたが、キリスト教の側から見れば異端となるそれらのうち、最も考えて然るべきはグノーシス主義ではないでしょうか。キリスト教にとってグノーシス主義が異端とされるいちばんの理由は、キリスト(救い主)としてのイエスを否定するがためであります。
 グノーシス主義は「霊は善であり、肉(物質)は悪である」と考えました。ゴルゴタの丘で処刑されて絶命するまで、ナザレのイエスは肉の人でした。グノーシス主義にとってそれは認め難き悪なのです。これはいい換えると、イエスは霊それ自体でしかなく、十字架上の死とその後の復活も現実の出来事にあらず、となります
 神は、肉体という器に別れを告げたときにイエスを霊の世界へ移し、永遠の命を与えて祝福しました。グノーシス主義はこれを否定、生前のイエスは誰もが目撃できるよう具現化された幻でしかない、という。今回読む「ヨハネの手紙 一」でいえば、反キリストはキリストが救い主、贖い主であることを認めず(一ヨハ2:22-23)、かつ肉体を持って生活していたことさえも否定します(一ヨハ4:2-3)。反キリストとは、すくなくともグノーシス主義に感化された人々、と捉えてまずはよいでありましょう。
 普通に考えれば相容れないように映る両者──キリスト教とグノーシス主義が一部に於いて手を結ぶことを企て、受容と融合の方へ向かったのは、おそらくはキリスト教がローマ帝国の諸地方へ拡散、伝播してゆく過程で経験しなくてはならなかった踏み絵にも似たものだったのかもしれません。発展のためには清濁併せ呑むのも止むなし、というところでしょうか。
 わたくしはグノーシス主義というものを20歳の頃、フィリップ・K・ディックの《ヴァリス》3部作、就中『ヴァリス』巻末に添えられて本編にも引用される「釈義」を通して知りました。こうして新約聖書の読書を始めて以来、しばしば立ち現れるグノーシス主義については、いつかきちんと参考文献を読んで知識を定着させなくちゃぁな、エッセイの一編でも物せるようにならなくっちゃな、と思い思いしておりますが、意欲ばかりで肝心の勉強はさっぱりです。が、本書簡の読書を契機にそれを実現させられるよう努めたく存じます。
 さて、仕切り直し。
 本書簡が専ら説くのは、神に対する愛であります──まさしくキリスト教の教義としての<愛>。これは一ヨハ4:16-19に明らかであります。
 「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。」(一ヨハ4:16-19)
 一ヨハの内容を簡単にまとめれば、こんな風になるでしょう。曰く、反キリスト、神に属していない者のようになることなく、信仰を全うして、神の愛に浴し、神を信頼し、世に打ち勝つよう努めよう、と。「この世全体が悪い者の支配下にある」(一ヨハ5:19)ゆえに。
 これまでも言語にあたりさえすれば構文の妙は感じられたかもしれませんが、翻訳でそれを鑑賞するのは難しかった。しかし、本書簡ではそれを一端なりとも確認できそう。というのも、ここでは対比を駆使してキリスト者と反キリスト者の相違を鮮明にしているからであります。そうしてそれはこういうようになります。「キリスト者は〜〜だから〜〜である。反キリスト者は〜〜だから〜〜である。ゆえにキリスト者は是であり、反キリスト者は非である」と。
 上に併せて述べれば冒頭一ヨハ1:1「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。──」は本書簡の通奏低音であり、ライト・モティーフであり、主題であります。ここに本書簡が如何なる性格を持つか、簡潔に語り尽くされている。そのあとに続くすべての文言は常にここから出発し、常にここに帰ってくるのです。「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。」(一ヨハ2:24)
 ところでその一ヨハ1:1ですが、これまでに読んだ或る書物を思い出させないでしょうか、然り、「ヨハネによる福音書」であります。神学に於いても語法に於いても双方はとてもよく似る、とはフランシスコ会訳の解説(P665)。語法についてはわかりませんが、その内容、その思想に関しては共通するものを多く感じます。すくなくとも、けっして無関係ではない。
 こうした理由から本書簡(と続く2つの書簡)は、「ヨハネによる福音書」や「ヨハネの黙示録」と同じく12使徒の1人、イエスの母マリアの世話をした使徒ヨハネとされています。そうしてそれはほぼ間違いなさそうであります。かりに著者について他説あったとしても、この著者:使徒ヨハネ説を覆して論の首座に就く程のものではないでしょう。
 執筆時期については、90年代後半から2世紀初頭というのが有力。ヨハネ著とすれば自ずと浮上する年代と申せましょう。
 新約聖書に収まるヨハネ著の5書が執筆された順番は、「ヨハネによる福音書」→3書簡→「ヨハネの黙示録」とされる由。但し、3つの書簡と「ヨハネによる福音書」は比較的近い時期に書かれた、とわたくしは思います。たしかに「ヨハネの黙示録」は流刑地パトモス島で受けた啓示を基に書かれましたが、実際にその地で筆を執るだけの余裕があったのか、甚だ疑問であり、想像し難い。かれは流刑解除後にパトモス島を出て小アジアのエフェソへ移住、そこで庵を結び晩年を過ごしました。従って執筆場所は小アジアに於けるキリスト教の中心地エフェソと定めて構わないでしょう。
 「わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。子たちよ、偶像を避けなさい。」(一ヨハ5:20-21)
 それで明日から1日1章の原則で「ヨハネの手紙 一」を読んでゆきましょう。◆

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