第2327日目 〈ヨハネの手紙・一第4章:〈偽りの霊と真実の霊〉&〈神は愛〉with“あす”のための仕込みにいそしむ。〉 [ヨハネの手紙・一]

 ヨハネの手紙・一第4章です。

 一ヨハ4:1-6〈偽りの霊と真実の霊〉
 いたすらに“霊”であれば信じなさい、というのではありません。それが神から出た例なのか、確かめる必要があります。というのも、いまや世に多くの偽預言者が出てきているからです。
 イエス・キリストは肉を伴ってわれらの世に現れた、と公言するのは神の霊が内にある人であります。一方、イエスのことを公にいうことのない霊は神とは無縁なので、これは反キリストの霊になります。あなた方がかねてから噂として聞いていた反キリストの霊の登場は既に現実のものとなっています。
 が、子らよ。あなた方は神に属する者であり、偽預言者を退けました。あなた方の内にある神の霊は、世に属するすべてに於いて優って強いからです。
 「わたしたちは神に属する者です。神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。これによって、真理の霊と人を惑わす霊とを見分けることができます。」(一ヨハ4:6)
 嗚呼、偽預言者たちは世に属していて、世の人々はかれらが話す世俗のことへ熱心に耳を傾けます……。

 一ヨハ4:7-21〈神は愛〉
 さあ、諸君、互いに愛し合おうではありませんか。愛は神から出、愛する者は皆神から生まれ、神を知っています。神は愛です。神の愛は独り子をわれらの許に遣わし、独り子によってわれらが生きるようになることで示されました。われらが神を愛するから神もわれらの愛するのだ、とは半分正しいが半分は誤りです。神はわれらを愛するがゆえに、われらの罪を償ういけにえとして御子を遣わした──ここに神の愛があるのです。
 斯様にして神がわれらへの愛を表明し、実行してくれたのですから、われらも互いを愛し合いましょう。未だかつて神を見た者など勿論いないけれど、神は自分の霊をわれら1人1人に分け与えてくれました。われらが互いを愛して神の内に留まるならば、神の愛はわれらの内で全うされているのです。われらは、われらに対する神の愛を信じて疑いません──!
 「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。
 愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。」(一ヨハ4:16-19)
 ──わたしは神を愛しています、と言い表していながら兄弟を愛さぬ者がいたとすれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者がいったいどうして目に見ることのできない神を愛せましょうか。互いに愛し合え、これが神の掟ではありませんか。

 われらが(漠然と)知るキリスト教の教義、「理念」というた方がよいのか、それと本章が完全重複するように思うのです。わたくしの一知半解ゆえの誤認識なのか、それともわたくしが感じたのは実は正解なのか。判断しかねますが、なんだかこれって教会で聞いたり、物の本で読んだこととよう似とるなぁ、思い出せるなぁ、と読書中、執筆中に脳裏を過ぎってゆくのでありました。
 今日の第4章は本書簡の核を成す部分、というてよいでしょう。あなた方の内に住まう神の霊の由来と強さ、神の霊とは如何なる程のものか。そうしたことが毅然とした筆致で書かれている。きっとこの手紙を受け取った人々は励まされたことでありましょうね。
 正直なところ、過去に読んだ書簡群を思い出してみても本書簡の本章ぐらい「神の愛」というものについて明瞭に記した手紙は、あまりなかったのではないでしょうか。シンプル・イズ・ベストが必ずしも正しいわけではないけれど、殊「神の霊」と「霊の真偽」についてそれぞれ述べた点はシンプル・イズ・ベストに相応しい、ブラームスの作曲上のモットーを拝借すれば「簡潔に、豊かに」が実践された箇所である、と思います。……そういえばブラームスのファースト・ネームは本書簡著者に由来する「ヨハネス」でありましたな……。



 「ユダの手紙」を終わるまで書物間のエッセイは封印。昨年10月中旬から読んできた書簡群は来週の土日で終わらせたいのである。為にエッセイは封印するのだ。むろん、そのあとに続く、新約聖書最後の書物「ヨハネの黙示録」に入る前には読書/執筆の準備と気分転換を兼ねたエッセイ期間は置く予定でいる。
 休みの今日(昨日ですか)は「ヨハネの手紙 二」前夜のためのメモを取り、アウトラインを作り、その後はひたすら米澤穂信『王とサーカス』(東京創元社)を読んでいた。そうして読了した(感想はまたいずれ)。棚に待機する米澤作品はあと3作、明日からは同じ太刀洗万智を主人公とした短編集『真実の10メートル手前』(同)を読む。
 米澤穂信が終わったら加藤シゲアキの『ピンクとグレー』、『閃光スクランブル』(共に角川文庫)。そのあとは再読となるがいよいよ谷川流『涼宮ハルヒ』シリーズ(角川スニーカー文庫)だ。が、その後も読みたい小説、紀行はたくさんあって、その山はわたくしを内心たじろがせ、姫に喝采を叫ばせている。
 いやはやなんとも、と頭を振りたい気分……。いや、実は喜びに頬がゆるんでいることへの照れ隠しだ。えへ。◆

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