第2333日目 〈「ユダの手紙」前夜〉 [ユダの手紙]

 今回読む「ユダの手紙」は公同書簡最後のものであると同時に、パウロ著「ローマの信徒への手紙」に始まった書簡群の掉尾を飾る手紙でもあります。
 わたくしは以前書いた〈「二ペト」前夜〉に於いて、「ペトロの手紙 二」と「ユダの手紙」では偽教師への警戒というテーマが重複しており、外典『第一エノク書』を援用した文言が見受けられる、と述べました。また、両書簡は思想の上でも近しい関係にある、とも。偽教師の出現について一言すると、「二ペト」では近い未来の出来事として語られ、「ユダ」では近過去もしくは現在の出来事として語られています。
 両書簡が内包する種々の事柄を検討すると、「二ペト」は「ユダ」よりも後の時代に、それを参考として書かれた、と考えるのが一般的であるようです。が、果たしてそうなのでしょうか。「二ペト」と「ユダ」は皆がこぞって指摘したがるような依存関係にあるのでしょうか。偽教師の出現や異端思想との接触によって揺れる教会や信徒たちへ向けて筆が執られた、というその目的と背景が共通するならば、書かれた時期や宛先が違っていたとしても、手紙で語られる内容は自ずと類似するものではないでしょうか。そうわたくしは考えるのであります。
 「ユダの手紙」は公同書簡の中でも旧約聖書の内容を踏まえた記述が目立ちます。と同時に外典からの援用もはっきりした形で見受けられます。たとえばユダ9は『モーセの昇天(ギリシア語断片)』を、ユダ14は『第一エノク書』を下敷きに書かれています。この点については本文を読む明日に改めて述べると致しましょう。
 本書簡の著者はユダとされます。使徒ユダではなく主の兄弟ユダ。ユダ1ではヤコブの兄弟と自己紹介しますが、ヤコブは「ヤコブの手紙」の著者であり、そうして主イエスの兄弟でした。必然的にユダもイエスの兄弟の1人となります。
 これが書かれたのは1世紀後半、およそ80年代であろう、とされます。ユダもエルサレム教会の一員で牧者として信徒を束ね、指導したけれど、60年代後半に勃発した第一次ユダヤ戦争によってエルサレムは第二神殿を失い、町も壊滅状態となりました(70年)。80年代は廃墟となったままですから、執筆された場所がエルサレムであるとは考えられない。この点を推理するためにはユダの生涯の伝承を知る必要がありましょうが、あいにくとまだそこまでの調査はできていないのです……。ユダが足跡を残したローマ帝国領内の町や村のどこか、としかいまはお伝えできません。
 「ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています。」(ユダ7)──なぜこの箇所を引用したか、おわかりになりますか、ヴ(vous)?
 それでは明日、「ユダの手紙」を読んでゆきましょう。◆

 追伸
 今回はちょっと難儀しました。□

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