第2359日目 〈ヨハネの黙示録第12章:〈女と蛇〉with加藤シゲアキの小説を読むのは諦めます。〉 [ヨハネの黙示録]

 ヨハネの黙示録第12章です。

 黙12:1-17〈女と蛇〉
 天に2つのしるしが現れた。1つは大きく、太陽を纏った女が月を足の下にして立ち、12の星の冠を頭上に戴いている。彼女は身籠もっており、産みの痛みに苦しんでいた。もう1つのしるしは、7つの頭を10本の角を持つ赤い竜だった。7つの頭には7つの冠。尾で天の星を掃き寄せて、地上へ投げ続けている。竜は女の前に立ちはだかって、どかなかった。生まれた子供を喰らうつもりでいるからである。
 やがて女は男の子を産んだ。鉄の杖ですべての国民を統治することになっている男の子を。子供は神の許へ、その玉座へ引きあげられた。
 一方、女は荒れ野へ逃れた。そこには神が彼女のために用意した場所があり、1,260日の間、女は神によって養われることになっている。
 ──天で戦いが起こった。大天使ミカエルとその御使いたちが竜に戦いを挑んだのだった。それに味方する者は破れ、天に居場所がなくなった彼らは地上へ投げ落とされた。
 天から大きな声が聞こえてきて、こういっていた。曰く、われらの神の救いと力と支配が現れた、神のメシアの権威が現れた、われらの兄弟のことを神の御前で告発する者が地上へ投げ落とされたからである、と。声は〈告発者〉に打ち勝った兄弟たちを讃え、最後にこういった、──
 「地と海とは不幸である。/悪魔は怒りに燃えて、/お前たちのところへ降って行った。/残された時が少ないのを知ったからである。」(黙12:12)
 ──地に落とされた竜は、かの男の子を産んだ女を追った。女が一対の鷲の羽を与えられていて、それらを使って飛ぶが如くに逃げるので、竜は女に追いつけなかった。女が目指すのは荒れ野にある自分の場所、彼女はそこで向こう3年の間蛇から逃れ、神によって養われるのである。蛇は口から水を吐き出して女を後ろから押し流そうとしたものの、大地が口を開けてその水を呑みこんで、都度彼女を助けた。
 「竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。そして、竜は海辺の砂の上に立った。」(黙12:17-18)

 女を狙う竜は節、というか場面によって呼ばれ方を変えます。黙12:9に拠ればこの巨大な竜は年を経た蛇であり、悪魔ともサタンとも呼ばれる存在で、全人類を惑わすものであります。ノートにこの旨反映させられませんでしたが、所によって「竜」と書いたり「蛇」と書いたりしたのはそうした次第であります。
 申すまでもないかもしれませんが、出産を控え、男の子を産んだ女は聖母マリア、その息子で鉄の杖を用いて諸国民すべてを治める男の子はイエスであります。「ヨハネの黙示録」著者は女/マリアの出産前を描写して、「子を産む痛みと苦しみのために叫んでいた」と記しますが、これが知恵の実を食べて罪を犯したエバに神が与えた因果であるのも、最早説明不要でしょう。
 なお、堕天使の記述はイザ14:12-15に見られます。本章ではサタンが地上に落とされた理由が天使ミカエルとその軍勢に戦いを挑んで敗れたためだ、と語られます。

 本日の旧約聖書は黙12:1及び5とイザ7:10-16、黙12:4とダニ8:9-12。



 加藤シゲアキの小説、2冊目を読んでいる、と申しましたが、正直なところ最早限界です。1冊目は興味だけが先行してなんとか読み進めたものの、いまの2冊目は「最後まで読む必要ないか」と見放す気分。おそらく一両日中には巻を閉じて他の作家の小説を手に取ることでしょう。
 どんな作家のどんな作品でも楽しく読むことができます、という人が果たしてどれだけいるのだろう。そのような人物は皆無に等しいだろう、とわたくしは申しあげたい。
 加藤シゲアキの小説を途中で読むのをやめてしまうのは、まずもって相性としか言い様がないのだけれど、実はここ10年、そうした小説と遭遇したことがなかったのだから単に相性というて片附けるのは、やや乱暴なことかもしれぬ。
 では、相性というだけでないならば、なにがわたくしを加藤から遠ざけるのか──。
 作品に於ける緩急の欠落とはいえるかもしれぬ。どの場面になっても物語は均一な質を維持したまま進んでゆき、そこにはいささかの緊密も緩慢もない。読み進めてゆくと、息苦しささえ感じるのだ。
 息継ぎする場所がどこにもない長編小説。致命的ではないか。余白を残した場所がまるでなく、画用紙の隅々までごってりと、まんべんなく色彩が敷かれた長編小説。そこから疲労以外のなにを与えられるのか。
 ジャニタレというブランドがどれだけ売り上げに貢献しているか不明だが、かれに物語を紡ぐ能力は与えられていると思うのだ。それが先天的なものか、後付けなものかは別としても、だ。この作家がたくさんのことを吸収して、血反吐吐くぐらいに物語を紡ぎ、語ることに執念を持てば、やがてアイドル出身の作家なんて色眼鏡の評価と訣別して、50本の指には入るエンタメ作家として世間に認知されることだろう。
 あと5年後ぐらいに、加藤シゲアキの新作小説を楽しんで読めるようになっていれば嬉しいな、と思う。◆

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