第2363日目 〈ヨハネの黙示録第16章:〈神の怒りを盛った七つの鉢〉withカラヤン=BPO《指輪》iTunesに登場、が、けっして良い感情は持っていない。〉 [ヨハネの黙示録]

 ヨハネの黙示録第16章です。

 黙16:1-21〈神の怒りを盛った七つの鉢〉
 わたしは聞いた、神殿から大きな声がして、7人の天使に、行って7つの鉢に盛られた神の怒りを地上に注げ、というのを。
 それを承けて──
 第1の天使が鉢の中身を地上に注いだ。すると、獣の数字を刻印された者、獣の像を礼拝する者に、悪性の腫瘍が生じた。
 第2の天使が鉢の中身を海に注いだ。すると、海は血のようになって、そこで生きるものすべてが死んだ。
 第3の天使が鉢の中身を川とその源に注いだ。すると、水は血になった。そのときわたしは聞いた、水を司る天使が神の裁きを肯定し、祭壇もそれに同調するのを。
 第4の天使が鉢の中身を太陽に注いだ。すると地上の人間は太陽の熱で焼かれ、太陽を司る神の名を冒瀆した。かれらが悔い改めることはなかった。
 第5の天使が鉢の中身を獣の王座に注いだ。すると、獣が支配する国は闇に覆われた。人々は苦しみ悶えた末に舌を噛み、神を冒瀆した。かれらが悔い改めることはなかった。
 第6の天使が鉢の中身を大河ユーフラテスに注いだ。すると川の水は干上がり、東の方向から来る王とその軍勢のための道が出来上がった。
 「わたしはまた、竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。それは、全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。」(黙16:13-14)──汚れた霊どもは、ヘブライ語で<ハルマゲドン>と呼ばれる地に王たちを集めた。
 第7の天使が鉢の中身を空中に注いだ。すると、事は成就せり、と宣う大きな声が神殿から聞こえたのだった。稲妻が光り、様々な音が轟き、雷が鳴り、そうして大きな地震が起こった。「それは、人間が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの大地震であった。」(黙16:18)
 その地震によってあの大きな都、つまりローマは3つに引き裂かれ、諸国の町々が倒れた。神は大バビロンの淫業を思い起こして、自分の激しい怒りが含まれたぶどう酒の杯を与えた。
 1タラントン程の重さがある大粒の雹が地上に降った。地上の人々はその雹害の凄まじさゆえに神を罵り、冒瀆した。

 人間の世界は神の怒りによって八方塞がりの様子を呈し、徐々に終末の色を濃くしてゆきます。そんな状況のなかにあってさえ、神をも主をも畏れぬ衆は悔い改めることがない。却って神の名をみだりに唱え、冒瀆するばかりでありました。加えて大淫婦と称される大バビロンも滅びの時を迎えつつあり──。これまで何度となくいろいろな書物で予告されてきた裁きの日、終末の時が世界を無秩序と壊乱に追いこんでゆく様を、われらは本章にて目撃することになります。
 そんな最中、神や主、その御使い、教会や信徒たちへ敵対する者らに向けて、竜と獣と偽預言者の口から蛙のような汚れた3つの霊が出て号令を掛け、一ツ所へその軍勢を集結させます(黙16:14)。ハルマゲドンがその場所。ヘブライ語で「ハル・メギド」と発音され、意味は「メギドの山(丘)」となる。元は地名であり、本書の内容から転じて神とサタンの最終決戦そのものを指すようになったことは〈前夜〉で触れた通りであります。
 メギドは旧約聖書に既出の地名で、王下23:29-30、アッシリア救援のため北上してユーフラテス川を目指すファラオ・ネコ率いるエジプト軍を迎え撃たんと出陣した南王国ユダの王ヨシヤが討たれるなど、イスラエル史ではしばしば古戦場として名が挙がります。古戦場としてのメギドはカルメル山南東約30キロ強の場所にあり、新約聖書時代はサマリアに属していました。が、一部ではメギドを戦場として象徴的に用いたのであって具体的な場所を想定したものではない、という意見もあるそうです。
 1タラントンは約25キロ(約35キロとも)。



 本日のびっくり。
 久々にiTunesを見ました。オーディオ・ブックやPodcastで面白そうなものはないかなぁ、と物色するためにね。探してみたけれど食指の動くものがなかったので、なんの気なく「ミュージック」に移り、クラシック音楽のページを見ておりました。
 ダニエル・ハーディング=スウェーデン放送響のベルリオーズ、ニュージーランド弦楽四重奏団のブラームス:弦楽四重奏曲第1番、視聴しておりましたところ、どこかで見覚えのあるカバーデザインが「新着ミュージック」にありました。よもや、いやまさか……クリック……やっぱり!
 カラヤン=ベルリン・フィル他によるワーグナー《ニーベルングの指輪》全曲がダウンロード販売されていました。嗚呼、遂にここまで音楽はお手頃に、お気軽に、消費される代物となったのか、と慨嘆しましたよ。CDになって後も1枚1枚大切に、じっくりと耳を傾けたオペラが……。なんだか世も末であります。とっくに末っているという声もあるけれど、目の前のこの現実、まったく以てやりきれない。
 頒価6,000円。これだけの金額を支払って約15時間になんなんとする怪物オペラをモバイル・オーディオで聴き通せる人が、さて、いったいどれだけの数いるんだろうね。アルバム購入のみでしか入手不可能なデジタル・ブックレットには日本語対訳や解説などLP/CD時代同様、きちんと載っているんだよね?◆

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