第2364日目 〈ヨハネの黙示録第17章:〈大淫婦が裁かれる〉with通勤中の読書がはかどります!〉 [ヨハネの黙示録]

 ヨハネの黙示録第17章です。

 黙17:1-18〈大淫婦が裁かれる〉
 7つの鉢を持った7人の天使の1人がわたしに話しかけた。こちらへ来て、多くの水の上に坐る大淫婦が裁かれる様を見よ、と。地上の人々はあの女の供する淫らな行いにあふれたぶどう酒に酔ってしまった。
 “霊”に満たされたわたしは天使に連れられて荒れ野に行った。そこには赤い獣に跨がる女がいた。獣は7つの頭と10本の角を持ち、全身の至る所が神を冒瀆する数多の名で覆われている。
 女はといえば、紫と赤の衣を着て、金と銀と真珠で飾り立てている。忌まわしいものや己の淫行による汚れで満たされた金の杯を手にしている。女の額には秘められた意味の名が記されている;大バビロン、淫らな女や地上の汚れた者どもの母。
 わたしはこの大淫婦が聖なる者たちの血、イエスの証人たちの血に酔い痴れているのを見た。驚くわたしに件の天使がいった。この女と、10本の角と7つの頭を持つ獣の秘められた意味を教えよう。「あなたが見た獣は以前はいたが、今はいない。やがて底なしの淵から上って来るが、ついには滅びてしまう。地上に住む者で、天地創造の時から命の書にその名が記されていない者たちは、以前いて今はいないこの獣が、やがて来るのを見て驚くであろう。」(黙17:8)
 ここに知恵ある考えが必要である、と天使がいった、──
 ここで知恵のある考えが必要となる。獣の7つの頭とはこの女が坐る7つの丘のことだ。ここに7人の王がいる。内5人はもう倒れた。いまは1人が位に就き、もう1人はこれから現れる(但し在位は短い)。
 以前はいたがいまはいない獣は第8の者であるが、それは7人の王のなかの1人である。かれは現れるが、やがて滅びる。
 獣の10本の角とは10人の王である。かれらはいまは国を治めていないが、遅かれ早かれ獣と共に、一時の間とはいえ、王の権威を授かることになろう。かれらは心を1つにして、自分たちの権威と力を獣に委ねる。
 かれらは小羊と戦う。が、小羊は主の主、王の王だから、かれらに到底勝ち目はない。小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者も同じように勝利を収める。
 続けて天使がいった、──さっきあなたが見た水、彼女が坐る場所は即ち、民族も種族も言葉も違う諸国民のことである、と。「また、あなたが見た十本の角とあの獣は、この淫婦を憎み、身に着けた物をはぎ取って裸にし、その肉を食い、火で焼き尽くすであろう。神の言葉が成就するときまで、神は彼らの心を動かして御心を行わせ、彼らが心を一つにして、自分たちの支配権を獣に与えるようにされたからである。」(黙17:16-17)
 あなたが見たかの女、それはつまり地上の王たちを支配しているあの大きな都のことであると知れ。

 まずは整理を。黙17:3「女」=同5「大バビロン」=同15「淫婦」=同18「地上の王たちを支配しているあの大きな都」、即ち大淫婦/帝都ローマとなる。再三繰り返してきたことだけれど、ちょうど好い機会であるので改めて触れた次第。これが最後です。
 黙17:3及び同9「七つの頭」とは7人のローマ皇帝をいうのが一般的だが、ヘンリー・H・ハーレイは意見を異にし、共和政ローマと帝政ローマを含めた、過去に現れた7つの世界帝国を指すのだ、という。またハーレイは黙17:9「七つの丘」はローマの町が築かれた実際の7つの丘である、と著書で述べている(『新聖書ハンドブック』P954 いのちのことば社)。
 黙17:3及び同12「十本のつの」はローマ帝国に従属する国の10人の王のことだ。
 引用した黙17:8は自殺したネロ帝がドミティアヌス帝となって甦った、という第13章で紹介した故事に倣った記述でありましょう。



 今日から(昨日からですか)通勤時間が約2.5倍、それに伴い交通費も約3倍になったみくらさんさんかです。ああ、給料日前に異動の辞令など拝するべからず。呵々。まぁね、交通費が全額支給でなかったら、わざわざ多摩川越えて東京くんだりまで働きに出たりはしませんよ。この諧謔、わかってほしい!
 それはさておき。
 朝のラッシュから外れていると、比較的空いた電車のなかではたいがい坐れもする。幸いなるかな、善き人よ。混雑もやや収まった時間帯の、長くなった通勤にメリットがあるとすれば、この坐れる可能性の圧倒的高さに加えて、やはり本を読む時間が飛躍的に多くなった点でありましょう。
 いや、まったくズイズイと読めるのです。この分でゆくと、宮部みゆきの短編集『淋しい狩人』(新潮文庫)も明日の往路で読了してしまうかな。どういうことかといえば、読むものがなくなった帰路に備えて新しい本も鞄のなかに潜ませておかねばならない、ということであります。<涼宮ハルヒ>シリーズをすっ飛ばして宮部みゆきに走った理由は簡単だ、そのタイミングに合わせて東京に異動と相成ったからに過ぎぬ。嗚呼、溜め息。次に待機しているのは……同じ著者の『あやし』(角川文庫)であったかな。
 このペースが維持できていれば、例の未読本の山も年末には1/3を残すばかりとなりそうです。が、未来とは皆様ご承知のように未確定であります。はてさて、その結末や如何に……?◆

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