第2367日目 〈ヨハネの黙示録第20章:〈千年間の支配〉、〈サタンの敗北〉&〈最後の裁き〉with読了日を目前にして。〉 [ヨハネの黙示録]

 ヨハネの黙示録第20章です。

 黙20:1-6〈千年間の支配〉
 わたしは視た、底無しの淵の鍵と大きな鎖を手にした1人の天使が天から降って来るのを。この天使はかつてサタン、悪魔、年を経た蛇、様々に呼ばれた竜を捕らえて縛り、底無しの淵へ投げこんで鍵を掛け、封印し、1,000年の時が満ちるまで閉じこめた者である。天使はその1,000年が終わるまで、諸国民の上に災いが及ばないように、と竜を閉じこめたのであったが、1,000年が過ぎると竜は解放されることになっていた……。
 わたしは視た、裁くことを許された者たちが坐る多くの座を。また、イエスの証しと神の言葉のために死に追いやられた人々の魂も視た。かれらは獣を拝むこともその像を拝むことも、獣の刻印を押されることもなかった。かれらは生き返ってキリストと共に1,000年の間、統治することになる。これなん第一の復活といふ。
 「第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。」(黙20:6)

 黙20:7-10〈サタンの敗北〉
 さて、前述の1,000年が経ったので竜は──サタンは底無しの淵から解放された。サタンは諸国の民、ゴグとマゴグを誑かして集めた。集められた者らは軍勢となって地上の広い場所へ進み、聖なる者たちの陣営とかれらが愛した都を包囲、攻撃した。すると、天から火が落ちてきてサタンが集めた軍勢を焼き尽くし、滅ぼした。
 悪魔/サタンは獣や偽預言者同様、火と硫黄の池に投げこまれた。火と硫黄の池に投げこまれた者どもよ、夜となく昼となく、世々限りなく責め苛まされよ。

 黙20:11-15〈最後の裁き〉
 わたしは視た、大きな白い玉座とそこへ坐す方を。その御前からは天も地も逃げ出した。行方は杳として知れぬ。
 わたしは視た、大きな者も小さな者も玉座の前に立っている光景を。幾つかの書物が開かれた。それとは別に1つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちはこれら書物に記録された行いによって裁かれるのだった。
 海は自分のなかの死者を玉座の前に差し出した。「死と陰府も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。」(黙20:13-14)
 ……命の書に名のなき者は皆等しく火の池に投げこまれた。

 いわゆる<最後の審判>である。それは斯く始められ、斯く終わりとなった。もっと凄惨な場面、怖気を震わされる誘う描写を(期待半分に)思うていた方々、お生憎様。極めてヘヴィーなことは極めてシンプルに語られると知れ。これを指してアンチ・クライマックスと不平を洩らす衆よ、これが作劇術である。知恵と想像力を持って諸人よ、「ヨハネの黙示録」読書に励め。
 〈最後の裁き〉に於いて天と地は最早なく、やがて死も陰府も消えてしまう。残った海も黙21:1で「なくなった」と報告される。それまであった天と地が玉座、言い換えれば神の御前から既に消えているというのは、新しい天と新しい地が代わって世に現れるためであります(黙21:1)。と同時に「創世記」に於ける天地創造劇の逆再生を見る思いもするのだ、とここに告白しておきます。
 黙20:8に出るゴグとマゴグはエゼ38:2以下に基づく。マゴグはカスピ海と黒海の間、コーカサス地方の一部にあった国、もしくはこの地域の部族連合だろうか、と第1253日目の記事に書きました。いまから3年以上前に書いた記事です。そうして、ゴグ。それは、「メシェクとトバルの総首長」(エゼ38:2)とされる。メシェクとトバルはキリキア地方の国だ。「ヨハネの黙示録」で両者はサタンによって地上の四方から集められた、神への対抗勢力として登場するのは本章をお読みになればおわかりいただけるでしょう。つまりそれは「エゼキエル書」の描写に則って神に抗う勢力として描かれているのであります。

 本日の旧約聖書は黙20:8-9とエゼ38:2-16。



 15年目の9月11日に聖書全冊の読書が終わることを宣言する。明後日のことだから「宣言」というも空しいことだが。
 7年目の9月11日を前に覚えた胸騒ぎを鎮めるのが通読のきっかけだったわけだから、やはり9月11日を読了日とするのが道理だろう。──そうか、もうそんなに歳月は流れていたのか……。
 これまでに出会った人々は、いまいったいどうしているのだろう?◆

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